2025年09月06日大日乃光第2437号 貫主権大僧正様御親教
彼岸は遥か遠くに非ずと説く真言密教の「密厳浄土」とは
『彼岸は遥か遠くに非ずと説く真言密教の「密厳浄土」とは』
先の八月十日から翌日にかけて、熊本県の玉名市が線状降水帯による水害に遭い、その様子が全国に中継されました。そのため寺務所に多数お見舞いのお電話を頂戴しました。お陰様で寺内では本院・奥之院・御廟共に被害を被りませんでした。 皆様にはご心配頂きまして、誠に有難うございました。
しかし玉名市内をはじめ県内各所では避難生活が続いており、人々の健康や生活復旧も案じつつ、日々の祈願祈祷を続けております。
さて今回は、秋のお彼岸を前に、供養をされる時の皆さんの心構えと申しましょうか、お彼岸の信仰生活上の意味を少しお話ししてみます。
彼岸供養は国民的行事
私はこれまで仏教発祥の地のインドを始め、ネパールやタイ、スリランカなどの仏教国を含む十数ヶ国を旅する機会がありました。それらの国々に比べて、私達の住むこの日本には豊かな四季の変化があり、大変住みやすい国土であるとまざまざと実感しました。
この豊かな大地に住み続けたご先祖様達の長い歴史と叡知、そこに仏教の教えが加わって、世界にも類を見ない春秋の「彼岸供養」という民族の伝統が生み出されたのです。
それは法律にも明記されている程なのです。 昭和二十三年七月二十日に発令された「祝日に関する法律」の第二条に、「秋分の日 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」とあります。
このように秋のお彼岸は、ご先祖様へのご供養を「第一」とする日になっているのです。 私もかつて、秋のお彼岸を、 秋彼岸 先祖供養の種を播く と、一句詠んでみた事がありました。
仏様の数ほど数多ある浄土
先代真如大僧正様が貫主堂前の庭に植えられた百日紅の花が、七月下旬から咲き始めて今が盛りです。 その頃玉名では、ちょうど六時に朝日が東の木葉山から昇ります。
天気の良い日には日が昇る前の三十分ほど、本院から真北に当たる奥之院の五重御堂の高欄の朱色を溶かしたように、空の東半分が茜色に色づき、さながら「東方浄土」を思わせる雰囲気になります。
今、「東方浄土」と言いましたが、その言葉を「初めて聞いた」と仰る方も多いと思います。 西方十万億土の先にあるという阿弥陀如来の極楽浄土は有名ですから、日本人であれば知らない人はほとんどいないと思います。
そもそもこの「浄土」という言葉は、お釈迦様が沙羅双樹の樹の下で入られた「涅槃」(完全なる寂静、悩みの消え去った世界)の事を、後に大乗仏教が一人でも多くの人々のために開かれた世界にするために、また一人でも多くの衆生を救済するためにと編み出された仏様の国、仏様の住まわれる世界の事になったのです。
ですから本当は仏様の数だけ浄土があります。先の東方浄土は薬師如来や阿しゅく如来の浄土。また観音菩薩の浄土、別名「補陀落浄土」は南方にあると言われています。 そして大乗仏教の最終発展段階で生み出された真言密教、真言宗の浄土は「密厳国土」或いは「密厳浄土」という大日如来の浄土なのです。
「彼岸」とは悟りの世界
ここで話をお彼岸に戻します。 一年の内、太陽が真東から昇り真西に沈む日を「春分の日」と「秋分の日」と言います。
これを仏教では、春と秋のお彼岸の「中日」と称しますが、そもそもこの「彼岸」とは、どういう意味なのでしょうか?
中村元先生の『仏教語辞典』に【到彼岸】という項目があります。意味は「彼岸に至るの意。波羅蜜に同じ」とあります。
そこで【波羅蜜】の項を見ると「古くは『度』と漢訳した。度とは、渡った。到彼岸とは、彼岸に至ったの意。絶対の、完全な、という意」とあり、さらに「彼岸への道。完成。修行の完成。さとりの修行。さとりの道。さとりに至るための菩薩の修行」と続き、「六波羅蜜」の説明に続いています。
つまり「彼岸」とは修行の完成した境地、理想の境地の事であり、転じて悟りを得られた仏様の世界を表すようになり、在家信者にとっては安楽の世界、憧れの向こう岸として語り継がれるようになったのです。
これは先に触れた様々な仏様の「浄土」と同じ意味の言葉であると言えます。 それに対し、煩悩にまみれ、悩み迷える私達の住むこの世を「此岸」と言い、浄土に対する「穢土」、穢れた世界と言い表してきたのです。
二世安楽の密厳浄土
ここで私達真言密教における彼岸の意味について、少し踏み込んで話を進めてみます。 真言密教の「密厳浄土」は、どのように説かれているのでしょう。
真言密教では、私達が生きているこの世そのものが浄土であると説いてきました。 死後の世界、あの世、来世に浄土を求めるのではなく、今日ただ今のこの世、此の岸を浄土にしようという考え方なのです。
この事で、開山上人様は、 「蓮華院の信仰は二世安楽を皆さんに得て頂くためのものです」 と常々仰っておられました。 「二世安楽」とは、来世の極楽往生・完全成仏だけでなく、今生きているこの世でも幸福でなければならないという事です。 来世やどこか遠くに彼岸(浄土)を求めるのではなく、彼岸と此岸が重なった二世安楽の世界を求めるのが真言密教なのです。
この事を弘法大師空海上人様は、 「仏法(彼岸)遥かにあらず 心中にして即ち近し 真如(悟り)外にあらず 身を棄てていづくにか求めん…」(『般若心経秘鍵』) 仏様の教え(悟りの世界)は、遥か彼方にあるものではない。私達の心の中にあって、まことに近いものである。真理は私達の外にあるのではない。この身体を捨ててどこに求め得ることができるだろうか。 と説いておられます。
真言密教では、彼岸供養に当たり、この身今生を生きる中で、ご先祖様から脈々と伝わる命を生かされて生きている事への深い感謝を出発点として、ご先祖様への感謝の誠を捧げる気持ちの表れとしてご供養するのであります。 そしてご先祖様へのご供養の一部は、廻り廻って確実に私達へのご利益となって返ってくるのです。
生命輝く羯諦咒の響き
『般若心経』の終わりに、 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 という咒(真言)を唱えます。一般的には、 「彼岸に行ける者よ、行ける者よ。完全に、行ける者よ。皆を伴い完成に行ける者よ。幸いあれかし」 と、このように訳されています。
「彼岸」を遠くに求めるのではなく、今生を「生かされている」と実感しつつ生きる中で、この咒を唱える時、私はその調べをこの世とこの身の輝きとして次のように感じ取るのでした。
輝いた、輝いている、 完全に輝き、生き切っている。 生きとし生けるもの全てが 光を反射し合って生きている。 ここが密厳浄土なのだ。
私の心には、このように響いて来るのです。合掌

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