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大日乃光






大日乃光

2018年02月07日大日乃光第2199号
今こそ信仰の原点に立ち返り皇円大菩薩様に真剣に向き合おう

結集十周年を迎えるスーパー・サンガ
 
去る一月二十日、チベット支援の催しが福岡でありました。「宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」〔略称スーパー・サンガ(SS)〕主催による集いでした。
 
この本堂の正面の護摩壇の左側に「チベット動乱犠牲者萬霊位」、そして右側には「東日本大震災犠牲者萬霊位」と書かれた位牌があります。
 
かつて五重塔内をチベットの曼荼羅と佛画によって荘厳した事からチベットとのご縁が始まり、アルティック(ARTIC=認定NPO法人れんげ国際ボランティア会)ではチベット支援を二十年以上も続けています。そして十三年前にはダライ・ラマ十四世法王猊下が蓮華院に御来訪頂きました。
 
このようにチベットとの絆が深まるにつれ、今も続く理不尽な民族弾圧、佛教弾圧、更にはチベット自体を無くそうとする動きが進行する中で、私は同じ佛教徒として黙って見過ごすわけにはいかないと、ついに幾人かの仲間と声を上げて先の会を立ち上げたわけです。
それが平成二十年五月の事でした。東京の日本記者クラブで記者会見をして、第一回目の「全国結集」をしたのが六月十八日でした。その後、関西や九州にも支部が出来ました。
 
昨年十一月には熊本、福岡にダライ・ラマ法王猊下がお越しになる事になっていました。
ところが猊下も八十二才になられますので、健康上の理由でドクターストップがかかり、東京でも福岡でもチケットが完売していたそうですが、ご来日は叶いませんでした。
 
現在全国のSSと「SS九州」の事務局長を務めて頂いている方が、各報道機関や役所窓口、公民館や駅等に非常に熱心にチラシを配り、多くの人に地道に呼びかけをされたお陰もあり、先の集いは二百五十人程も集まりました。この方を仮にKさんとします。
 
強いモチベーションを生んだある青年の贖罪(しょくざい)
 

かつて中国共産党は青年達を育てるために「紅衛兵」という組織を作り、『毛沢東語録』という本を使って、十代の純心な若者達をマインドコントロールしました。その紅衛兵達が振りかざしていた『毛沢東語録』は、言ってみれば中国共産党のバイブルのような本でした。
 
実はKさんは、その本を日本で出版販売していた会社の御曹司で、青年時代に父親が出版した本の考え方は素晴らしいと賛同されていました。ところが次第に事実を知るようになって、中国共産党はおかしいと思うようになったそうです。
 
Kさんは「かつて自分の会社は中国の本を出版して大きな収益を上げました。しかし共産党によってチベットでは拷問を受け、死に至った沢山の人達がいます。お坊さんは還俗させられ、お寺は九十パーセント以上が破壊されました。
 
このような実態を知るに従って、自分がかつてそういう考え方まで応援をしていた事に気付き、あまりにも申し訳なく、その事に対する罪滅ぼしという気持ちでチベット支援の活動を続けています」と言われました。現在は以前と全く違う立場に立った本を沢山出版されています。三年前にはチベットで行われた文化大革命についての本を翻訳出版されました。
 
また中国佛教協会の副会長まで務められ、今から十年程前にアメリカに亡命されたアジャ・リンポチェ師という高僧がおられます。この方は昨年十一月に当山にみえられました。そのアジャ・リンポチェ師の自叙伝は、最初に英語で出版されていますが、その後Kさんが日本語に翻訳して昨年出されています。自分が信じてきた事が間違いだったと気付いて罪滅ぼしをしようというその思いは、とても強いと思います。
 
ある評論家の思想転換
 
そのような例をもう一つお伝えします。かつて『朝まで生テレビ』などで保守系論客として一世を風靡された元東大教授の西部邁という評論家に、私は注目していました。経歴を見ると、二十~三十代に全学連のリーダーの一人として六十年安保闘争に参加していたのです。しかしそれが間違っていたと考えを改めてからは、完全に保守的で愛国的な立場に変わられました。
 
