2000年12月7日第106号
幸福ニュース

インド珍道中記(その1)

今回、チベット難民支援のために約20日間インド各地を旅行しましたので、皆様にご報告したいと思います。旅のメンバーは4人、蓮華院国際協力協会の3人に現地の愛すべきチベット人通訳、飲んべえのガラッパチ、ツアンです。

【 インド珍道中記(その1) 】

インドでは、カルチャー・ショックにことかきません。頭の固い人はインドに行くとかなり柔らかくなるのではないかと思います。固定観念打破にお勧めのインド旅行です。

無事にデリーの一夜を過ごして、11月13日朝4時起きで、またもやデリー空港へ向う。6時発のライプール経由の飛行機で、9時にインド中部のナグプール空港に3人で到着する。 と、迎えが来ていない! 1時間待ちを覚悟したが、前回は3時間待ったとのこと。 あー前途多難! 最初はいらいらしていたが、2時間たったらあきらめた。しかたがないので、椅子に坐って資料を読んだり、空港の外の写真をとったりしていました。(インドでは、空港内の写真撮影は禁止です。)

デリーの旅行代理店と電話で連絡をとったが、一向に迎えが来ない。ついに12時になった。朝早くの出発だったのでお腹もすいている。日本人3人だけでナグプール市内に行き、車をやとって、チベット人居留区ノルゲリンへ行こうときまり、デリーの旅行代理店にその旨電話をしていた、まさにその時、やっとガイドのツアンが姿を現した。

聞けば、車の故障で修理に手間取ったとの事。しかし、運転手に聞いても「ポカン」としている。どうやら、一日2便のうち、朝と夜の便を間違えたらしい。おおかた、前の晩飲み過ぎて寝過ごしてしまったというあたりが、真相か?

これで、インドの時間のペースは3時間待ちという事がわかりました。しかし、それにしても、この通訳のツアンは憎めない愛すべき男なんですねー。お客より、自分が旅行とお酒を楽しんでしまうというガイドなんですねー。(でも憎めない、いいキャラクター。)

さて昼食も終り、ナグプールから一路東へ約180kmのノルゲリンを目指します。現地の地図にも載っていないへんぴな所です。日本だと2時間の距離ですが、インドではそういきません。約5時間かかりました。

出発後しばらくして、私は気付きました。車のサイド・ミラーが両方とも開かれていないではありませんか。そこで通訳のツアンに言いました。ところが、返ってきた返事は{これでいいんだ。}とのこと。ビックリしてまわりの車をみわたすと、街中を走っている自動車の6〜7割は、サイド・ミラーがないか、閉じているではありませんか。割り込みや追い越しが激しいし、オートバイや自転車をひっかけないためにも、普通サイド・ミラーは閉じているそうです。{アチャー!}

この状態で、猛烈な追い越しをかけ、また、かけられます。何度正面衝突かと思ったかしれません。インドでは古代と超モダンな現代が同居しています。幹線道路では、自動車が時速120kmで走っているその横を、人や牛車や相乗りしたオートバイ(最高は一家5人が乗っていた。)がトコトコと走っています。それどころか、スクールバスやトラックが逆走してくるのです。トラックの過重積載など日本の比ではありません。人が何人も外側や後にぶら下がっている車を見かけることもよくあります。デリー市内のバスは乗降口に扉がないか、開けたまま走っていました。飛び乗りもあるからです。

夕方近くなった頃、横道へはいりました。舗装してありませんので、もうもうたる土ぼこりです。写真では決して伝わらないもの、それは牛ふんの臭いとこの土ぼこりでしょう。その中を人々はひたすら歩いて家路を急いでいました。

とある貧しいインド人の村を通りかかり、20頭ぐらいの牛の群れとぶつかりました。牛をかきわけながら、車はゆっくりと進みます。牛の後を、私の娘と同じ10才くらいの女の子2人が、歩いていました。一匹の牛が大きなふんを”ボタッ”と落としました。と、一人の子がすばやく、その生温かい牛ふんをさっと素手ですくいあげたのです。インドでは原則として樹木を切れません。切るには許可がいります。こちらでは、牛ふんは貴重な燃料なのです。きっと家の近くで干して、食事のかまどの燃料にするのでしょう。しかし、私には今度の旅行で一番ショッキングな光景でした。

デリーも郊外にでると、牛ふん小屋が畑のあちこちにあります。牛ふんをピザパイくらいのおおきさにして乾かしたものを、たくさん円錐形に積み上げ、わらをその上にかけ、小屋のようにした、燃料の貯蔵庫です。雨季には、ここから取り出して使うそうです。また、非常に安い値段ではあるが、牛ふんの売買もあるそうです。

牛はヒンズー教徒にとっては、神聖なもので、殺して食べるようなことはしません。けれども、運搬や農耕用にはよく使いますし、牛乳やバターは食料として使われます。そして、ふんは燃料になるということで、そういうこともあって、大事にするようになったのかなーとも思ったしだいです。

日も暮れ、夜7時についたノルゲリン居留区は人口約千人の小さな村でした。現在、一番大切な収入源であるセーターの行商に若者や中年の働き手は出かけているとかで、お年よりと子供の多い村になっていました。

食べものは問題なかったのですが、トイレには最初困りました。インド方式で、トイレットペーパーがないのです。少し大きなカップ(1リットル位はいる)があり、水でもって左手で清めるのです。慣れると快適でお肌に優しい、昔のウオッシュレットです。暑い国ならではのことです。田舎では、早朝、道端にしゃがんで皆このエコロジカルなトイレをしています。何せ日本の10倍もある広い国ですからね。

こちらに来てひとつ気付いたのは、女性の服装です。男性は洋服が多いのですが、女性は昔ながらの民族衣装を着ているのです。ヒンズー教徒はサリーを、チベット人はチベットの民族服を、シーク教徒や回教徒はその服を普段着としていつも着用しています。

ヒンズー教徒は、たまに洋服を着ている女性もいますが、仕事の時もサリーを着たまま、頭の上にかごを置いて荷物を運んでいます。つまり、女性は服装を見れば、宗教や何人かわかるのです。

また、結婚しているヒンズー教徒の女性は、額に赤や青や黒の円い印をつけています。結婚式の時、儀式として、ご主人が頭につけるそうです。縦長の印は単なるファッションで、未婚女性が額にしています。チベットの既婚女性は独特の前掛け(エプロン)をしています。男女問題が起こりにくいように、昔の日本の鉄漿(おはぐろ)と同じく、わかりやすくしているのでしょうか。(続く)

【坂村真民詩集】

《 マニ車 》

長い間の念願が

やっとかなって手にした

チベットのマニ車を回す

右手持ち左回しのマニ車よ

これで一歩一歩の足に

しんの力が入ってきたことを

草木にも鳥たちにも告げ

旅を続けてゆこう

オン・マニ・ペメ・フム

何とよい真言であろう

光よ

わたしの行くてを照らしてくれ

【仏語集】

仏の教えは、相反する二つを離れて、それらが別のものではないという真理をさとるのである。もしも、相反する二つの中の一つを取って執着すれば、たとえ、それが善であっても、正であっても、誤ったものになる。仏の教えは次元を超えた中道であって、これらの二つの偏り(かたより)から離れている。(楞伽経等)

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