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大日乃光






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2018年06月19日大日乃光第2210号
信者一人びとりの幸せあっての寺院再興と佛法興隆

八百五十年大遠忌法要で奇跡のようなハーモニーに浸る
 
皆さんこんにちは。二時間近くのお坊さん達のお参りはいかがでしたか?声楽のような節の付いたお経の、素晴らしいハーモニーの中でお参りしました。皆さん方はこの波動を存分に感じとられたと思います。
 
「音楽」という言葉は「音を楽しむ」と書きますが、実は『観無量寿経』というお経に出てくる言葉です。お経に節をつけたのが日本における音楽の原型です。そういった意味では、内容は分からなくても心に響くものを感じられた事でしょう。
 
このような法要は滅多に致しませんが、先の法要は四十名以上の全国の仲間の僧侶の皆さんがリハーサルなしのぶっつけ本番でお参りしました。それがあのようにきっちり合うという、非常に有り難い事でありました。
 
遠路はるばるお参りの皆さん方には、折角ですので何かお土産を持って帰って頂きたいと思います。今日は「反省」「感謝」「奉仕」について改めてお話ししたいと思います。
私自身の反省であり、感謝であり、奉仕も含めてのお話を致します。
 
信仰になくてはならない原点とは
 
『在家勤行』の「開経偈」で「無常甚深微妙法 百千万劫難遭遇…」と唱え、その次に「懺悔文」で「我昔所造諸悪業、皆由…」と唱えます。その前には「三礼」で頭を畳に三回もこすりつけてお参りします。このように自分を低くすることからお参りは始まります。
 
十数年前の西大寺の大遠忌法要の折には、この半分位の信者さんが西大寺に集まりました。その時に蓮華院の信者さん達だけの法座を一座務めさせて頂いたのですが、その時西大寺のお坊さんから伺った話です。
 
蓮華院の信者の皆さんが一斉に三礼する様子を見られて、「誰が指揮しているんだろう?」「指揮者もいないのに、皆さんぴたっと合っている」「何という熱心な信者さんで、統制のとれた信仰だろう」と。
 
つまりお経と動作がきちんと合っているという事は、いかに日頃から熱心にお参りされているかを表しているのです。「我々の檀家さんや信者さんとは桁違いだな」としみじみ仰っておられるのを聞きました。
 
そういった意味で自ら頭を地に下げ、そして佛様を有り難いと拝む。自分の頭を下げる、低くする。その動作の中で「自分に間違った事はなかっただろうか?」と、深い反省をするという事は、実は全ての信仰の出発点なのです。これ無しには信仰はあり得ません。
 
中にはそれが無くても御利益を頂いている方がおられるかもしれませんが、そういう方の御利益は長続きしません。一回や二回ならば、皇円大菩薩様も折角来たから今日は御利益をあげようという事があるかもしれませんが、二回三回という事はありません。
 
ここで何が一番大事かと言えば、やはり深い深い反省、つまり懺悔をするという事です。
その心構えが備わっていなければ、本当の意味で信仰の道に入ることは出来ないのだと思います。
 
「集中内観」は深い信仰への道しるべ
 
そのために蓮華院ではもうかれこれ三十年近くなりますが、これまで四千人以上の人が「集中内観」を受けておられます。ところが信者さん達の中で「内観」を受けた人はまだそれ程多くはないのです。
 
私は八百五十年大祭を、私自身の人生から見て、やっと今折り返し地点だと思っています。
そういった意味でも信仰の出発点である「反省」、自分を振り返る事にとても有効な手だてが「集中内観」だと思っております。
 
例えば学生だったら春休みとか就職する前とか、定年になって時間があったら、ぜひこの内観をして頂きたいのです。
 
「内観」で噛みしめた父母の有難さ
 
ここで私自身が「母に対する内観」をした話をします。私の育った環境は、本当の家族は七人でしたが、それ以外に二十数名の方が修行のために住み込みでおられましたので、実質三十人程の家族の中で私は育ちました。
 
小学校の時、先生から「家族は何人ですか?」と尋ねられて「はい、三十三人です!」と答えたのを憶えています。母は朝昼晩、三十三人分の食事を作り、おやつも作っていたので大変忙しかったと思います。ですから母は、私を自分の子供だからといって特別時間をかける事が出来ませんでした。
 
私が小学六年の時に、家族五人で佐賀の東妙寺に移り住みました。その時初めて「天ぷらって温かい」と知ったのです。それまでは三十何人分作って、揃うまで待ちますから冷めてしまっていたのです。他にも、すき焼きに直接箸を突っ込んで食べる事に驚きました。
 
そういう中で、佐賀に行ってからようやく「お母さんってありがたいんだな」としみじみ感じました。クラブ活動で遅くなると、母は外をウロウロして待っていてくれるんですね。その姿を遠くから見て「あー心配しながら待ってくれているんだな」と。
 
それ以外にも、私が十八歳で高野山の修行道場に行った時、実は母は癌だったのです。私にも兄弟にも誰にも言わず、実の兄弟にも言わずに父だけが知っていました。
 
どうしてかと言えば、それを私が知れば心配で心配で修行どころじゃなくなると父が判断されたのです。父はあえて母の病気を教えずに私を修行に送り出して下さったのです。
 
その時の母の思いや父の思いを、「内観」していると何回もありありと思い出すのです。
「何と有り難い事か!」と、感動と感謝を伴って、今でも感じる事が出来ます。自分自身としてもそれに対して何かをお返ししなければいけないと思い、行動していく事に繋がって行きます。
 