少し話が脇道にそれますが、かつて六十年安保闘争をやったリーダー達に、ある方が「あなたは安保をどのように改定すると具体的に書かれている文書をしっかりと読んだのですか?」と尋ねたところ、何とリーダーも含めて多くの人が「読んでいない」と答えたそうです。口では反対を唱えながら、何をどう変えようとしているのかは読んでいなかったのです。
 
三年前にも安保法制への反対運動が起きましたが、その時にもまた同じような質問をする人がいました。「あなた達は何をどう制定するか知っているのか?」と。すると法案をしっかり調べずに周りの空気に便乗し、雰囲気だけで反対している人がいかに多かった事でしょう。なぜ反対するのかなど、その原因も知らずに反対する事が、さも正しくて進んだ考え方であると思ってしまう人達にはどこか奇妙な印象を受けます。
 
さて、西部さんは去る一月二十一日に多摩川に飛び込んで亡くなられました。その前から「自分はもう死ぬ。日本にはもう愛想が尽きた。希望が持てない」という事を何回も話しておられたようです。しかし国や民族の未来を悲観したからといって、自殺という選択はいかがなものでしょうか?
 
チベットやウイグルの現状を知れば知る程日本の現状とは比較にならない絶望的な状況にある事を思えば、たとえその力が小さくとも、やはり私達は最後まで努力を続けて行かなければならないと思います。
 
逆境は信仰への道標になる
 
思想信条の転換を、宗教的体験に例えてみます。それまで全く神様佛様を信じる事の出来なかった人、縁の無かった人が、一つのきっかけによって神佛の存在を身近に体験する事は大きな転換点になります。
 
例えばある人が不幸にして病気になったとしましょう。家族が一心に佛様に願い救いを求めた結果、医者が驚くほどの快復を示したとしましょう。するとそれまで全く信じなかった人が「これは何なのか?」と驚き感動して、それまで全く受け容れなかった信仰に対する見方ががらりと変わってしまう事があります。
 
若い頃から信仰の家庭に育ち、何ら疑問を抱かず、家庭の雰囲気の中でずっと歩いて来られた人は、有り難い有り難いとこれからも歩んで行かれるでしょう。
 
ところがそういう環境に身を置かず、どちらかと言えば信仰に否定的な人が、自分に降りかかってきた災難をきっかけに、現代科学では解明出来ない不可思議な御加護を体験されると、それまでの考え方が変わる事があります(これこそ密教祈祷の方便の一つです)。
 
またそれまで全く信心に巡り合う機会がなく、死んだら終わりと思っていた人でも、自分の死が間近に近づけば、「死んだらどうなるのだろう」と、自分の事として考え始めるわけです。
 
火花を散らす熱い信心を捧げよう
 
また一方で、それまでも熱心ではあったけれども一時的に弛緩していて、もう一度気持ちを切り替えてまた真剣に佛様と向き合ってみようという人は、以前よりさらに強い信仰の中で、今の生き方やこれから歩んでいく方向に対して真剣に向き合う事が出来るに違いありません。
 
私自身はお寺に生まれてお寺で育ち、そして僧侶になる事を決めました。その最初の修行が高野山での修行であり、僧侶になる事を決意したのですが、修行期間を終えて普通の学生生活に戻ってしまえば、真剣に佛様と向き合って火花を散らし合うような事が出来ませんでした。人間とは弱いもので、安楽な環境の中に居るとそれが当たり前になってしまうものです。
 
そこでもう一度信仰の原点に戻り、そしてそこから帰って来て新たに自分を見つめ直すという事が、とても強い力を発揮すると確信します。私にとって若い時に寒中で水行をした経験は、その後の修行の中でとても大きな支えになりました。
 
やはり自分で真剣に求めなければ返って来るものも少なく、学ぶ事も少ないと実感しています。寒い時期ですが、その中にあって日頃の信心をもう一歩深めてみようという考え方で、何か一つでもきっかけを掴んで頂けたら有り難いと思います。寒い日々が続きます。皆さんお元気に健やかにお過ごし下さい。合掌




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