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大日乃光






大日乃光

2018年06月29日大日乃光第2211号
信者一人びとりの実践が開く皇円大菩薩信仰の未来への扉

真言律宗宗議会で頂いた栄誉
 
昨日私は西大寺に行っておりました。年に三回の真言律宗の宗議会に出席するためです。先程奥之院の院代からも話があったように、八百五十年大祭について、管長猊下からお褒めの言葉を頂戴しました。

先代も宗議会議員を務めておりました。私は宗議会に出てもう二十年が過ぎ、今は副議長という立場です。

宗議会の冒頭には、必ず管長猊下からのまとまったお話があります。その中で猊下はいつもより長く話され、その三分の二以上は先月十二日の多宝塔落慶法要に関するお話でした。皆さんも読まれた六月一日号の『大日乃光』にその慶讃文を載せております。

管長猊下はその慶讃文を読み上げられながら、「蓮華院というお寺は非常によく頑張っておられる。我が宗門の誇りである」という風に、こちらが気恥ずかしくなる程に過分なお褒めの言葉を賜りました。
 
「御霊告」だけを頼りにした時代
 
よくよく考えてみれば、開山上人様が皇円大菩薩様に巡り遇われ、檀家もなければ信者もいない所に息子二人の家族四人で一緒に来られた頃は、それこそ海のものとも山のものとも知れないという風に周囲から見られたかもしれません。

「高原山浄光寺」の「蓮華院」ですから「高原」「蓮華」「南大門」という地名が残っていて、今は再建された釈迦堂があり、社があり、そういうものから地元の人達は何となくここに昔立派なお坊さんが生まれ、大きなお寺があったらしいという事は分かっていたのです。

今、準教師の伊藤祐真さんが『蓮華院百年史』のための資料を一所懸命集めておられます。昨晩ずっと書庫を探り、昭和三十二年六月十三日の法要の諷誦文を見つけられました。普通なら願文と言いますが、よく読めば昭和二十年の終戦からわずか十二年後の文書です。大都市は全て一旦焼け野原となり、それこそ日本国中が地震にあったような有様でした。

内容は、まさに戦争で亡くなられた方々の追福菩提、そういう事を中心に書かれています。そこには皇円大菩薩様に関する色んな出来事はあまり出てきません。

今、私達はこの本堂に掲げられた絵伝を見て皇円大菩薩様に関する様々な事が分かりますが、その当時はまだ充分に分かっていなかったのです。しかし六月十三日が龍神入定された日であるという事は『佛教大辞典』や『密教辞典』に出てくるのです。それを受けて、すでに六月十三日に大祭が行われていました。しかし当時は「御霊告」以上の詳しい事は殆ど分かっていなかったのです。
 
歴史的に実証された皇円上人誕生の地
 
そこで真如大僧正様が旧制玉名中学の同級生で親友でもあり、しかも歴史学者で考古学者でもある田邉哲夫先生に研究をお願いされたのです。

先代と田邉先生はその頃まだ三十二歳でしたが、その後三年位でかなり研究を進められて、現在の基礎が出来上がりました。

そして皇円上人がここでお生まれになったという事が確定的に分かったのは平成八年頃でした。今の五重塔を建てる際に発掘調査をしました。その頃この地域で幾つかの発掘調査が行われていたのです。そして田邉先生が発掘調査の委員長を務めておられました。

ある日「英照君。やっとね、ここが皇円大菩薩の誕生された所なんだという事が自信を持って言える」と仰いました。

八百数十年という年月を経るという事は、文献が沢山残っている人については分かりますが、そうでなければ中々分からないというのが実情で、現在皇円大菩薩様の研究は蓮華院が一番進んでいると断言出来るほどであります。

戦国時代に比叡山が焼き討ちに遭いました。その関係で、皇円上人が居られた功徳院がおそらく現在の場所にあった事は分かっていますが、建物も文献も色んな物が焼失してしまいました。そういう中で新たに研究をしたり発掘をして、まさにこの場所が皇円上人の母方の大野一族の館であった事が突き止められたのです。

ここから南西の方角と真南の方角から豪族の棺などが出土しました。そういった事から、まさにここが大野一族の本拠地であったという事が確定しました。

残された地名からも、JR玉名駅の一つ西は大野下駅ですが、大野下というのは大野の下にあるから「大野下」。南側の国道から入った辺りは「野口」と言います。元は大野の口だから大野口で、その後「大」が外れて「野口」になったのです。

また少し東に「玉名市中」という地名があります。これは「大野中村」が本来の地名であり、大野と村がなくなって、単に「中」という地名になりました。大野一族がまさにこの場所にいて、その後現在の玉名市中に移転した名残りです。

