1999年6月1日第67号
幸福ニュース

今回は、{自分は何の為に生きているのか。}その答えを発見された方の手記です。単なるご利益信仰から脱皮して、その上のレベルへ成長していく心の軌跡がよくわかる体験発表となっております。宗教嫌いの方にも参考になるのではないでしょうか。

困難・苦悩も修行のうち・
全てに尽くす心を実践

初めに、六月大祭に参詣し、まだまだ努力精進の不足している若輩者の私に、体験発表の場をお与え下さったことに対しまして、貫主様をはじめ先輩の皆様方に深く感謝申し上げる次第でございます。

また、本日ご参詣の皆様方と同じように、これまでみ仏、皇円大菩薩様ただ一筋に信仰してまいりました私にとりまして、み仏様との目に見えない仏縁を深く感じ、信者冥利に尽きる不思議な感動を覚える次第でございます。

ところで私が皇円大菩薩様とのご縁をいただきましたのは、昭和50年の5月頃でございます。私の場含、当時、特にこれといって体に変調をきたしているとか、あるいは家族の者が何か病気や悩みをかかえているとかいった特別の動機はなく、学校の教師をしております私の姉から話しを聞いて、ここ蓮華院様にお参りさせて頂いたような次第でございました。

《恋人にでも逢うように》

ただその時、何が私を蓮華院様に向かわせたのかということにつきましては、ひとつだけ今でもはっきりと記憶に残っていることがあります。

それは、いつの頃からか自宅の本棚にありました御開山是信大僧正様のご著書である『霊導』を読ませていただいて、世の中には不思議なことがあるものだと思いつつ、またその反面「本当だろうか」と疑心暗鬼を感じながらも、「熊本の玉名に行くとすごい坊さんがおられる」ということで、お参りさせていただいたような次第でありました。

以来、私の蓮華院信仰も今年まで十八年余りに及んでいるわけです。しかし、その間、私自身の信仰の中味には若干の濃淡があるものの、やめようと思ったことは一度もなく、ただひたすら皇円大菩薩様の魅力にとりつかれ、今日に及んでいる次第であります。私の妻からは、「まるで恋人にでも会いに行くみたいですね」と冷やかされる始末です。

さて今晩は、ご案内のとおり先代真如大僧正様の一周忌法要の日でもございます。そこで私が今日まで、蓮華院信仰によって、私なりにみ仏様をはじめ開山大僧正様、真如大僧正様、貫主様によってお導きいただいた事と、ここまで到達させていただきました事について、私の師匠であり、かつまた、今でも私の心の中に生き続けておられる先代真如大僧正様のご霊前にご報告させていただくということで、少しばかりお話しをさせていただきたいと思います。

《真如大僧正様の思い出》

私が先代真如大僧正様から仏弟子として受戒得度させていただき、蓮華院の準教師にさせていただきましたのは、いまから七年前の昭和61年10月13日の事でございました。

そのとき、ここにおられるSさんYさん、それに私の三人が一緒に得度し、仏弟子にさせて頂いたのですが、私の法名だけが、なかなか決まらず、僧正様は長い時間をかけられて本当に心血をそそいで考えて頂いた事であります。

あれは、たしか得度式の一ケ月ほど前の9月12日の夜だったと記憶していますが、ようやく三人の法名が決まったということで僧正様のお部屋に呼ばれ、一人ずつ僧正様から申し渡されました。

お部屋に行ってみますと私の名だけが、長い巻紙に色んな名前が書かれており、そのなかからようやく{全真}という法名をみ仏様からいただいたのだと知り、これだけ僧正様がご苦労なさって決めていただいた{法名}なんだと思うと、改めて感動いたした訳でございます。この事は、今だもって私の脳裏に印象深く残っている真如大僧正様との思い出のひとつであります。

《戴いた御利益の数々》

さて、先ほど申しましたように、私は昭和50年5月に蓮華院様とご縁をいただいたわけですが、いま振り返ってみますと、昭和60年代の前半位までの約十年間は、正直申し上げて何か困ったことがあると蓮華院様にお願いするという、典型的なご利益信仰であったのではないかと思います。

しかし、今になって考えてみますと数々のご利益をいただいたからこそ、これから申し上げるような信仰に対する考え方を持てるようになったのだと思い、それはそれとして信仰の一過程なのだから、それでよかったのだと思っています。

そこで、ご利益ということで具体的な事を申し上げますと、昨年八十二歳で他界いたしました母の病気平癒の事や数度にわたる危篤状態からの奇蹟的な回復、または昭和54年に妻が長女を妊娠した際、妊娠に気づかず別の病気で入院して大量の投薬治療を受けたにもかかわらず、無事五体満足な子供を出産できたこと(この子が現在、中学二年生になります)等々、数々の驚くべきみ仏様のご加護を頂いたのでした。

そして最初の頃は、これら数々の、人智の及ばぬ、み仏様のご霊力と大僧正様のご祈祷に驚くばかりで、ただただありがたい、もったいないの一言でありました。

《み仏様からの問いかけ》

しかし、度重なるみ仏様のご霊力に思いを至す内、{これはいったいどういうことなんだろう}{私だけこういう得をしていいのだろうか}{み仏様は私に何を語りかけておられるのだろう}とだんだんと真剣に考えるようになったのでした。

