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2023年04月28日大日乃光第2369号
鯉のぼり泳ぐ五月晴れの下夭折の子供達にも慈悲の眼差しを

鯉のぼり泳ぐ五月晴れの下、夭折の子供達にも慈悲の眼差しを
 
初夏を告げる朴の花
 
毎朝の習慣で、朝の御祈祷を終えると貫主堂の二階の北側の窓を開け、奥之院の諸堂と開山堂の開山上人様を遥拝しています。すると、その窓のそばに枝を張る朴の木が、数日前から大きな花を咲かせていました。春から初夏への移り変わりが、確実に実感出来るひと時です。
 
これを書いたのは四月十七日でしたが、本誌が皆さんのお手元に届く頃は、四月二十九日の「南大門春まつり」の直前か、すでに終わっている頃かと思います。そして、早いもので今年も三分の一が過ぎた事になります。
 
馥郁(ふくいく)たる香りに真民先生を偲ぶ
 
本院では貫主堂の裏と、南大門の南に一本ずつ、種から発芽して成長した「実生」の朴の木に花が咲いています。奥之院にも二本あり、蓮華院には合わせて四本の朴の木があります。
機会があったらぜひ一度、花の時期に見てあげて下さい。
 
なぜ朴の木を植えたかと言えば、今は亡き坂村真民先生の詩集の中にたくさん出て来る、先生の大好きな花だからです。
 
真民先生がまだお元気だった頃、「今年も子供の詩のコンクールを開催致しますので、宜しくお願いします」と、年に一回は必ずご挨拶に伺っていたのです。
 
それがちょうど朴の花の咲く頃でしたので、先生が、「川原さん、これで酒を一緒に呑もう」
と、一片の朴の花びらを杯の代わりにしてお酒を酌み交わしたのを今でもよく憶えています。
 
朴の花はとても良い香りがします。部屋に一輪挿せば、部屋中が香りで満たされます。「我もかくありたし」と、自分の思いや願いが少しでも広がるように、そういう思いを抱いた先生との思い出でした。
 
今年も第三十四回「こどもの詩コンクール」の募集の時期を迎えています。ぜひ信者の皆さんのお子さん、お孫さん達に、このコンクールへの応募を勧めてあげて下さい。
 
野に咲く花に託された慈悲の御心
 
花の話題と言えば、今のNHKの朝ドラ『らんまん』では、主人公のモデルが植物学者の牧野富太郎博士とあって、皆さんも朝からたくさんの草花を観ておられる事でしょう。
 
これはかつて西大寺で聴いた、野に咲く花々についてのお話です。『大悲蓮華経』によれば、お釈迦様が亡くなられて五百年の間は正しい教えが伝わる「正法」の世、その後の千年までは「像法」と言って教えの形だけが伝わる世、そして千五百年以後は「末法」の世に入ると伝えられました。
 
この救いのないとされる「末法」の世について、こういう逸話があります。世界各地にお釈迦様の御遺骨(佛舎利)がありますが、それが末法の世に入ると地下に潜るというのです。そして暫くすると、何と天に昇り雨となる。人々の頭上に慈しみの雨となって静かに降り注ぐ。その雨が変化して草花になって花々を咲かせる。
 
人々に精進努力しなさいと促し、そして人に対する慈しみの心を与える。そのためにお釈迦様の御遺骨が変化した花が咲いているのだという非常に有難い話です。
 
その話を知っている事もあって、散歩をする時には、大体二歩歩む毎に「南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩」と御宝号を唱えながら歩きます。
 
行く先々にはたくさんの可憐な草花が咲いています。そして楠の木も青々と茂り、今まさに自然の息吹と言うか、大自然の恵み、そういったものが、私達に勇気を与えてくれる。そういう季節です。
 
この「末法」の世という事をはっきり自覚して苦悩し活動し、それに向かって「では末法の世に対して自分には何が出来るんだろう」という事を真剣に考えられて、生まれ変わり、死に変わりの輪廻転生を繰り返すのではなく、我が身を龍神に化して、衆生済度の御誓願を保ったままに修行を続けるという有難い事を、この人間社会で初めて実践されたのが皇円大菩薩様なのであります。
 
花に彩られた佛教の歴史
 
佛教では、お釈迦様のご誕生をお祝いする儀式を「花まつり」と称します。生花で荘厳した花御堂に誕生佛を安置し、甘茶を注いでお釈迦様を供養します。皆さん方も四月八日に「花まつり」で甘茶を頂かれたことがあると思います。
 
