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2018年04月19日大日乃光第2205号
新学年を迎える子供達に尊敬する心の種子を蒔こう

新緑の候に人生の春秋を思う
 
私の執務室の東側の窓を開けると、木の枝から新芽が顔を出しています。柿の木も新しくみずみずしい若葉を出し、方々で色んな木々が新芽を出し、山の色が新緑に彩られています。まさに春の息吹きを実感出来る時期になりました。
 
間もなく六、七歳の子供達が新一年生として新しく登校し始める事でしょう。私達の孫達もあっという間に成長し、その分こちらはいつの間にか還暦を過ぎ、そしていつしか古希を迎える頃にさしかかってきています。
 
こうして考えて行くと、一年生の植物は冬の間、種子の状態でじっと寒さに耐え、春になると新たに芽を出して成長し、そして夏や秋に次の種子を実らせて子孫に引き継いでいくという一年間の命の循環を繰り返しているわけです。
 
それに対して私達人間は長いようで短く、短いようで長い七十から八十歳の人生を送り、今は九十歳や百歳の人も次第に増えて来ました。その分人生をより深く味わって、次の世代に託す思いをしっかり培えるようになってきました。春はそういう命の巡り合わせの大切さを、じっくり感じとれる季節だと思います。
 
当山の三つの習慣に通じる森信三先生の遺訓
 
さて、この時期になるといつも申し上げている事をこれから述べます。新入生の子供達をこれからどのようにして学校に送り出すべきでしょうか。
 
前回お話しした森信三先生、この方は開山上人様と同じ明治二十九年のお生まれですから昔風の発想なのでしょうけれども、『家庭教育の心得二十一~母親のための人間学』の中で、子供の家庭教育の九割方は母親に責任があると述べておられます。
 
森先生は多くの方に影響を与えておられます。中でも印象深いのは、坂村真民先生から直に伺ったお話です。真民先生が月刊で詩集『詩国』の発行を始められる時、その決断の際に森先生との出会いが決定的だったと何度か話されました。
 
森信三先生は長年社会教育推進に取り組み、実践して来られた方ですが、その方が家庭教育で大事な事は三つあると述べておられます。その内の二つは当山でお伝えしてきた三つの良き生活習慣と同じです。
 
まず一つ目は、家庭内でお互いに「はい」と返事を交わし合う事です。御主人が奥さんに声をかけたら「はい」と素直に返事をする。子供もお父さんやお母さんに呼ばれたら「はい」と返事をする様にしつける。
 
簡単な事のようですが、この「はい」と言う言葉の中には自分を虚しくするという意味や、へりくだる気持ち、素直な気持ちが入っているのです。ご主人も奥さんに呼ばれたら、「はい」と言った方が間違いなく良いのです。
 
この「はい」と返事をする事は、実は信仰に向かう基礎的でとても大事な心構えが込められています。こうしてお参りする時、最初と最後に丁寧に額を畳に付けて三度拝むという事は、普通はなかなかしません。丁寧にお辞儀する事はあっても、三回もお辞儀をするというのはまずありません。とても丁寧に、自分を低くするお参りという行為の出発点に当たり、日頃からそのきっかけを作るのが「はい」と返事をする事だと思います。
 
その次は「家族が互いに挨拶し合うこと」で、三つめは「履きものを揃えること」です。
蓮華院でも先代か先々代からか、家庭教育に一番大事な事は「履きものを揃えること」と、朝の神佛への挨拶と家族の挨拶を仰ってこられました。当山ではこの二つに食事の時の合掌して「いただきます」「ごちそうさまでした」を加えた三ヶ条です。
 
そういう意味で「はい」と返事をする事は、そこからすでに信仰生活に入っていると言えます。それを日々継続するのがとても大事なことです。
 
円満な家庭環境が子供を育む
 
その他には子供の前で夫婦喧嘩は見せず、お互いに尊重し、尊敬し合う姿を見せる。そして今回お伝えしたい事は、その延長線上で、先生を尊重し尊敬するという事です。
 
日頃から家庭の中で、両親が互いにいたわりあい、祖父母を尊敬し、また大事にしている姿を子どもに見せる事。神佛を敬い、ご先祖様に対してまず最初のご飯をお供えしたり、何か頂き物があったらまずお佛壇にお供えしてから頂くなど、そういう事が家庭の中でしっかり行われている事が大切です。
 
その上で「先生は偉いんだよ」「皆さん達のために一所懸命努力してもらっているんだよ」「先生は凄いんだよ」と親が伝え続ける。しっかりした家庭なら「先生の言う事をよく聞きなさい」と言っても、子供は素直に「はい」と聞くだろうと思います。
 
