私は、内観を通して、物事の考え方・捉え方を好転させることが出来た為、それについて書いてみたいと思います。いくつかの事柄について内観を行ったが、最も印象深かったのは、自分の体についての内観だった。
私はこの前体調を崩しました。その時生まれて初めて40度の高熱を出し、何が怖いのかわからないのに不安で涙が止まらなかった。そばにいて涙をぬぐってくれた母にもちろん感謝しているが、私は熱を出して初めて自分の体が健康であることの有り難さを実感し、また、自分の体について内観してみようという気になった。
私は自分の体に、健康であると言うだけで沢山の事をしてもらった。目は初夏に生き生きと繁る草木の青さや空の色、夕焼けの赤くそまった雲などの自然を始め、大切な家族の表情を豊かに伝えてくれた。友達や先生、初対面の人とコミュニケーションをとるのに、目はとても大きな役割を担っている。
鼻は、雨が降る前の湿った空気のにおいや草木のにおいなどの良い気分にさせてくれるものから、危険なものを察知するために不快なものも教えてくれた。
口はたくさんの事を話したり、歌ったり、美味しいものを食べる為に役立ってくれた。逆に、危険なものも教えてくれた。
耳も、音楽や言葉、自然の息吹きを感じるために大切な器官である。
手が器用に動いてくれるから、私はピアノやドラムがやれるし、はしを握れるし、こうして文字を書ける。
足が動くからこそ、色んな場所に行って新たな発見をすることができる。他にも、自分の体がしてくれたことをあげれば、きりがない。
逆に、私が体にして差し上げた事には、入浴があげられる。毎日体をきれいに洗い、髪も洗う。乾燥している部位があれば、ハンドクリームを塗り、傷には軟膏や絆創膏を、筋肉痛になれば、湿布を貼ったりする。なんだか疲れやすい時には十分に休息をとったりもしてきた。
しかし、体に迷惑をかけることも多々ある。私はドジなので、小さい頃からよく転んだり、刃物を誤って刺してしまったりと、体には傷がたくさんある。一番大きなものは足の傷で、カッターを使っていたら、手が滑って何針も縫う大きなケガになってしまった。
また、私は胃の消化できる量が少ないのか、胃の容量自体が小さいのかわからないが、食べすぎて戻してしまうことが、わりとよくある。美味しそうな物を見ると、満腹でもつい食べてしまい、結果的に食べ過ぎて眠れず、オーバーした分を戻して眠ることがよくあるが、これは夜中でも胃は働かなくてはならないので、とても迷惑をかけていると思う。
さらに、私は無理をしがちである。もちろん休息を取ることはきちんとしているが、少々具合が悪くても、「これくらい大丈夫」と体に無理をさせ、結果的に本格的に体調を崩すこともある。特に体調が悪くなければ、夜更かしもつい、してしまう。
このように自分の体について内観した結果、私は高熱を出して涙がでたことは、今まで健康であることを当たり前だと思っていたからこその不安やおそれから来ている。つまり、生まれて初めて体験する高熱により、自分にとって日常のものであった健康が奪われ、未知の高熱が受け入れられなかったことによるものではないかと考えた。
健康を本当に失ってしまう前に、その大切さ、かけがえのなさについて気付くことができて本当によかった。
自分の体が自分の思ったように動いてくれないというのが、どれほど悲しいことか、今回の発熱、そして内観を通して知ることができた。
できる限り長い間、自分の体とつきあっていく為に、私は最近、家から駅まで自転車をこぐようにした。食事も食べ過ぎないよう気をつけ、間食をどうしてもしたい時には、おにぎりを食べてその分のご飯を食事の時に減らすなど、簡単に変えられるところから、行動を変化させ始めている。
無理をしないということが大切なので、これらの活動は、自分が負担を感じない程度のところまで、その実践をしていこうと考えている。