この花まつりはお釈迦様が誕生された情景を表すと言われています。約二千五百年前に、ルンビニーでお釈迦様が誕生されると甘露の雨が降り注ぎ、そのお体を清められました。そしてすぐに立ち上がると七歩歩まれて、右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と仰られたということです。この「天上天下唯我独尊」は、皆さんも一度は聴かれたことがあるかと思います。
 
この「花まつり」は子どもの健康を祈る行事でもあるため、蓮華院では四月二十九日の「南大門春まつり」に合わせて、南大門への参道の途中にある釈迦堂で行っております。
 
大四天王は護国の守護神
 
「南大門春まつり」は南大門の落慶と四天王開眼を記念して、今から十一年前の平成二十四年に始まりました。
 
南大門落慶法要は、あの東日本大震災から約四十日後の平成二十三年四月二十三日に厳修しました。当時、未曾有の大災害の直後とあって、様々な公式行事や催しが中止や延期となっていました。しかし南大門に祀る大四天王が、そもそも天下国家を守護する佛様である事から、自粛ムードの中にあっても、使命感のような思いで厳修したのでした。
 
その四年後の平成二十八年には、まさに熊本震災直後に、被災地の復興支援活動の一環として春まつりを開催しました。
 
令和二年にはコロナ禍によりやむを得ず一回中止となりましたが、翌年からは本堂で赤ちゃん土俵入りだけは執り行い、今年のコロナ明けの開催に続いています。
 
健康祈願の赤ちゃん土俵入り
 
「赤ちゃん土俵入り」は、平成十六年まで毎年五月三日に奥之院で開催してきた「大梵鐘まつり」の中で行なってきた催しでした。
 
当時は奥之院の仁王門の大仁王尊の勇姿にあやかって、赤ちゃんの健康を祈願する土俵入りでした。その後も、この「赤ちゃん土俵入り」の復活が期待されていました。そこで未来に対する明るい希望や、将来の夢を育む意味で、「南大門春まつり」の中で「赤ちゃん土俵入り」を復活しました。
 
「南大門春まつり」の「赤ちゃん土俵入り」は、元横綱白鵬と朝青龍を心象モデルにした四天王顕現にあやかっての土俵入りです。
 
そもそもこの南大門は、傍を流れる小川に掛かる小さな石橋に今もその名を留め、また付近の団地やアパート名などに使われるなど、玉名市築地の「南大門」という小字名として現在も受け継がれ、地元の人々が地名として馴染んできた、そして多くの人々から再建を待望されてきた歴史的・宗教的な建物でした。
 
「さつき供養」に込められた先代真如大僧正様の祈り
 
嬉しい事に、昨年、甥の啓照君に初めての子供が誕生しました。そこで数日前から奥之院の境内にも鯉のぼりを立てて、今青空の中を元気よく泳いでいます。
 
私には息子がいなかったので、三人の娘にそれぞれ長男が生まれた時には鯉のぼりを贈ったものです。
 
鯉のぼりが泳ぐ様は、穏やかな晴れた日には本当に「あー有難いな」「嬉しいなー」という気持ちにさせてくれます。鯉のぼりはまさに日本人の親が子を思う、祖父母が孫の事を思う、まさにその思いのシンボルなのです。
 
最近では鯉のぼりをあまり見かけなくなって、少し残念な事ではあります。皆さん達も子供やお孫さんが生れた時には、是非、鯉のぼりを揚げて頂きたいと思います。
 
この鯉のぼりの時期に当たって、蓮華院ではもう一つ、先代真如大僧正様が始められた「さつき供養」を思い起こしましょう。
 
鯉のぼりを揚げて子や孫の成長を祈り、お祝いする。その反面、この世に生まれることの叶わなかった子供達もいるのです。
 
経済的な境遇など様々な事情があるのでしょうけれども、そういう中で日の目を見なかった子供達の事を思えば、ただお祝いするだけでいいのかという先代の深い慈悲の思いがあって、辛い思いをしている親御さん、そしてその水子さんの魂を少しでも慰める事が出来ればという思いから「さつき供養」を発願されたのです。
 
厚生労働省の「令和三年度の出生に関する統計の概況」によれば、分かっているだけでも約十三万人の水子さんが有るようです。
 
またウクライナを始めとする世界の紛争地域や、食糧不足・貧困問題等を抱える地域では、多くの無辜の子供達が連日生命の危機に瀕しています。
 
日本では年々出生率の低下が進み、いよいよ少子高齢化や人口減少の問題が表面化しつつあるにも関わらず、他方では多くの水子さんが有る事も事実であります。
 
私達はそういった現実をしっかり見つめながら懇ろに「さつき供養」を修し、これからどの様な社会にして行くべきなのか、いま一度真剣に考えていきたいと念じております。合掌




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