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大日乃光






大日乃光

2018年10月10日大日乃光第2221号
供養とはご先祖様の中に菩薩様を見い出し、尊ぶこと

子供の情操を豊かにするお寺参り
 
今朝(九月二十三日)、この秋初めて二十度を切りました。護摩を焚いていてもさほど暑くなく、汗を流してタオルを使う事もなく済むようになりました。刻一刻と月日が過ぎて、季節が移っています。
 
今日は子供達が何人かお参りに来ていて、非常に嬉しく思います。三歳までに宗教的情操環境に身を浸す事が多いと、一生信仰心が育つと言われています。小さい頃からご両親や祖父母に連れられてお寺参りやお墓参りをすると、親やご先祖様を大切にする心優しい子供になるに違いありません。今日は秋のお彼岸の中日ですので、その意味でもとても有難い事でした。
 
菩薩様とはどういう佛様か
 
ところで私は毎朝の祈願の時に必ず唱え、この後のお加持の時にも必ず唱えているお経があります。それは『理趣経』というお経です。その中に、『理趣経』のエッセンスをぐっと縮めて、百文字で表している「百字ノ偈」という偈文があります。
 
その冒頭に、菩薩様とはどういうお方なのかが端的に表してあります。
 菩薩勝慧者 乃至盡生死
 恒作衆生利 而不趣涅槃
菩薩の勝慧なる者、つまり智慧の勝っている菩薩様というお方は、生死を尽くすに至るまで、生まれ変わり死に変わり、何回も何回も生死を繰り返しながら、恒に衆生の利を作して、苦しんでいる人々や生きとし生きるもの全てのために良き働きをして、しかも自分は敢えて涅槃に赴かない。
 
お釈迦様の時代には、人々は涅槃に行くために佛道修行をしていたわけです。それ以降、大乗佛教になると〝菩薩行〟や〝菩薩道〟という思想が出てきます。この〝菩薩〟というものは、実は〝如来〟になる一歩手前であり、佛様の本当に安楽な境地に行く、その一歩手前で人々のために一所懸命働いている方の事です。
 
私はこのお経の言葉を、「まさに皇円大菩薩様そのものだ」と、その意味合いと有難さをいつも感じています。

生まれ変わり死に変わりをせずに、永遠の命を保つという龍神に身を変えて七百六十年もの苦難の修行をなさり、その結果、人々の様々な悩みや苦しみを聴いて常に衆生の為に、大偉神力を以て色んな人の願い事を叶えながら、しかも自分自身は如来にはならず、安楽の境地には行かれないという。これは本当に有難いと思います。
 
私達一人びとりが心に宿す菩薩の姿
 
ところが生まれ変わり死に変わりしながらそういう事をされている方は、おそらく世の中にはたくさん居られると思います。
 
皆さん方もひょっとしたら菩薩の生まれ変わりで、今の人生を生きておられるのかもしれないのです。「いやいや、そんな事はないですよ」と思われるかもしれませんが、どんな人でも、ある部分をよくよく見ると、その人の働きそのものが周りに安らぎや光を与えたり、希望を与えたり、また周りの人を励ましている、そういう部分は誰にでもあります。
 
確かに他の部分では我が儘だったり怠けものだったり、人を妬んだりするなど悪い面もありますけれども、別の面では人は必ず菩薩様の働きを持っています。そういう可能性が微塵もない人は一人も居ないと思います。みんなが佛様の心の一部を持っているものなのです。
これが〝菩薩〟についての普通の解釈です。
 
菩薩様についての別の考え方
 
それに対して非常に独特な解釈として、自分の両親が実は〝菩薩〟だったのではないかと仰る方がおられました。両親は自分のために様々な事をして頂いた。そして次にまた生まれ変わってくる時には、自分の子や孫になって自分を支えてくれるかもしれない。
 
そういった意味で言えば、実は全ての人は生まれ変わりを繰り返しながら、しかも自分の子や孫達、場合によってはその子孫に対して様々な働きを続けていくのかもしれないのです。
 
また苦しい病気を患い、病気に立ち向かいながら、時に弱音を吐いて奥さんやご主人、そして周りの家族に色んなお世話をかけているかもしれません。そして、ついにはお医者さんから「ご臨終です」と告げられる。するとその直前まで「一日でも一分でも長生きさせて下さい」と一所懸命、家族や親族は思っているとします。その人はもうすでに、家族や親族たちに色んなものを与えている菩薩なのです。
 