この事がいつも頭から離れず、禅問答のようにずっと頭の中をめぐらせていたのでした。そしてようやくその疑問に対し、私なりに自信をもって納得のできる回答を見いだすことができました。

         {それは、み仏皇円大菩薩様が我々衆生に対し、誰もが早く幸せになって、生かされている生命を最大限に生きなさい。それも自分本位に生きるのではなく、他人の為に、地域の為に、そして社会の為に、何か少しでも役に立つ事をしなさい。それがあなたが、この世に人間として生まれてきた使命なんですよ、とおっしやっているのではないか。}と思うようになったのであります。

         これは利害や損得という観点から考えると、自分自身には一見何の得にもならないような生き方、まさに《損をするような生き方》なのです。しかし、{これこそが、み仏様のみ心に叶う生き方ではないか。}と、いま確信をもって申し上げたいのであります。

《ご利益信仰からの脱皮》

蓮華院信仰の原点は、申すまでもなく反省、感謝、奉仕であります。この原点に添って申しますなら、このなかで《奉仕》こそ、信仰の要となるものではないでしょうか。

御開山大僧正様がよくおっしやっておられましたように、{信者の願いは、皆叶わなければなりません。しかし願いが叶う為には、み仏様のみ心に叶わなければどうしてもいけません}と。

また、先の真如大僧正様も{み仏様から、よくやっているね、よく頑張っているねと褒められるように常日頃から努力しなければいけない。}とよくおっしやって頂きました。

この意味するところは、いずれも、み仏様のみ心に通じるためには「奉仕の精神」、つまり、自分以外の人への私利私欲のない思いやりの心の大切さや、苦しいことに出合っても、自分で乗り越えていく努力をすることの大切さを 教えて頂いているのではないでしょうか。そしてこれこそ、み仏皇円大菩薩様から本物のご利益を頂く為の最大の近道となるのではないでしょうか。

《人と社会に尽くす心》

最近私は、弘法大師様が『弁顕密二教論』の中で述べられた「衆生の秘密」という事について、切実に実感する事があります。

つまり、世の中の道理は、公然と誰の目にも見える状態であるのに、見る人が見る眼を持っていないために、その事を読み取れる段階までいっていない秘密の状態になっている、全く気づかない状況にある、といっておられます。

これはどういう事かというと、道端に落ちている石でも見る人が見れば宝石だとわかったり、野山の草でもわかる人が見れば薬草だと気付いたりするようなものです。

み仏皇円大菩薩様によって気づかせて頂いた自分を見るにつけ、この衆生の秘密を実感するとともに、自分にはいつもみ仏皇円大菩薩様がついていて下さる、ありがたいことだなあと思わずにはいられません。

人生はよく種まきにたとえられます。よい種をまけばよい実がなり、悪い種をまけば悪い実がみのります。人に尽くす者は、人に尽くされ、人を助ける者は人に助けられる、これは天地自然の理で有ります。

私は、くじけそうになったり、弱気になったりした時、いつどこにいても常に自分を見ていて下さる、み仏皇円大菩薩様に恥じない一日を過ごさなければと、常に気持ちを新たにするものであります。

《小さな灯明を点しつづけて》

しかしながら、世の中はいつもいいことばかりではございません。むしろ、なかなか思うようにまいらぬ事、困難な事の方が多いのが世の常ではないでしょうか。これもまた、み仏様が私達に与えておられる試練であり修行なのだというような気がいたします。

そして、つらい時でも逃げずに前向きに積極的に、自ら頑張って努力していく姿勢こそ、み仏皇円大菩薩様から{よく頑張っているね}と肩をたたかれる事につながっていくのではないでしょうか。

私は、北九州市の港町、門司に住んでおりますが、{この地にみ仏皇円大菩薩様からいただいたみ仏様のともしび}を消さないように、大事に大事にしながら、小さい光ではあっても一隅を照らしだせる灯となるように、自らを厳しく律し、努力してまいりたいと思っております。

最後に、先ほどから長々と申し上げてまいりました{世間や人様のために尽くすという利他行}と、車の両輪をなす大切なものと確信いたしておりますご先祖供養に、ここ十数年来、毎月六座のご供養を続けさせて頂いております。今後ともみ仏皇円大菩薩様に対する私のご先祖様への大切なご供養の気持ちのささやかな証として、生涯続けさせていただきたいと思っておりますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。合掌

【坂村真民詩集】

《 これからだ 》

小さい時からわたしの耳に
常に聞こえてきた
一つのことばがある
体が弱かったから
頭がよくなかったから
特に強く聞こえてきたのであろう
わたしはこのことばを
風のように聴き
自分を鞭うち励ましてきた
それが今もわたしの耳に
鐘のように響いてくる
これからだ
これからだ
本当の詩も
本当の字も
本当の信仰も
これからだと
耳順を過ぎた耳に
新しい年を迎えようとする耳に

【仏語集】

生があれば死があり幸いがあれば災いがある。善いことがあれば悪いことがある。人はこのことを知らなければならない。愚かな者は、ただいたずらに、災いをきらって幸いだけを求めるが、道を求めるものは、この二つをともに超えて、そのいずれにも執着してはならない。(雑宝蔵経)(The Teaching of Buddha)

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