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大日乃光






大日乃光

2018年09月28日大日乃光第2220号
「孝は百行の基」を合言葉に家庭の中から心の再生を

人々が念じ続けた稔り豊かな秋
 
稔りの秋を迎えました。稔りと言えば、この近所では稲穂がもう随分と垂れています。早い所は稲刈りをされているそうですが、いずれにしてもこの「稔」という字は「のぎへん(禾=イネ科の植物)に念ずる」と書きます。
 
いつも良い字だと思っていますが、一年に一回お米が穫れるので、昔は「稔」という字は一年二年の「年」だったそうです。日本では「みのる」という大和言葉で言っていたので、一年の「年」が念じるの「稔」に変わったという事です。しかしなぜ「念じる」という言葉を当てるのか、調べてみました。
 
白川静先生の『字統』によれば、【稔】[説文]に「穀熟すなり」とあって、年穀の熟するをいう。年もその意に用いて、もと人声とされる字で、稔と古音が同じであったのであろう。
と、発音と意味の一致を説かれています。
 
さらに『字通』では、年は豊年を求める農耕儀礼をいう字。稔はその結果として穀の熟する事をいう。と「年」が年に一度の農耕儀礼(収穫祭)の事であり、「稔り」はその念じた結果であると説かれていて、意味が繋がりました。
 
作物と言えば、栗の実も外のトゲが開いて落ちる寸前になっています。貫主堂の裏の朴の実も口を開き、ぽろぽろ赤い実が零れてきています。それから本堂の真後ろには椋木(むくのき)があります。木偏に京都の京と、随分かっこいい名前ですが、これにも実が稔るのです。
 
私が小学生の頃、近所に椋木がありました。大きくて容易に登れないので周りの孟宗竹によじ登り、そこから椋木に飛び移って実を食べていました。今の時期はまだ青く、一ヶ月半程すると美味しくなります。お菓子があまりなかった頃ですから、まるで猿のようによく木の上で食べたものでした。
 
三~四十年前にその椋木の実を食べた鳥が、本堂の後ろに種を落としたんでしょう。幸運にも芽が出て、今は本堂の屋根を越える程大きくなっています。貫主堂の部屋からは普段は椋木の葉に覆われて五重塔が見えませんが、冬になると葉が落ちてよく見えるのです。
 
このように椋木には子供の頃から特別な思い入れがあり、落葉樹ならではの季節の移ろいを楽しんでいます。
 
人類が命の他に引き継いできたもの
 
さて、このように植物は自分の命を引き継ぐために種を飛ばし、中にはタンポポの様に風に吹かれて飛んでいくものもあれば、栗の様にコロコロと転がるものもあり、中には美味しい果肉をつけて動物や鳥達に食べさせて、遠くに広めて行くものもあります。いずれにしても全ての生き物は、やはり子孫を残すという事に全精力を使い、命を懸けているという事を感じます。
 
稔りの時期になるほど、命の循環と言うか、植物も動物もまた人間も、親から子に命を引き継ぐ、そういう大きな流れの中に今を生きている事を実感します。全ての生き物は命を引き継ぐ事が本能であり、大事な使命でもあると思います。
 
ところがかつての弘法大師や皇円大菩薩様、法然上人には、実の子供はおられません。その代わりに自分の思いを弟子にしっかり注ぎ込み、自分の生き方そのもので自分の思いや信念を次の世代に引き継ぐ人がおられます。こういう人は特別な人達だと思います。
 
普通の人に与えられているのは、次の世代に命を引き継ぐか、生き方を示す事です。その様に思いを引き継ぎ、また文化を引き継ぎ、信仰を引き継ぐというのは人間だけにしか出来ない事柄ではないかと思います。
 
お墓や先祖供養をめぐる現代日本の嘆かわしい風潮
 
今、皆さんが申し込まれた秋彼岸供養をほぼ終えた所です。前回の『大日乃光』にも書いたように、お彼岸とは、代々の天皇陛下が自分の御先祖様を大事にされる行事「皇霊祭」として、春と秋に宮中で、歴代の天皇陛下をはじめ皇族の方々、またその親戚の方々の御霊をお祀りされる儀式として始められました。やがていつの頃からか、私達も真似をさせて頂き、それを佛教もしっかりと受け入れて現在に至っているわけです。
 
このお彼岸の行事を知らない人はほとんどいないでしょうが、最近の若い人にとってはどうでしょう?「お彼岸て何?」「どんなお菓子?」と言うかもしれませんね。もしそうなっているならその家庭ではお彼岸のお参りをしっかり行っていないからなんです。
 
最近、非常に残念な事があります。私はある方から、「蓮華院御廟には、コンピューターを使った仮想のお墓参りの計画はないのですか?」と聞かれた事があります。うちにはそういうものはありません。
実際にお墓があり、足を運んでそこで直接お参りして頂く事が大事だと思っています。いつでもどこでも自分の都合の良い時にパソコンを見てお参りする?そしてそこにお供えしてみたりするのは、言ってみれば「ゲーム」です。
 
