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2024年03月28日大日乃光第2398号
職場や学校を修行の場と定めて、明るい言葉で良き生活を始めよう

春の彼岸追善供養に思う
 
この原稿の執筆は、まだ今年の春彼岸供養を始める頃で、約半月ほど先んじています。皆さんが読まれる頃には桜の花が満開を迎え、多くの人が人生に於ける新たな門出の時期を迎えておられる事と思います。
 
当山ではお正月・春彼岸・お盆・秋彼岸の年に四回、「四度供養」としてご先祖様を供養します。今年も十八日から一時間ほど早起きして、皆さんからの通常の祈願に続けて彼岸供養をお勤めします。
 
この四度供養を勤めながらいつも思う事は、それぞれが過去から未来へと続く命のリレーの中で、ご先祖様の安寧を祈っておられる事。それと同時に未来の子孫に対して「幸多かれ」と祈りを込めておられる事を、改めて強く深く実感しつつ、至心に祈念してまいります。
 
子孫の幸福は人類普遍の願い
 
全ての人が自らの幸せと子孫の幸せを心から願っています。私自身も三組の娘夫婦とその八人の孫達に対し、一人一人の健康と共に「それぞれに幸せに生きていくんだよ」と、しみじみと願わずにはいられません。
 
私達は一人の例外も無く、子孫の幸せを願っているはずです。これはともすれば自分自身のためよりも、より切実で強い願いになるのかもしれません。
 
ここから身内の範囲を超えて、友人知人、さらにはご縁の深い方々、そして広くは地域社会にまで願いを広げて行ける方は、なお一層幸せな人であるに違いありません。
なぜなら個を超えてより広く、心を広げて祈る事の出来る人は、神佛により近づけるからに他なりません。
 
年度の変わり目に当たり〝一年の計〟を見直そう
 
さて、先ほど記したように、いよいよ新年度のスタートの時期を迎えます。
年の初めは正月。
運気の変わり目は節分。
そして年度の変わり目は四月。
 
二月の節分の時に、そのひと月前の正月に立てた一年の目標「一年の計」を、もう一度見直す機会として、節分を一つのきっかけにして下さいとお伝えしました。そしてこの四月にも、新年度に当たっての目標や計画を立て直して見られるようお勧めしたいと思います。
 
元旦には個人的な人生目標や、家族に関する計画や目標を立てる人が多いと思います。それに対して新年度は進学や就職、中には転職するという方もおられる事でしょう。そうなると、勢い仕事に関する事柄が多くなるように思います。
 
そんな中で、私達は信仰生活を「個人の生き方を支えるもの」としての捉え方から、さらには家庭や職場でどう活かすかに進めて考えてみたいと思います。
 
日本人の伝統的な仕事観は、己を完成へと導く「菩薩行」
 
「仕事」という字は「事に仕える」と書きます。その意味は「様々な事柄に、己を虚しくしてお仕えする」となります。
 
また、「働く」の意味は「側(はた)を楽(らく)にする事」といった考え方もあります。
「はた」とは、自分以外の周りの人々の事ですから、仕事とは、
「自分に与えられた役割に、己を虚しくして仕えるような心構えで努力する事によって、周りの人々の役に立ち、周りを楽にし、ひいては社会のお役に立つこと」
と言う事ができます。
 
このような日本の伝統的な仕事観に立つ時、仕事そのものが、そのままある意味では修行となり、「菩薩行」にもなるのです。
 
「菩薩行」とは、己の未完成を自覚する者が、完成を求め、向上心を持ち続けて努力を続ける生き方の事です。加えて社会や世間を少しでも良くしようと、様々な手立てを実行する行動の中に、「菩薩行」のもう一つの大きな意味があります。
 
まさに仕事そのものが、心の持ち方次第で、己を鍛錬し向上させながら、人様や世間の為になり、さらに真剣に仕事に携わる事自体が自分自身を向上させる修行ともなるのです。
昔ながらの日本人の仕事観には、このような意味合いが確かにあったのです。
 
形の有る僧侶の修行から形の無い在家の修行へ
 
私達真言宗の僧侶の基本的な修行は「三密の修行」です。「三密」とは、この私達の身体の働き、口から出る言葉の作用、そして意識(心)の動きを聖なるものへと高める密教の修行です。
 
【身密】…身体の働きの象徴として、合掌などのような、手によって様々な印を結ぶ事を通じて佛様の世界に近づく。
【口密】…口でお経や御真言、御宝号などを唱える事で、佛様の世界と一体化する。
【意密】…心の中に佛様の世界と、佛様の救いのお働きを思い描き、その佛様の思いや御心に、自分の心を同化する。
 
以上は形のある形式を踏まえた、専門的な僧侶の修行であります。これを「有相の三密行(うそうのさんみつぎょう)」と言います。
 
それに対して、「無相の三密行(むそうのさんみつぎょう)」というものがあります。
これは形のある密教的な、いわゆる「有相」の修行ではなく、形を超えて一般の生活の中で応用として行じられる修行の事です。
 
これは、例えば職場で上司や同僚、またはお客様などに、
・どんな表情で、どんな動作で接するか?【身密】
・どんな言葉遣いで接するか?【口密】
・どんな心構えで接するか?【意密】
 
などと、先の「三密」の身・口・意にそれぞれ当てはめ、生活や仕事の中で行じる事で、仕事や暮らしそのものが「無相の三密」の修行になるのです。
 
仕事を通じて実践出来る悟りに至る具体的な道筋
 
また大乗佛教の世界では、修行者が心がけるべき六つの悟りへの道筋として「六波羅蜜」が大事にされてきました。
 
一、布施波羅蜜(施しを実施すること)
二、持戒波羅蜜(良きルールを守ること)
三、忍辱波羅蜜(耐え忍ぶこと)
四、精進波羅蜜(努力を続けること)
五、禅定波羅蜜(真に心を落ち着けること)
六、般若波羅蜜(慈悲と一体となった深い智慧を身につけること)
 
