1999年12月10日第82号
幸福ニュース

お坊さんの内観(50才)

今回は禅宗の僧侶の方の内観体験記をお届けします。この方は、夫婦仲の問題で奥様が先ず受けられ、その勧めに従って、ご本人が来られたものです。

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今の今まで、自分は他人より高いところに居るとばかり思っていました。しかし、内観をさせて頂いて解ったことは、実は高いどころか、深くて暗い穴の中で、一人天狗になっていただけだったと云うことでした。

思いやりの無い、冷たい無慈悲な男であったことに気付かせて頂きました。過去に出会った多くの人々を自分の道具でもあるかのように思って、彼等の心を想うことなく、自分にプラスであれば関係し、マイナスだと判断すれば、直ぐ関係を断つという、まことに身勝手な生き方をして来たのでした。

他人には、{貴方の世界は貴方が造っているのですよ。}等と言ってスマシテきたのですが、自分の世界がこんなにも汚れている事に気が付きませんでした。

最も身近な存在である妻や子に対しても、冷たい目で欠点を指摘するだけで、{自分がやさしく包んでやる。}という事をほとんどしていなかった。本当に情の無い人間だったと思います。

禅が向上門なら内観は向下門です。この二つは車の両輪で、互いに助け合って仏道修行者を導いてくれると考えます。

禅寺の接心に参加する人々は、その前に内観道場で一週間の内観修業をしてからすることが、より一層深い坐禅が出来ると思えますし、、また反対に、接心の後、内観修行をすれば、より深い内観が出来るでしょう。

現在、多くの外国人が日本に坐禅修行に来ていますが、私の見るところでは、ほとんどの外国人が、彼等の文化の土台である、{自我}ゆえに、無我を欲求する禅の入り口で途方にくれている状態です。

彼等は、何故自我がいけないのかさえ解らないのです。子供の頃から、間違っていてもいいから自分の意見を言うように教えられてきたのですから、無理もないと思います。その点、内観は{我}というものが、一体どういうものであるかを彼等に教えてやる事ができるでしょう。

その恐ろしさ。日本人の我々でも、日常の生活では、気付くことさえ至難なのですから。

生半可な気持ちでは、自身の心に巣食うエゴを見付けることさえ難かしい。そのためにも一週間という長さは重要だと思いました。

禅は今や世界の人々の知るところとなっていますが、内観はまだ、そこまでいっていません。しかし、私には内観の方が、彼等の文化にはより重要な働きが出来るように感じられます。

外国人の指導者を育成することによって、急速に世界に拡がっていく事も大いに可能な事だと思います。

それはさて置き、私自身は、今回始めての内観体験でありますから、全く初歩的な内観しかできなかったので、これからは日常内観を続けることが大切と考えています。

妻も内観を続けているようですので、毎日の坐禅の時間を活用して、二人で続けていこうと思います。ありがとうございました。合掌

【坂村真民詩集】

《 ある人へ 》

光が射しているのに

あなたはそれを浴びようとしない

呼んでおられるのに

あなたはそれを聞こうとしない

手をさしのべておられるのに

あなたはそれを握ろうとしない

お経にもそんな人のことを

書いてあります

どうか素直な心になって

二度とない人生を

意義あるよう生きてください

【仏語集】

{自然体}

人を助けてあげよう
人々を救済しよう……という
勢いこんだ自我のある思いがある間は
本当はまだまだ小さき人間である
自分を真に知り尽くしたならば
そのようにはならないものである

助けてあげようという人も
救済しようという人々も
自分自身と一体になってしまうため
完全に差別化がなくなってしまうからである
差別化のある間は
助けてあげよう救済しよう……という思いが
出てしまうものなのである

自分自身を知り尽くし
自他一体になったならば
身分の上下 金持ち貧乏などの差別はなくなり
先生と弟子などの関係も
霧の如く消え去ってしまうのである

自分が偉い人であり
悟りを開いた人であり
先生であり
師匠であり
指導者であり
教祖である……と思っている間は
まだまだ小さき人間である

少しでも生きる道を知り
真理を身につけると
誰でも教えたくなり
人々を救いたく思うのであるが
それに表裏一体となって
くっついて離れないものがある

自分が偉くなり
悟りを開いたように思い
先生や師匠や指導者になり
教祖のように思いこんでしまう
元来人を救うことのできるのは
人間ではなく神仏なのである
人間はだだ神仏の道具となって
実行に移すのみである

これを感違いして
自分が偉い人になってはならない
あくまでも神仏の下働きであり
神仏の手足なのである
これを実感できないでいると
自分の心の中にデンと構えている
自己顕示欲の魔の牙にやられてしまう

このようにならないためには
いつも自分を振り返り
謙虚さをいっ時もわが心から離してはならない
そして神仏の道具に徹して生きていく
何のとらわれもなく
淡々とした人生を送っていく

人を助けようという思いが出たならば
神仏の思いなので気ばらずに実行に移せばよい
人々を救済しようという思いが出たならば
神仏の思いなので力まずに実行に移せばよい
その思いや行動の中に
{自我}を入れてはならないのである
あくまでも{自我}のない思いと行動が
神仏と共に生きることになるのである

まさに自然体の生き方である
自然体こそ神仏と一体になった
心と身体の姿である

(五井昌久師)

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第81号 感謝の心

第79号 内観の大切さ

第77号 兎三題

第75号 脳力開発

第73号 願いをかなえる法

第80号 小さな実践の一歩から

第78号 視覚障害者の日本縦走記

第76号 金持ちになる法

第74号 九州内観懇話会講演

第72号 遊び上手は生き上手

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