もう父も母もおりませんから、別の形で誰かに恩返しをして何かのお手伝いをして行く、そういう事が大事だと思うのです。
 
永遠にお返し出来ない父母の愛情への恩返し
 
本当に優しくて、包み込む様な愛を持つ母親が全ての人に必ずおられます。お母さんに愛されてないと思っている人は、百パーセント、全くの思い違いです。子供を大事にしない母親はおりません。そう思えないのは自分の勘違いなのです。それに対してお母さんにして頂いた事、迷惑をかけた事は沢山あります。そして自分がお返しできた事は本当に少ないのです。
 
私も三十数年前に「内観」を創設された吉本伊信先生の道場に行きました。まず最初は「母に対する内観」ですが、母にしてあげた事の中で、たまたま今日は母の日ですが、カーネーションを母に贈った事を思い出したのです。
 
でもよく考えてみると、母の喜んでいる顔を自分が見るためにしたんだと気付きました。
結局母を喜ばせるつもりが、自分で喜んでいたという事に気付きました。そういった意味で深く自分を見つめて行くと、してもらった事の方が圧倒的に多いという事に全ての人が気付くわけです。それに気付かないのは、まだ充分深く母親や父親を見つめていないからなのです。
 
このような深い反省はコインの裏表のように、必ず深い感謝に辿り着きます。という事は深い内観をして深い反省をすれば、感謝もより強くなるという事です。そしてこの深い有り難いという思いを、ではどのようにして周りや社会に還元すれば良いのでしょうか?
 
恩返しを世の中に還元する「一食布施」と「同胞援助」
 
かつては「向こう三軒両隣」と言う表現がありましたけれども、普通の人は自分の住んでいる社会の中で、人々に何か出来る範囲の事をしていこうと思います。そういう事が原点になって、蓮華院では三十八年前から「同胞援助」という事を始め、現在でもそれを実行しています。
 
お寺では毎月八日と二十日は「一食布施」の日と定めて朝ご飯を食べず、例え僅かでもその分の食費を「慈悲行」としてお供えします。
 
そして毎月十五日は給料日ですが、この本堂で全員に直接手渡します。そこで「小銭を全部お供えして下さい」とお願いしています。そんなに高い給料ではなくても、一番大きい紙幣を出された人がいます。今は何も言わなくても、職員全員が「同胞援助」をしてくれています。
 
ぜひ皆さん方も、子供達に「これは世界で困っている人達のために出すんだよ」と言って、自分自身もご飯を食べないという姿を子供に見せて頂きたい。これは是非続けて頂きたいと思います。
 
信者と手を携えての祈願祈祷
 
先程森山信徒会会長様から、蓮華院が末永く栄えるように子や孫達に信仰を繋いでくださいと話されましたが、私は逆に、信者さん達が幸せにならなければ自分の祈願がまだ足らんのだなと反省させられます。
 
中にはとても大変な方が何人もおられて、遠くから電話がかかってきて、私は一所懸命に拝みますが、数があまりにも多く、それぞれに真剣に拝みますが、「あーまだ祈りが足らんな。信者さんが苦しんでおられるな…」という事を感じます。
 
これは偏に私の行が足りない、祈りの力が足りないという風にいつも反省します。皆さん達が幸せになって頂けなければ、私の安心、幸せは無いわけであります。誰もが幸せになって行かなければ、お寺が栄えるはずがありません。
 
先程、今が折り返し地点と言いました。これからも今まで以上に日々の祈願祈祷を真剣に務めて行きたいと思います。
 
しかし片手だけで拍手しても音は鳴りません。皆さん達が佛様の思いに答えて頂くことも欠かせません。私も真剣にお参りしますけれども、皆さんと私の祈りと願いが合わさった時に、初めて不思議な力、人智を超える力が頂けるのです。
 
この二十年で様々な建物が出来ましたけれども、その建設費の三分の二は全国の信者さん達の祈願料によるものです。奉納ではそんなに沢山集まっておりません。
 
特に多宝塔は奉納をお断わりしようと本当は思ったのですけれども、弟子の中から「それはあんまりでしょう、奉納を受けるようにして下さい」と言われ、『大日乃光』で一年ほどの期間、奉納受付をした程度です。その意味では、それだけ多くの方々が願いを叶えて頂いているという事でもあります。
 
八百五十年大祭でお持ち帰り頂きたい「お土産」
 
そして今日、この場で初めて皇円大菩薩様の前に五色の紐が下がっているのを「これ何だろー」と思った方がおられると思います。
 
この正面の皇円大菩薩様は衣の中で印を結んでおられますが、五色の紐はそこに直接繋がり、本堂の外にすーっと延びて、八百年大遠忌の時に建てられた石造りの塔婆に繋がっています。そこから一方は池越しに五重塔に延びて御本尊様に直接繋がり、もう一方は多宝塔の五智如来一体一体に全て繋がっています。
 
御本尊様の霊波が本堂前の塔婆に全部集まっていますから、今日は帰られる前に、ぜひ五色の紐に手で触れて、しっかり念じて、皇円大菩薩様の祈りのお力を、お救いのお力を最大のお土産にして持ち帰って頂きたいと思います。合掌




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