その方は「そういうのがあったら入るんだけどね」と仰ったんです。そして「自分はもう墓を造らないつもりでいる。自分が死んだら遺骨は海に散骨してもらおうかと思っている」とも言われるのです。「どうして?」と聞いたら、「子や孫達にそういう面倒くさい事はさせたくない。迷惑をかけたくないから」と言われました。
 
一体その「迷惑」とは何でしょう?お世話をしたりお葬式をしたり、四十九日をしたり、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、そういう事はもうしなくていいと言われるわけです。
しかしそういう事をしなくなったら、その人が生きていた事を子孫が思い出すよすがが極端に減ります。自分の祖父母の事、さらにもっと先のご先祖様を思うよすががなくなるのです。
 
ここで忘れてならないのは、文化の中に、例えば日本には国宝や重要文化財という品物があります。それに対して芸能や特殊な技能などの無形文化財というものもあります。しかし形のある物も形のないものも、一度失われると二度と復活する事は出来ないのです。何百年も、千数百年も前の人達がどういう思いでこれを造ったのかと偲んだり考えたり出来るのは、そういう文化財が遺されたお陰です。
 
現代人はよく「心が大事」と言います。しかし心を大切にするなら、その心は必ず何らかの形をとって現れるのです。
 
先師の思想や業績を形や行動で後世に遺すべき
 
マザー・テレサは神に対する敬虔な思いがあり、神の生き方を自分の生き方にしたいと思われたから神にお仕えし、死にゆく人達を看取り、ハンセン病の人達のお世話をされました。それはまさに神の愛の実践なわけです。そういう信仰が、その人の行動となって現れてきたわけです。
 
そしてマザー・テレサはノーベル平和賞を受賞されたので、世界中の人が知っています。
それよりも七百五十年も昔に、同じ事を実行した人がおられました。それも日本人がやっていた事を知っている人は、残念ながら百人に一人もいないと思います。この史実をしっかりと教えられていないからです。その方は真言律宗の宗祖、叡尊上人様とそのお弟子の忍性菩薩様です。
そのご偉業を今に伝える文化財として、奈良に「北山十八間戸」という建物が残っています。その当時、忍性菩薩がグループホームの様なこの建物を造り、ハンセン病の人達を弟子や信者さん達と皆でお世話しておられたのです。
 
叡尊上人のお言葉を著された『聴聞集』や、『感身学正記』という二つ三つの文献が残されてます。そういう文献や建物が残らず、言い伝えも失われてしまえば、かつて日本にそういう偉業をなし遂げた人がおられたという事は(現に今、ほとんど知られていないのですから)無かったも同然になってしまいます。そういった意味で、人間の思いや生き方というのは必ず形として現れるものなのです。
 
私達が気付くべき、痛切な反省点
 
視点を少し変えて、なぜ多宝塔と五重塔を建立したのでしょうか?皇円大菩薩様の御霊示というのがその直接の始まりです。まさに皇円大菩薩様の御心が多宝塔と五重塔を生み出したのです。その御意志を私達がしっかりと受けとめ、その実現に尽力し、信者の皆さんもご協力頂いたからこそ現実の形として建立されたのです。
 
それと同じように、先祖を大事にするという思いは必ず形や行動に現れるという事です。
親や先祖を大切にする思いがあって、人はお墓を建立してお参りをしたり、身をもって様々な供養を実行するのです。形に現れなければ、それは思いの量が少ないのです。
 
子供に迷惑をかけたくないと言われる人は、その人自身のご先祖様を大事にする気持ちが少ないのです。子孫に迷惑をかけたくないと言われる人は、自分の親を看取る時に迷惑と思ってしまわれたのかもしれません。
 
かつては子供が親の面倒をみるというのが原則でした。本人に代わって国が親の世話を出来るわけがありません。まして供養など考えも及びません。制度や資金的援助の面では出来る事がありますが、やはり最後には子が親を「お父さん、お母さん、ありがとう」と言いながらお世話をするものです。
 
時流に身や心を任せるだけでは明るい未来を展望できない
 
お墓やお佛壇のような形を残さなくていいと言われる人が増えてきたご時勢の中で、私達は自分自身に親を、先祖を大事にする気持ちが少ないのかもしれないという反省をするべきなのです。非常に口幅ったい言い方をしましたが、私達は親やご先祖様に大きな愛情を注がれて育てて頂いたという事を、本当には理解していないのではないでしょうか?
 
私達が最期のお世話、最期のお見送りをする事を、子や孫が迷惑と感じてしまう様な事態は、非常に残念で悲しい事です。これでは人は安心して老後を迎えられません。「お年寄りがお年寄りというだけで尊敬され、大切にされる家庭や社会」こそ、真に豊かな社会ではないでしょうか?この様な未来を、私達一人一人がそれぞれの家庭から目指したいと、切に念じる
ものであります。合掌




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