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ご利益体験談第45集 佐賀県80代男性
人智を尽くして一心に祈り、大病を無病に転じた絶大なる御霊力 

六月大祭は心の里帰り

皆さん今晩は。毎年一月の初参りの〝けむり護摩祈祷〟では一年の息災と健勝をお祈りいただき、この六月大祭では皇円大菩薩様のご遺徳を称え、数々の功徳をいただき、十一月には〝禍を転じて福となす〟柴燈大護摩祈祷と、ずっとご縁をいただきたく楽しみの本山詣りが出来て幸せです。

先ほど宗務長の光祐先生から「お帰りなさい」と温かいお迎えのお言葉をいただき、本当に心から我が家に帰ってきたようなホッとした気持ちになります。「ただ今、無事に帰ってまいりました」という気持ちを込めて、私のお話しというかご報告をさせていただきます。

不安への前兆となった〝アジサイネット〟のカード

ここ十年ほどの間、高血圧症の家内を連れて大村市のある病院に通っていたのですが、二月の上旬のこと、家内は一枚のレントゲン写真と〝アジサイネット〟というカードを預かってきました。

私は〈何でレントゲン写真だろう?〉と思い家内に尋ねてみましたが、はっきりした返答はありません。

そのカードを見せてもらって勝手に思ったことですが、わざわざ遠い大村の病院まで通わずとも、近くの病院でも間に合うのではないかという病院からの紹介のことではないかと思いました。

二ヶ月に一回、家内の健康管理のための通院とはいえ、諫早周りで約一時間の道のりを、いつもドライブ気分で通ってきましたので、別に苦労とは思っていませんでした。

〝アジサイネット〟とは、患者の情報をインターネットを通じて病院同志で共有し、地元で健康管理ができるシステムかと思います。

数日後、地元の病院に行きましたが、「ここでは良く分からないから」ということで嬉野医療センター(旧国立嬉野病院)の呼吸器科を紹介されまして、一抹の不安を覚えました。

妻の受動喫煙の疑いへの悔悟と先祖供養の〝障り〟

二月二十日、嬉野医療センターを受診。診察のときは私も同席し、医者のお話を聞きましたが、「これは肺がんの疑いがある」とのこと。どう受け止めたら良いのか、頭の中が真っ白になりました。続けて医者の、「煙草をのんでいましたか?」という妻への質問に、私は瞬間凍り付きました。

もちろん「吸ってはいない」と返答しましたが、私自身が転職してからも、更に四年ほど吸い続けておりましたので、てっきり〝受動喫煙〟のせいかと思いました。代われるものなら私が代わってやりたい、と心から詫びました。更に医者は、手術を受けることを勧め、外科の方に回されました。

外科医は手術をするという前提で、家内をいろんな検査にまわしました。
更にもっと詳しい検査をするために、三日ほどの検査入院が必要とのことでした。家内はずっと以前から血液をサラサラにするバイアスピリンという薬を服用していますが、手術をする一週間から十日ほど前から服用を止める必要があります。

早速蓮華院にお電話をして、現在の状況を〝お尋ね〟させていただきました。ご先祖様の〝障り〟が四座あり、すぐにご祈祷をはじめていただく様にお願いしました。
三月二十五日が入院日と決まりました。当日は、神戸市在住の長女が早々に嬉野を目指して来てくれました。

妻は苦しい術前検査を耐え、その結果についての医者の話によれば、他に転移もなく、手術にも耐えうる体力だと判断されました。突然のがん告知に打ち拉がれた妻を独り残して家に帰った夜は、なかなか寝付けません。
ここで俺がしっかりしなければならない、と思いました。

人知を尽くすは妻を支える気概を得るため

書棚から『医学大百科』という蔵書を取り出して、肺がんについて調べてみました。

冒頭目に入ってきた言葉は、〈肺がんの場合、残念ながら治ることはまずありません。進行性の肺がんと診断されてから五年後に生存している人は、わずか五パーセントです〉ということです。
更に読み続けますと、〈肺がんは組織的に「小細胞がん」と「非小細胞がん」に分類されます。

「小細胞がん」はあっという間に他の器官に転移してしまうため、手術をすることは稀であるが、化学療法に比較的よく反応するので、初めのころは様々な抗がん剤、つまり細胞増殖抑制物質を併用する。
また、小細胞がんは早期に脳に転移するため、念のために脳に放射線照射を行なう。これによってすでに転移しているかもしれないがん細胞が破壊される〉とありました。