一方でいつも夫婦喧嘩をしていたり、不幸にして父親がいなかったり、また逆に母親がいない家庭というのは大変だろうとしみじみ思います。そういう場合にこそ祖父母を大事にしたり、またそういう家庭にこそ佛壇があり、お佛様にお供えをすることが救いになるに違いありません。
 
私は小学生の頃、通信簿をもらったら、まずここ(佛前)にお供えした憶えがあります。そしてお供えをしてから開山上人様(祖父)に見せに行きました。その成績に応じて小遣いを頂いたのを憶えています。これは子供にとっては一つの励みにもなるだろうと思います。
 
そういった意味では、結婚して新しく夫婦になる方は、一緒にお佛壇も作った方が良いのではないかと思います。家庭教育の出発点は、お佛壇に朝夕手を合わせてお参りして、ご先祖様へのご挨拶をする。その姿を子供達が見る所にあるのです。
 
家庭における父親の役割
 
もう一つ、「父親はわが子を一生のうちに三度だけ叱れ」という事を森先生が述べておられます。振り返ってみれば、私もはっきり覚えている叱られた機会は二回だけです。まあ小さい頃の事も合わせるとまさに三回でした。
 
そして残念な事に、父親は生きている間に評価や理解されることは無いだろうから覚悟を持ってやりなさい、父親とはそういうものなのだと。特に男の子にとっての父親とはそういうものだ。死んでからやっとその価値が少しずつ分かってくるものだと書いてありました。私の場合もまさにその通りでした。
 
そういった意味では、父親が生きている間に子供が父親を尊敬できるかどうかは母親の日常の家庭内での振る舞いにかかっています。森信三先生は明治の方ですから、例えば一番風呂はお父さんとか、そういう区別のきちんとついた、かつての古き良き時代の家庭教育を説いておられます。「お父さんは偉いんだ」という事を、形を通じて示す機会がかつては沢山あったんだろうと思います。
 
そういった意味で、今では何でも平等にするのが正しい事の様になっていますが、果たしてそれだけで良いのでしょうか?親も子供も平等、ご先祖様も自分も平等と。だからお佛壇にお供えする必要はないという考え方をしていけば、結局今自分のおかれた境遇の有難さや、今の自分の生活が成り立っている条件を色々考えて行けば、ご先祖様のおかげだという事などを見失ってしまいます。
 
最近は母親も働いている家庭が増えてきました。今の自分の暮らしは両親が一所懸命働いてくれるおかげという事に気付いたり、時には夫婦がお互いに有り難うと感謝の言葉を交わし合う事がいかに大事かという事です。
 
尊敬の念が信仰心を生み社会に筋道を付ける
 
最近は両親のいない家庭が増えている大変な時代に入ってきましたが、そういう家庭こそ、なおさら大事なものや尊敬するものを持つべきでしょう。
 
その尊敬の先に信仰があるのです。その意味でもお佛壇などにお供えする姿を子供達に見せる。そして本日のように子供達と一緒にお寺にお参りするという事、そういう事がとても大切だと思います。子供の頃にそのような宗教的な習慣に多く接する事で、その人の宗教的な情操が確立すると言われています。
 
例えば皇円大菩薩様への尊敬の先に、信仰があるのです。尊敬心を全く持たない人は信仰にも入りにくいだろうと思います。ですから家庭の中で尊敬し合うという事は、人の人生にとても大事な事なのです。
 
もう一度述べますが、これから学校に行く子供や孫達に、たとえその先生の事をあまり知らなくても「あの先生はとっても良い先生だってよ。あなた運がいいね」と言ってあげて下さい。そして親が先生を尊敬している姿を見せるのがとても大事なのです。
 
現代はこういう風に目上の人を尊敬する事の大事を言う人が非常に少なくなり、他人や社会を批判する資格のないような人達が平気で目上を批判したり、大勢がそれにのってしまうという非常に薄っぺらい正義感のようなものが社会に蔓延しています。先生や目上の人、またリーダーの人達は、他の人から尊敬される事によって、更に努力してその役割を存分に果たせるようになります。
 
そういった中で社会に筋道を付ける、その出発点が各家庭にあり、新学期の子供達に先生を尊敬し、敬う気持ちで接していく事が今、改めて求められていると思っております。そのように子供達の父母や保護者から尊敬されることによって、その先生も更に努力され、充分に力を発揮して頂けるに違いありません。合掌




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