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大日乃光






大日乃光

2018年07月18日大日乃光第2213号
青年僧達と未来へと紡ぐ真言律宗と蓮華院の深い絆

「興法利生」に邁進された叡尊上人と真言律宗西大寺教団
 
先程別室で、「真言律宗青年会」の方々に、蓮華院と総本山西大寺の歴史的な関わりなどをお話ししました。日頃、この法座からは皇円大菩薩様を中心にお話ししていますが、今日は西大寺との関係を少しお話しします。
 
西大寺が中興されてまだ八百年は経っておりませんが、それより少し早い鎌倉時代中期に蓮華院が創建されています。その頃、「真言律宗」がどういう状態であったかと言えば、「興法利生」と言って、まず昔のお釈迦様の時代のように自分達の生活の規律をしっかり守りながら、その実践を通じて社会や人々の利益を増進しようと、戒律復興にまともに取り組んでおられました。
 
古き良き佛法を本気で復活させるために、戒律の復興と衆生済度に力を尽くしておられたのです。そうすると自然に信者さんが増え、その人々に戒を授けてお寺の活動にも参加して頂くようになりました。その人々を「斎戒衆」と言いました。今でもタイやスリランカではそうですが、僧侶はお金を直接扱う事が出来ません。そこを斎戒衆の人々が支えていました。
 
意外と知られていませんが、当時は江戸時代と違って自立した農民が沢山おられました。そういう農民達から、「西大寺に土地を寄進します。ぜひこの土地で色んな働きをして下さい」と、各地で次々に土地が奉納されました。
 
貧窮孤独の社会的弱者を救う福祉事業を担った鎌倉時代
 
叡尊上人のお弟子さんの忍性菩薩が関東に布教に赴かれると、やがて鎌倉幕府の信用が非常に厚くなりました。すると鎌倉の港に停泊する船の通行税や積荷への関税(現在に例えると空港に着陸する際の空港税のような一種の国の税金)の徴収を、鎌倉幕府が全て極楽寺のお坊さん達に委託するようになりました。
 
どうしてそこまでになったかと言えば、お寺や僧侶の役割というのは多くの人達を助ける事であると、実際に次々に地道な人助けの活動を精一杯行われていて、中には道を造ったり橋を架けたりと、そういう公共性の高い事業をもされていたからです。幕府としてもその実績に着目し、もっと進めてほしいという事で、税収まで委任するようになったのです。
 
その過程で孤独なお年寄り達を預かる施設や病院から、家畜の病院まで造られました。つい最近までハンセン病の人達は隔離政策で一定の離れ小島に集められ閉じ込められたり、熊本で言えば菊池恵楓園という施設に閉じ込められていました。真言律宗ではそういう人達のお世話をお寺の一角で行っていました。そんな時代があったのです。
 
真言律宗の寺院は今でこそ全国に八十数ヶ寺しかありませんが、鎌倉時代の末期から室町時代頃にかけては、全国のお寺の約半分は真言律宗に属す西大寺の末寺だったのです。九州には現在僅か五ヶ寺しかありません。蓮華院が中興されていなければ、佐賀の二ヶ寺しかなかったのです。
 
ところが少し古い歴史を調べてみれば九州の各県に錚々たるお寺がありました。そしてそのお寺は必ず交通の要衝にあったのです。
 
侵略者の命の安全をも祈った石清水八幡宮での大祈祷
 
叡尊上人の晩年に元寇がありました。「文永の役」と「弘安の役」です。佐賀の東妙寺は文永の役が終わってから四年後に創建されています。
 
叡尊上人は後宇多天皇から「九州に寺を建てるので、ぜひそこで敵国退散の祈祷をしてほしい」と依頼を受けられましたが、「私は京の都を守ってここでお参りします」と言われ、やがて後宇多天皇の勅願により、現場に近い佐賀に東妙寺が建立されました。
 
先程、大阪の莊嚴淨土寺の松村さんのお話の中で、住吉大社の宮司さんがお寺を創ったと仰いました。その当時はお宮とお寺がセットで建立されていました。また京の都の北東の鬼門には比叡山延暦寺があり、反対側の裏鬼門を守るために石清水八幡宮が造られていました。近代においても日本が国難に直面した時に、天皇陛下が自らお参りされるのがこの石清水八幡宮なのです。
 
元寇に当って、叡尊上人は三百余人のお弟子さんに加え、南北二京の合わせて五百六十余名の僧侶を引き連れ、現在西大寺にあります愛染明王という秘佛をこの石清水八幡宮にお祀りされて、一斉に敵国退散の御祈祷をなされました。
 
その時の願文の大事な部分にこう書いてあります。「八幡大菩薩におかれては、東風をもって兵船を本国に吹送り、乗人を損傷することなく乗船を焼失させ給え」と。我が国を侵略に来た元軍の兵隊達が一人も傷つかないように、東風によって軍船を大陸に吹きやり、船だけが焼失しますようにと皆で真剣な祈りをされたのです。
 
すると愛染明王が掲げていた矢が西の空に飛び去ったという言い伝えがあります。まさにその時、「神風」が吹いたという事なのです。当時の人々からすると、叡尊上人は絶大なる御祈祷力によって敵国を退散させた中心人物だったのです。
 
現在では戦後教育の中で神風の実態や言い伝えはほとんど伝わっておりませんが、我々西大寺の側としてはそういう認識を持っています。叡尊上人は元軍の沢山の兵士が溺れ死んだという報を聞いて、自らの徳がまだ足りなかったと非常に懺悔されたと伝わっています。
 
