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2024年02月28日大日乃光第2395号
一鉢の盆梅に込められた丹精にあるべき信仰生活を省みる

能登半島地震への第一次支援 炊き出しに出発したアルティック
 
本誌が皆さんのお手元に届く頃は三月に入っている事と思いますが、これを書いているのは、まだ二月の中旬頃になります。
 
一月一日の能登半島地震の発災直後から、れんげ国際ボランティア会(アルティック)は、現地の状況を独自のネットワークを駆使して情報収集し、支援のあり方を見極めてきました。
 
二月九日には信者の皆さんからの浄財を元に、支援物資を提供して頂いた玉名市近郊の農業生産者等と共に現地に派遣するスタッフ達の安全祈願祭を執り行いました。そして十二日にいよいよ二台のキャンピングカーを送り出しました。
 
彼らはまず第一次支援として、一日に約二百食の提供を目標に、十三日から二十日までの八日間、避難所で夕食時間帯の炊き出しを行います。
 
リーダーの久家事務局長は、過去の被災地支援の際の惨状と人々の苦境が脳裏に浮かんだのか、「今苦難のただ中にある被災者達の心を、私達の食事で少しでも…、心を温められるような支援をして行きたい」と、目頭を熱くしながら取材の記者団に語りました。
 
この被災者支援は熊本地震の際の全国からの心温まる支援に対する恩返しにとどまらず、それ自体がまさに皇円大菩薩様の衆生済度の慈悲行の実践であり、信者の皆さん方の篤い篤い信仰心の発露そのものなのであります。
 
先代の植樹を機縁に始まった二十回目の玉名盆梅展
 
さて、お寺では二月八日に玉名観光協会主催による第二十回「玉名盆梅展」が始まりました。三月三日の閉幕まで、境内の参道沿いに華やかな盆梅が春の彩りを添えています。
 
この催しは、「玉名温泉あったか物語」として、玉名市の冬の観光キャンペーンのために始まりました。令和二年から三年はコロナ禍により規模を縮小し、一部の盆梅を屋外に展示するのみでしたが、昨年、ようやく玉名盆梅展として全面的に復活を遂げました。十二回目となる平成二十六年頃には、梅の盆栽展として、質・量ともに〝西日本一の展示会〟と目される程になりました。
 
そもそもこの盆梅展の遠因は、昭和三十九年に、先代真如大僧正様が家族五人で佐賀の東妙寺に移り住んだ時に遡ります。その年から父(真如大僧正様)が、東妙寺の境内に梅の苗木を二百本ほど植えられました。
 
そして以前植えられていた古木も含めて、全ての梅の木に、番号と個別の名前を書いた木札を付けられて、それはそれは丹精に育てておられました。
 
市場に出荷されていた「東妙寺ブランド」の梅
 
やがて、以前から植えられていた梅の木がたわわに実り始め、十年ほど経つと若木も実を付けるようになりました。私も弟の光祐も、毎年梅の木を消毒したり剪定して、父の手伝いに精を出していた事を思い起こします。
 
梅が実る最盛期には、ビニールの網袋に「東妙寺の梅」と書いた紙札を入れて、高校に通う途中の青果市場に何度も自転車で出荷した事が懐かしく思い起こされます。その頃は「東妙寺の梅」というブランドで、佐賀県内外から高く評価されていました。
 
昭和五十二年に開山上人様の御入定によって、蓮華院に帰山されてからも、真如大僧正様は毎月の二十一日には東妙寺へ出向かれ、この時期にはよく梅の木を剪定されていました。
その後、東妙寺の境内の整備に伴って、二十本ほどの梅の木が蓮華院の本院と奥之院に移植されました。すると、それらの梅の木も必ずご自身で剪定などしておられました。
 
玉名温泉あったか物語の特別企画展として
 
そんな梅の木に対する先代の深い思い入れを汲んで、二十数年前に東妙寺伝来の梅の木を奥之院の桜ヶ池女池の畔に集めて、梅園を造成しました。その頃、玉名観光協会では冬の玉名温泉のキャンペーンが企画されていました。
 
