1997年8月10日第3号
幸福ニュース
花供養会にみる日本人の精神世界
  • 日本人の精神文化
  • 皆さんようこそお参りでした。 ところで皆さんが、これまで生活をうるおしてくれた花の供養をしようという事は大変尊い事だと思います。おそらく花を飾ったりするのは世界中のいろんな国々で行なわれていると思いますが、その花にまで命を見、そしてその花を供養しようという考え方をはたして日本民族以外では持っている国があるでしょうか。

    私は専門外で判りませんが、おそらくほかの国々では一度花ビンにさしたり、生けたりした後に、その花の命に対して感謝し、供養しようという民族はあまりないのではないでしょうか。これは大変素晴らしい事だと思います。

    これは私達日本人の精神文化の表れであり、日本人の心の深いひだに今日まで伝わっていることは世界に誇れる精神性だと思います。どうしてこのような伝統が伝えられて来たかを私なりに考えてみました。

  • 山川草木総てに宿る仏と神
  • 日本人の精神生活に大きな影響を与えた流れが二つあると思います。

    一つは有史以来のもので山や木にも魂が宿っていると言う考え方を持つ古代神道であります。

    いま一つは仏教であります。この仏教の中には神道と同じようにすべてのものに仏の命を見い出すという考え方を示す経典が多くあります。

    そのことを古来から日本人は「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)とか「山川草木悉有仏性」と言っております。山も川も草も木もみな成仏するんだ。全ての生きとし生けるものはすべて仏の分身であり大いなる仏の命の現れである。と考えて来たのです。

    このような見かたをすることを仏教は私達の心の中にずっと根付かせてきたのです。

    蓮華院の宗派である真言宗の考え方もそうですし、天台宗、法華宗などは、法華経に基づく宗派でその法華経にもこのように書いてあります。

    すべての生きとして生けるものに神が宿ると考えて来た日本人の心にこの仏教の考え方は大変受け入れ易い考え方だったのです。

    このような生命一体の考え方をずっと今日まで温存して来たのは、自然を大切にする神道の伝統、があったからだと思われます。

  • 愛する物に命を見出す
  • 当寺では数年前から将棋の世界とご縁ができまして、将棋の対局では頻繁に扇子を使います。去年羽生善治さんとお話ししました時、一年間に何本ぐらい扇子を使われるかお聞きしますと、羽上さんは、「5、6本から多い時で10本ぐらい使うでしょうか?」というお答えでした。対局中に無意識にバチンパチンと開開して扇子を痛めるので以前から考えておられたのでしょう。「蓮華院で扇子を供養して項けませんでしょうか」と言われました。

    このような事情で、扇子の供養をしなければいけないなあ−」と思っていた時に、今回の皆様の花供養のお話があった訳です。

  • 華と仏様と説法
  • 仏教は花とのご縁が非常に深い宗教です。

    多くの諸仏諸菩薩はほとんど例外なく蓮華の花の上に立っておられるか、座しておられます。

    そして世界中の仏教は例外なく仏前に花を献じます。

    先月この奥之院の本院に五重塔が落慶しました。その塔内にはスリランカから戴いた仏舎利がお祀りしてあります。

    本来塔というものは仏舎利をお祀りするためのものです。

    仏舎利の信仰を日本に根付かせている経典がいくつかありますが、その中の一つに『大悲蓮華経』というお経があります。この中には人心が荒廃して世の中が乱れてくると仏舎利は大地に深く潜ってしまう。この世から消えてしまうというのです。

    そしてこれではいけないという位に世の中が乱れると、今度は大地に深く沈んだ仏舎利が仏様の慈悲の働きによって塔となって地上に涌き出てくると言われています。そして仏舎利はさらに天高く登った後、また地上に降って来ます。その時仏舎利は花に姿を変えて私達に法を説く、というふうに大悲蓮華経には書かれています。

    確かに私達は花を見る事によって心が和みます。豊かな心になりますし、優しい心になる事が出来ます。花を見ておこる人はいません。このように花はまさにみ仏様の化身として私達に説法してくれているのです。

  • 自身を高める六つの法
  • 日本に伝わって来た仏教はほとんどが大乗仏教ですが、大乗仏教の修行として自分を高めていく方法に六つの方法が説かれています。これを六波羅蜜(ろくはらみつ)と言います。時間がないので簡単にかいつまんでお話しますと、人に対してサービスをする(布施行)最近盛んに言われているボランティアもこの布施行の一環だと思います。お坊さんに出すお布施だけが布施ではありません。

    この布施行はお金でするか、自分の体力を使ってするか、智慧の働きでするか、いろんなやり方がありますが、要は人や社会に対して奉仕することです。この布施を六波羅蜜の第一番目に掲げてあります。

    真言宗の修行には色々なものを供える作法があります。六種の供養(供える物)がありまして、この六種の供養を先の六波羅蜜にあてはめてあります。

    ではこの布施波羅蜜は何に相当するかというとこれは水だとされています。水はすべての命を潤すものだからでしょうか。

    次が持戒波羅蜜=約束を守ること、いろんなルールを守ることです。これは塗香(ヅコウ=体にぬるおこう)に当ててあります。

  • 花の心と六波羅蜜
  • 3番目が忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)耐え忍ぶこと、たとえはずかしめを受けても耐えしのぶということです。

    これに実は花を当ててあるのです。仏前には必ずお花をお供えします。その花は私達に耐えしのぶ心を教えてくれるのです。ですからみなさん達、花を見ながら心がなごやかになり、落ち着きます。そして花のようにじっと耐えしのぶという事を学ぶのです。

    花は自分からなにかを訴えることはありません。花は全く動かずに動物たちのなすがままになっています。このように自分からは行動しないけれどもずっと蝶やハチを待ち続け耐えしのんでいます。

    第四は精進波羅蜜、決して途中でなげ出したりせず努力を続けること。これはお線香が当てられています。

    一旦火を点けますと、途中で消えることなく、馥郁(ふくいく)たる香りを放ちながら最後までその役割を果し続けるからです。

    第五は禅定波羅蜜すべてのことがらに心を落ちつけて臨むということです。これは仏飯を当ててあります。ほどよくお腹が満たされると心が落ち着くからです。

    そして第六が智慧波羅蜜(般若波羅密ともいう)本当の智慧、やさしい心、人を愛する心を伴った、知識だけにかたよらない本当の智慧ということです。これには灯明(ローソク)を当ててあります。点る灯明は闇を照らします。仏の智慧に似ているからです。

  • 心に咲く慈悲の華
  • 私達が花を見るということは、仏様の慈悲が姿形を変えて私達に説法して下さっている。そしてその花は私達に忍耐、耐え抜く事を教えてくれているということです。

    今日は折角のご縁ですのでこの二つをおみやげとして是非持って帰って頂きたいものです。

    持って帰るという時の持つという字は手偏にお寺と書きます。お寺から合掌する素直な気持ちでしっかりと持って帰って頂けたら有難いと思います。時間がなく誠に簡単で恐縮ではありますが、この会がますます発展し、そして皆さん達の心にきれいな花が咲きますよう念じまして、私の法話を終らせて頂きます。

                                                            合掌

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