この最初の「布施波羅蜜」は、僧侶でなくても誰でも実践できる行動であり修行でもあるのです。この「布施波羅蜜」を「無相の三密の修行」として実行する時の、具体的な手立てについて少し説明してみましょう。
 
日常生活の中で、いつでも誰にでも実行できる布施行として「無財の七施」があります。
 
一、眼施(げんせ)…優しい思いやりの目で接すること。
二、和顔施(わがんせ)…穏やかで優しい顔で接すること。
三、言辞施(ごんじせ)…優しい暖かい言葉で接すること。
四、身施(しんせ)…身体で出来る奉仕。
五、心施(しんせ)…心に思いやりの心を込めて人と接すること。
六、床座施(しょうざせ)…座席を譲ること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)…我が家に人を招き暖かくもてなすこと。
 
この「無財の七施」を「無相の三密」の立場から、職場だけでなく全ての生活の場面で活かす事を考えてみましょう。
 
今日、直ちに始められる「布施行」としての立居振舞い
 
相手にとって気持ちの良い身なりや清々しい笑顔、更には涼やかな眼差しをするように心懸けます。これらは全て、身体やそれに付随する【身密】の働きです。
 
身なりをサッパリと整える事は仕事に臨む上で大切な事ですが、それに加えて笑顔や優しい眼差しは、職場の同僚に対してあなたが出来るささやかな貢献です。それはまた、周りの全ての人々への奉仕行、無償のサービスでもあるのです。これらは身体を通しての布施、「和顔施」「眼施」「身施」となります。
 
次に気持ちの良い明るい挨拶、ハキハキとした返事など、相手を良い気持ちにする言葉遣いなどが【口密】です。これが「言辞施」になります。
 
以上の身体と言葉を使ったサービスや、奉仕としての「布施行」を、さらに心の込もった「心施」として、【意密】の段階まで高めて行えば、周りに良き波動を広げる事が出来ます。こうしてより良き職場環境が整います。
 
「私はまだまだ未熟者で、身、口、意の三つも同時には難しくて…」
と感じる人は、まず口による、言葉遣いによる【口密】としての「言辞施」を、具体的には「明るい挨拶」だけに意識を集中してみてはいかがでしょう。最初と最後だけでも、職場で明るい挨拶をしようと心掛けて実行してみて下さい。
 
その決意が出来たら、次は今日よりも明日、明日よりも明後日という具合に少しずつ、出来る事を増やしていく事が、ご自身の修行と思い定めてください。あまり難しく考えず、時には三歩進んで二歩下がっても良いのです。
 
特に、これから就職して社会人になる方や転職する方には、ぜひ以上のような、職場が人生修行の場であるという伝統的な価値観を、いま一度しっかりと受けとめて頂きたいと思います。そこからより良き新たな人生が始まるに違いありません。
 
古来より肯定されてきた人間本来の佛性と神性
 
人は生まれながらに「何が良い事で、何が正しい事か」、さらには「何が悪い事で、間違った事か」を知っている、分かっているとする性善説の考え方があります。
 
これは昔から子供を「子宝」と考え、子供を「神様のお使い」「佛様の子」とする考え方に、どこか通じるものがあります。私達日本人は佛教が伝来する前から、子供の中に神様と佛様を見出してきました。
 
果たして現代では、「子供は生まれながらに良い事、正しい事を知っている」と、素直に受け入れられる人がどれ程いるでしょうか?やはり、「人は教育によって人となる」というのが、現代では妥当な感覚ではないでしょうか。
 
確かに人は育った環境によって、考え方や行動の仕方が違います。しかし「何が良い事で、何が悪い事か?」となると、一種本能的に人は分かっている、という信頼感が私達の社会にはあります。
 
この事を佛教では、
「一切衆生 悉有佛性」
〔全ての生きとし生けるものは、悉く佛の種(佛の性質)を持っている〕
と言い習わしてきました。これは言わば人間に対する大肯定、人間尊重の原点とも言える言葉でしょう。
 
しかし何が良い事で何が悪い事かを本来知っている私達であっても、残念ながら、多くの人々が「我欲」という煩悩によって覆われてしまっています。その結果、元来円満で健やかな心の持ち主であっても、現実にはねじ曲がる事があるのです。
 
明るい声と笑顔の挨拶で心の垢落としを始めよう
 
そこで私達は日頃から修養や修行を通じて、この身と、この言葉と、この心を通じて、煩悩の垢を落として行かなければならないのです。そして、時には佛様の前に進み出て一心に懺悔し、自らの不徳を反省する機会を持たなければならないのです。
 
それと同時に、日々の暮らしや仕事の中で少しずつ心構えをより良く変えて行く事で、自分の心を素直にする事が出来るので
す。
 
そのためにも、まず最も簡単な言葉の使い道として、まずは自分から明るい声で挨拶をしましょう。それも出来るだけの笑顔で!声や表情が変われば、心も変わってくるに違いありません。
 
そして、行いの一つ一つが実は「奉仕行」であり、尽きることのない「布施行」の実践でもあると信じてやってみて下さい。そんな日々を送り始める中から、豊かな心が少しずつ周りに広がって行くに違いありません。
 
皆さんの明るい未来、福徳円満を心から祈りつつ。合掌



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