もう一つのタイプ「非小細胞がん」は〈肺がんが片側の肺に限られていて、脳などへの転移もなく、体も大手術に耐えられるなら、腫瘍の大きさに応じて、患部を切除する肺葉切除、または片肺全てを切除する肺切除を行なう〉とありました。

家内のこれまでの検査結果からみて、病巣は右側の上葉にあり、サイズは一~二センチ、脳などへの転移も見られず、体力も手術に耐えられるということから、私は勝手に家内の病名は「非小細胞がん」だと判断しました。

更に外科医からは今後の処置について詳しい説明があるということでしたが、家内は聞きたくないと言うし、今にもこの場から逃げ出したい心境のようでした。

今年の年賀状には「二人して齢八十路の坂を迎えました」と書いていましたが、これまで生かしてもらったし、これ以上苦しい思いをしたくないとも言っていました。

〝疑わしいもの〟は徹底的に調べること。もし肺がんをこのまま放置していれば、全身へ転移するとも言われます。病巣さえ取り除けば余命が延びる望みはあると言う医師の力強い説得に納得し、全てを任せることに同意しました。

験の悪い手術予定日を覆したご利益

病室で待っていた家内にいきさつを話し、何とか説得しましたが、妻は「ただ一つ、お願いがある」と申しました。

それは今日まで四十年に亘って皇円大菩薩様の御加護をいただき、生き長らえさせて頂きました。今一度、病気全快護摩祈祷をお願いしてくれ、と申しましたし私もそのつもりでおりました。

病室の窓越しに鶯の鳴き声が聞こえてきます。サクラの花も間もなく咲き始めるでしょう。四月二日が手術日と決まりました。でもその日は、日頃から縁起を担ぐ私たちにとっては、余りよくない日だと思いました。その日の運勢の一つ、干支が「つちのえ申」つまり〝猿返り〟といって、また同じことを繰り返すということ。でもそのくらいの理由で手術日を覆すことはできません。

手術を目前に控えた三月二十八日、当日は内孫三人の男の子の末っ子が卒園式です。私自身、風邪にかかっており、家内もまた風邪をひいてしまいました。私はかかりつけの病院で診てもらったら陰性でした。

ところが家内の方はインフルエンザ陽性で、個室に隔離される始末。とても二日の手術は不可能となり、一週間延期の九日になりました。同じ病室の患者さんは手術を終え退院されるのに、自分だけが取り残された感じだと言っておりました。

でも、今考えてみますと、忌み嫌っていた二日の手術から逃れられたということは、同じ過ちを繰り返させない何らかのお導きがあったのかもしれません。

大難を小難に、小難を無難へと転じた絶大なるご加護

医者と我が家の神佛、とりわけ皇円大菩薩様に心からおすがりをし、お任せをした妻は四月九日午前八時五十分、笑顔でストレッチャーに乗って、手術室に運ばれていきました。

執刀開始が十時、病巣摘出が十一時ごろ。すぐに病理診断にまわされ、良性ならば肺部分切除、肺がんならば右上葉切除の手術となることなどの説明を受けました。

そこでこの手術の分かれ目の時間を、おおよそ二時間ぐらいかと考えていましたが、お昼が過ぎてもなかなか出てきません。予定よりも一時間ほど過ぎた頃、手術室のガラス戸が開き、執刀医の近藤先生を先頭に、担送車が出てきました。ドクターの第一声…「良性でした!」
「ありがとうございました」私は思わず手のひらを合わせて深々と頭を下げました。

集中治療室に運ばれた家内の顔を見て、「ばあちゃん、ようがんばったね。良性だったってよ!」私はこの上ない喜びといたわりの気持ちがこみ上げてきて、その声は男泣きだったと娘が後で話してくれました。

そのあと「摘出した病巣を見ますか?」という誘いに、娘と二人で診察室に入りました。「手術に時間がかかったのは、癒着が激しくて、その剥離に手間取った」ということでした。

シャーレに入れられた肺の一部と、乳白色をしたきれいな病巣が見られました。これは十年ほど前に肺炎を患った時の古傷のようでした。もちろんがん細胞はありません。

私は朝晩のお参りでひたすらに〝大難は小難、小難は無難〟と念じてきましたが、皇円大菩薩様の絶大なる御加護と、貫主様に厳修頂いた賜と存じます。四月十八日、めでたく退院ができました。
この日は奇しくも法然上人様の御忌会でもありました。

まだ病後の回復が充分ではありませんので、妻に代わってご報告しました。ご清聴ありがとうございました。合掌