当時は日本文化の一つの精華とも言うべき盆栽が、世界から注目されていました。特に中国経済のバブルと相俟って、空前の盆栽ブームがアジアで起きていました。
 
また、中国・韓国・台湾からの観光客を誘致するのが一つの流行にもなっていたようで、各地で盆栽の展示会が開催されていました。
 
そんな中、当山の奥之院の梅園で紅梅は一月から、白梅は二月中旬から咲き始めているのを見て、「玉名温泉あったか物語」の特別企画が案出されました。奥之院を会場にして、梅の盆栽展である「盆梅展」をその企画の一部として提案され、それを受けて「玉名盆梅展」が始まったのでした。
 
かつて梅の実を収穫するために、先代真如大僧正様が佐賀の東妙寺に紅梅・白梅を植えられた事をきっかけに、今日ここに「玉名盆梅展」として結実しているのです。何とも感慨深いものがあります。
 
ご利益を頂くための努力
 
かつて開山上人様が、「ご利益」を頂くためにはどうするべきかというお話を、奥之院に隣接していたミカン園のミカンの木に喩えて、こんな風に話しておられました。
 
「大きく立派なミカンの実を得るためには、苗木を植える前に大きく深い穴を掘り、そこに充分な肥料を入れ、その土にミカンの苗木を丁寧に植える。そして周りに草が生えたら全て抜き取って、苗木の周りに置く。害虫が付かないように何度も消毒をする。伸びた枝が交錯していたら剪定をする。こうして数多く手間暇を掛け、丹精を籠めてミカンの木を世話し続ければ、必ず立派なミカンがたくさん収穫できる。
 
これと同じように、大きな「ご利益」を得たいと願うならば、苗木にたくさんの肥料を施すように、自宅のお佛壇に対して、朝晩お茶やお佛飯をお供えして、少なくとも十分から三十分くらいは『在家勤行次第』に従ってお参りしなさい。このお参りする事が、ミカンで言う施肥に当たります」
 
人はただ漫然と生きているだけでも罪を犯すものです。これを「根本煩悩」と言います。
ミカンの育成で言えば、木の周辺に生える雑草に相当し、これを放置すると、苗木が草に覆われて枯れてしまいます。
 
この「根本煩悩」を取り去るのに相当するのが、当山で行なっている「四度供養」です。
そして日々思わず犯してしまう罪を抜き取るのは、月極めの「先祖追善護摩供養」に当たるのです。害虫除けの消毒は「健康祈願」や「開運祈願」に相当します。
 
さらにミカンの実を収穫した後の追肥に相当するのが、「開運祈願」であったり「学業成就祈願」、そして毎年の「星まつり祈願」と考える事が出来るでしょう。
 
棚からボタ餅では駄目!
 
これに対し、日頃佛壇に向かってお参りする事もなく、お供えをするでもなく、日々の生活では自分の事しか考えず、人の迷惑も省みない生活を送っているような人の中にも、いざ受験が迫ったら「受験合格祈願」をお願いしたり、病気になってからあわてて「病気全快護摩祈祷」をお願いする方もおられるかもしれません。
 
これらは、日頃はミカンの木をほとんど手入れしていないのに、立派なミカンの実が実る事を欲するのに似ています。人生には「棚からボタ餅」という事は滅多にありません。努力を続ける人は、やはりその努力に見合った結果が出るし、努力しない人がいくら高望みしても、それはほとんど叶わないのであります。
 
この事を佛教では「因果応報」と言い、「蒔かぬ種は生えぬ」と昔から言い習わしてきたように、人々に日々の努力の大切さを説いてきたのです。
 
二十回目の奥之院の盆梅展には、樹齢百五十年、或いは二百年の立派な盆栽が展示されています。これらは三代、五代、十代もの長きに亘り、多くの人々の手入れと心が籠められています。そうしてはじめて立派な盆栽として、今日ここに存在しているのです。
 
一鉢の盆栽から、皆様も先人の努力と丹精を感じ取って頂き、信仰生活の指標として頂ければ、この盆梅展を長きに亘りお寺で続けてきた甲斐があるというものであります。合掌




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