私が内観を思い立ったのは、横浜のホテルに置いてあった内観に関する本を読んでからのことです。職場に内観体験者がいて、一通り話を聞き、もしかして自分自身の欠点である二面性の修正ができるのではと考えて、参加しました。
私が内観に参加すると友人に話したところ、「何を今さら!」「まやかしではないか?」との批判もありました。
確かに自分は六十才の高齢で、既に人生の大半は過ぎて、妻と二人だけの生活であり、まだ小さい子供達でもいたら、あるいはより有効だとは考えましたが、今後妻と過ごす何年間でも、少しでも私の二面性(短気な所)が修正できたら、妻に優しい夫に変身できれば十分であると考えて参加しました。
妻は私の決心に驚いてはいましたが、「期待はしませんが、お父さんが行きたいなら行ってらっしゃい。」と、冷ややかな反応でした。今まで口先だけで「反省する。」と何百回も言っていたお返しがきました。
私は元来酒は飲めず、ゴルフ等はせず、タバコは十年前にやめました。今年の一月一日より、妻が最も毛嫌いしていたパチンコもプッツリと止めて、毎週の山歩きを唯一の楽しみにしている毎日です。
五十才に始まったパチンコ中毒も断ち切った私が、変身できない訳がないとの思いから、集中内観を始めましたが、自分の決心とは裏腹に、四日目までは何の気づきもありませんでした。
記憶をたどっても過去を思い出せず、ただいたずらに時が過ぎる事と、そのうち内観中に、仕事のこと、仲間のこと、家のことなど、本来の目的と違う方向に自分の意識が向き、また、内観のはかどらない事による睡魔との戦いにも苦労しました。
しかし、我慢の成果か、五日目の集中内観から少し先が見え始め、妻に対する二回目の内観では、思わず涙してしまいました。
私は外面がよいのですが、家では亭主関白で、妻が私の言うことに逆らうと怒ったり、暴力を振るったりしていました。
子供達がまだ学校の頃のある日、家に帰って来ると中から笑い声がしていました。「ただいま」と言って家に入り、茶の間に行くと妻が一人でいました。おかしいなと思って「今誰がいたのか。」と聞くと、息子と娘の名前を言いました。それぐらいの暴君だったのでしょう。
思えば、結婚の時も、妻の父の反対を押し切って私と結婚してくれました。また、私は60才の定年より早く会社を勝手にやめてしまいました。妻は内心では不満だったと思います。旅行にも勝手に行ったりしていました。口答えを許さない私や暴力を耐えて、子育てや日々の家事で私をよく支えてくれていたと思います。
今日家に帰ったら、妻にまずわびたいと思います。そして感謝のしるしに、妻の行きたい所へ二人で行く海外旅行をプレゼントするつもりです。
今は内観の入り口に到達した気がします。これは内観の手法が少し理解できたという事で、この内観体験を今後に活かすのは、誰でもなく、自分であると考えています。本当にどうもありがとうございました。