西大寺の「過去帳」に刻まれた肥後浄光寺蓮華院の名跡
 
その頃、蓮華院はすでに真言律宗に属していたと思われます。この元寇の少し前から、西大寺では毎年十月三日に「光明真言土砂加持大法会」が行なわれるようになりました。かつては全国の末寺の住職やそれに類する人達が西大寺に集い、一週間もの間、夜通し徹夜で交代しながらお参りを続け、一日四回は全員でお参りするという形式で執り行われました。
 
これは現在も続く伝統的な法要です。(現在は三日から五日まで。)その法要の中で、西大寺中興以来の全ての末寺も含めた僧侶の名前が書かれた「過去帳」を読み上げて供養する作法があります。私も数百年前の過去帳を直接読んだことが何度かあります。
 
蓮華院はかつては浄光寺と称していました。浄光寺の中に蓮華院があったわけです。「肥後浄光寺○○坊」と、西大寺の過去帳にもはっきりと、かつての蓮華院の僧侶の名前が何人も記されています。
 
その当時は東妙寺の御住職と蓮華院など九州の御住職がどこかで落ち合って一緒に船に乗り、奈良に入って行くという事を毎年行っていたのです。今は九州に五つしか末寺がありませんが、昔はもっと沢山あって、全国各地のお坊さん達が数百人また千人以上、西大寺に集まって来られたと聞いています。
 
消えた歴史の奥に垣間見る宗祖叡尊上人の様々な事績
 
先程紹介がありました京都の橋寺さんと奈良の般若寺さんには、どちらも石造りの立派な十三重石塔があります。私も直接拝んだ事がありますが、この十三重の塔を造るというのも西大寺の独特な発想です。
 
特に橋寺さんの塔は、宇治川の橋が何回も壊れるので叡尊上人が出向かれて、人々を指導しながら橋を修復された頃に建立されました。それと同時に宇治川で漁を生業にされていた人々に、これからは殺生をせずにお茶を栽培しなさいと職業指導もなさいました。全国に名高い宇治のお茶はまさに叡尊上人が指導された時に始まり、当地の人々の定職になったのです。そして「一味和合」の精神で皆で一緒に一つのお椀でお茶を廻し飲みする「大茶盛」が盛んになり、現在に伝わっているというわけです。
 
そういった中で江戸時代の末期までは、西大寺の末寺は全国に千ヶ寺以上あったと言われています。ところが真言律宗は神道との結びつきが特に強い宗派でしたので、明治時代になると「神佛分離令」によって大変大きな打撃を受け、ほとんどの寺が宗派を変えたり、廃寺になりました。
 
〝塔を建つるは願いを立つるなり〟
 
そういう中で、「真言律宗青年会」がこうして結成されて五年目と聞きました。我々の宗団が持っているかつての輝かしい伝統、それを「昔はこうだった」といくら言っても単なる昔話に過ぎません。
 
蓮華院では、皇円大菩薩様の深い思し召しと先代の発願によって五重塔を建立致しました。蓮華院にかつて五重塔があったという確証はありませんが、西大寺にはかつて五重塔があった証拠となる基壇が現在もしっかり遺っています。
 
ですから私は三代の管長猊下に、ぜひそこに五重塔を再建するという発願だけでも立てて下さい、ぜひお願いしますとお伝えして参りました。
 
一たび願いを起こせば、そこから何代かけても絶対やり通すという気迫が生まれます。何も塔を建てる事だけが素晴らしい事ではありませんが、何か大きな願いを立てる事で人々が具体的に動き出し、そして西大寺の歴史と使命をもっと認識し大切にするようになると思います。
 
そしてその中で、それぞれが人々の悩みや苦しみに向き合う「興法利生」や「一味和合」を更に実践していけるようになる。それは必ずや、西大寺が宗団としてそれを実践していく時の力強い一歩を踏み出す大きな力になると思います。
 
世代間の交流が宗団を活性化する
 
若い人達は「青年会」の統一した意見として、西大寺に「是非これをお願いします」「我々も頑張ります」という風にして頂くと、もっと宗門が元気になり、社会のために役に立つ意味のある宗団として活性化するのではないかと思っております。
 
かく言う私自身、若い時分には様々な意見を言っていたものです。若くなければ出来ないことがあるのです。その反面、年を取らなければ分からないこともあります。しかし、あまり分別くさくて、結局何も行動を起こさないのではいけないと思います。
 
ここはぜひ、皆さん達若い人達に「思い切ってやりなさい」と申し上げたいところです。
一方で壮年老年の人達も、自分の後ろ姿で「爺ちゃんも婆ちゃんも頑張ってるな、よし自分もがんばらなくちゃ」と若い人達に思わせるように、家庭や地域における役割をそれぞれに発揮して頂けたら有難いと思います。
 
大きな目標や願いを立てる事は、一人の人生や家族の運命まで大きく変える力を持っていると思います。
 
時代を超えて宝灯を輝かせたい
 
昨日から、青年会の皆さんには遠路遥々お越し頂き有難うございます。皆さんはそれぞれ謙遜して仰いましたが、歴史的には蓮華院よりも遥かに古いお寺ばかりであり、そして途絶える事なくずっと続いてきた名刹ばかりです。
 
その続いてきた祈りと、各寺院の御本尊様のお力を信じて行動を起こして下さい。その事で真言律宗がさらに輝きます。蓮華院も一緒に頑張っていきたいと思います。
 
どうか皆さん、これからお互いにこれまで以上に支え合って頂ければ有り難いと思っております。合掌




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