苦しい病気の姿を見せて、人々に人生というものの苦しみを教えている。そして様々な悩みを抱えながらも、時には愚痴を言ったりして困らせたりする。それも実は「人間というものは、そういう苦しみを乗り越えて行かなくちゃいけないんだよ」と、「そういう苦しみがあるのが人生なんだよ」という事を教え続けて頂いている。身を挺して教えて頂いている。
 
肉親の苦難は人を良き方へと導く
 
そういった意味で言えば、今病気の中にある人も、今悩みの真っ只中にある人も、実は少し見方を変えると、それは周りの人達に「人生とは何か」とか、「病気の苦しみとはどういう事なのか」教えて頂いているんです。
 
その反面、人はそうじゃないホッとした、ニッコリした顔をする時もありますので、そういう時に「あー、お父さんありがとう、お母さんありがとう」と周りの人達に光を投げかけている。
 
そういう普通の人生、最後はあまり褒められた亡くなり方じゃなかったとしても、それが実は人々に人生を問いかける、人生の本質を教えている。そして人々に本当の安らぎとは何かを身を以て説き示している菩薩の姿なのではないか、という風に解釈した人がいたんですね。
 
皇円大菩薩様のように生まれ変わり死に変わりをせずに、ずっと生き通しに生きながら、人々のために一所懸命働いて下さる、そういう人だけを素晴らしい菩薩様と言うのではなく、私達一人ひとりの人生そのものが、実は、色んな悩み苦しみを持ちながらも、時には愚痴を言ったり、失望して周りを暗くする事があったにしても、その生き方や生きている姿そのものが人生のあり方を人々に説いている菩薩の姿なのである、という見方です。ちょっと普通はなかなか思いつかない、ある意味で深い考え方です。
 
ご先祖様も「百字ノ偈」の菩薩様
 
人は皆、光の方が良いと思いますが、実はその光の裏には必ず影があり、悲しみがある。
人生はそういうものなのだという事を、身近な家族や遺族達に示しながら、苦難の、苦悩の中で息をひきとっていく姿。その姿そのものが実は菩薩なのではないかという考え方を、私の尊敬する方が言われました。
 
その方と最後にお会いしたのは、その方がご自分のご両親のために宝塔を造りたいので、ぜひ大工さんを紹介して欲しいと言われた時です。そこで私は迷わず匠社寺建築社の大浦敬規さんを紹介し、その塔はもう十数年前には出来ております。
 
その方が、「お母さんの生涯やお父さんの生き方そのものが、実は見方を変えると、素晴らしい面だけではなくて、欠点やどうしようもない所も人間は抱えて生きて行く、そういうのを敢えて見せてくれた。これが自分への大切な道標となった」と言われました。
 
この考え方をすると、人は少しでも明るい方、良い方、輝かしい方に目を向けたいと思いますけれども、そういう影の部分、闇の部分、そういったものもよくよく見れば、実は時には反面教師であったり、また人間の悲しさ弱さ、そういった色んな事を私達に教えてくれる菩薩なのではないか、という考え方です。
 
そうすると、私達の御先祖様も自分の子や孫たちに代々そのようなメッセージを送り続け、生まれ変わり死に変わりしながら永遠に説き続けて頂いている、先の「百字ノ偈」の一節の菩薩なのではないかと思われるのです。その事を思えば「百字ノ偈」が、より一層有難く実感されます。
 
先祖供養は子孫安泰と表裏一体
 
私たちはご先祖様や両親たちの良い部分、明るい部分に極力目を向けようとします。そうするとご先祖様達のお恵みや光、そういうものがますます輝いてきます。
 
私達がご先祖様に感謝する事、そして「有難いなー」「今でも守ってもらっているなー」「有難うございます」という気持ちを持ち続ける。実はこの事が、そのまま先祖供養になっているのではないかという事を、この菩薩様の深い言葉の解釈を通じて、今朝しみじみと実感した所でありました。
 
私達は理想通りには中々行けませんが、そういう私達であっても、それでも佛様の恵みに包まれて、一所懸命佛様にお参りしてご先祖様を大事にしていれば、自分の子孫たちも大事にしてくれるという安心感が得られます。
 
将来は子や孫達が必ず自分を供養してくれるに違いないという確信を持っている人は幸せだと思います。そういう家庭がもう出来つつある人達は、幸せな晩年を送れると思います。
お彼岸の良き日に、どうかご先祖様としっかり向き合い、その暖かな心持ちで日々をお過ごし下さい。合掌




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