年代についても発掘調査をして、色んな事が分かってきたわけです。開山上人様の受けられた「御霊告」は、その後の歴史調査を経て色んな事がピタリと符合してきたのです。
 
伝説から確信に変わった「御霊告」
 
田邉先生は昭和三十二年以降、何回も研究調査を発表されました。そんな中で、「私は本当に不思議に思うのだ。真如君から最初にこういう事を研究してくれと言われた時、自分は真如君の非常に真面目な考え方と、いい加減な事が嫌いな性格も知っているので、その性格からするなら大体そういう伝説的な話は、それを本当に調べていくと雲散霧消して何が何か分からなくなってしまう事がよくある。もしそうなったら却って困るんじゃないか。やめた方がいい」と最初は言われたそうです。

ところが「そんなことはない、親父の受けられた「御霊告」はまともで、絶対これは間違いないので是非やってくれ」と何回も頼まれたそうです。「そこまで言うなら…」と研究を進めて行きます。すると色んな点と点がピシっと繋がり、はっきり道が見えてきたといわれたのです。

この玉名にも皇円上人に関する伝説があり、「桜ヶ池」というのもあるのです。今はほとんど形がなくなっていますが、「桜ヶ池男池」と「桜ヶ池女池」、そして「蛇ヶ谷」。この三つがセットなのです。静岡の桜ヶ池も男池、女池があって蛇ヶ谷があり、これがセットになっているのです。

このセットを誰が玉名に伝えたのか?元は静岡に居た相良一族が九州に移住してきて熊本県の人吉に入り、さらに分家して玉名の東の方に居を構えます。その飛地境内が玉名市立願寺。そこに蛇ヶ谷という地名があり、今の九州看護福祉大学の近くですが、桜の公園になっています。

蛇ヶ谷という地名から蛇ヶ谷公園と言いますが、その由来を知っている玉名市民はまだ少なく、これからもっともっと広めて行かねばならないと思っている所です。
 
宗門の誉れと讃えられた蓮華院の信仰
 
そういった中で、まだまだ研究すべき所はありますが、研究とは別に修行や瞑想によって開山上人様は「御霊告」を受けられ、そこから皇円大菩薩様のお力を授かり、いわゆる神通力と言われる様な力を益々磨いていかれました。

それでも開山上人様は四十代の時に四十日間の「断食」を修されたり、五十代の時に百三十日間の「無言の行」を修されたりと大変な艱難辛苦を自らに課されました。

と申しましても、これは自分の意思で断食をしようとして始められたわけではないそうです。ある日突然、食事が随分しょっぱく感じられ、何日か食べなくなられた。「あーこれは断食しなさいという事だな」と、四十日間位断食をされています。

開山上人様の遺訓に「本当の修行というものは自分から始めるものではなく、佛様からさせられるものだ」という言葉があり、私の胸に強く残っています。

開山上人様と真如大僧正様の葬儀の導師を務めて頂いたのは、西大寺の今の管長猊下の二代前の故松本實道猊下です。開山上人様の銅像の基壇に「川原是信大僧正」と書いてありますが、あれは松本猊下の書です。

その松本猊下が一番弟子である現在の大矢實圓管長猊下に若い頃から「川原是信という人は凄い人だ。まさに真言密教の神髄を身に体して日夜衆生済度に励んでおられる」と聞いておられたそうです。また亡くなった時には「我が宗派のみにとどまらず、真言宗全体の損失だ」としみじみ仰られたというお話を、昨日改めて宗議会の席で大矢猊下から伺いました。

そういった意味で、開山上人様、真如大僧正様が開かれた道を一心に、横道に逸れないように、そして少しでも地に足が着くように導かれますように様々な修行に邁進して参りました。これからもより一層皇円大菩薩様の思いを直接皆さん達にサーッと伝えられるような、そういう自分にならんといかんなと今改めてしみじみと思っているところです。

しかし自分自身の事を振り返ってみれば、まだまだ修行が足りないと思うばかりです。様々な所で「もっとこうせないかんな」と思っている所です。
 
衆生済度の御誓願を信者一人びとりが心がけよう
 
皆さん、最近グルメブームはちょっと下火になっていますけれども、どこかで美味しいラーメンを食べたら「美味しかった」と言い触らすでしょ。

信仰については中々そうする人は少ないようです。これは性格にもよりますね。今は人の世話を焼かない人が多いからかもしれませんが、信者さん一人一人が皇円大菩薩様の多くの人びとを救おうとされるそのお力に救われ、そのお気持ちを少しでも感じたら、他の人にそれを伝えて一人でも二人でもご縁を結ばせようと務めて下さい。

それが先程院代が話したような、自分の事だけを考える生き方から、大乗的な大きく広い心に繋がっていくと思います。

今現在、自分自身が辛い思いをしていても出来る事はあるのです。他の人を信仰にお誘いする事が、皆さん達の信仰そのものをより強くするという風に思います。

人を案内するには自分がもっと深く知らなければならない。深く学ばなければ人には教えられないのと同じように、いつまでも自分が皇円大菩薩様のお慈悲にぶら下がっているだけではなく、ご縁のある人に手を差し伸べてみて下さい。

八百五十年を機に、信者さんの一人一人がそういう思いを起こし、一歩踏み出す事が皇円大菩薩様の御心に適う事になると確信しております。皆さん是非よろしくお願いいたします。合掌




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