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大日乃光






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2018年11月30日大日乃光第2225号
家庭での良き習慣の復興で日本人の良さを取り戻そう

「文化の日」の歴史を繙く
 
去る十一月三日は奥之院大祭でしたが、この日付が何の日かを調べてみました。

最初に出てくるのは「文化の日」です。もう一つは「文具の日」というのがあります。それから「憲法公布の日」になっています。大筋ではそこまでしか出てきません。しかしひと昔前は明治天皇の誕生日でしたので明治節(その前は天長節)と言いました。

そこで天皇誕生日を調べてみました。昭和天皇は昭和の日になっていますから、四月二十九日と分かります。大正天皇になると、在位期間が短くほとんど知られていませんが、八月三十一日だそうです。そして今上陛下が十二月二十三日という事です。

今年は特に明治維新百五十年という事で、ある意味で節目の年にあたるのですが、明治天皇の誕生日とか明治節というのはほとんど話題に出てきません。その代わりに今、特に出てくるのは十一月三日が新憲法公布の日という事です(五月三日は憲法施行の日です)。

来たる十二月二十三日は今上陛下の御誕生日です。私は二十年以上この日を結願の日に定めて、昨年まで二十六回、八千枚護摩を修してきました。今年は祭日としては最後になるかもしれません。二十三日の準御縁日と天皇誕生日が重なるという事で、非常に有難かったのです。

皇太子殿下の御誕生日は二月二十三日ですから、十二月二十三日に八千枚護摩行を成満出来るのはこれで最後になるかもしれません。

この明治節をなぜ文化の日にしたかと言えば、これは明治節を残したいと思う人達の働きで、文化の日という名目で辛うじて残されたわけです。
 
七十年で「武」を見失った日本人
 
ところで明治天皇は果たして文化だけのお方だったのでしょうか?最近はあまり言わなくなりましたが、スポーツ選手が勉強も出来ると「文武両道」と言いますが、サッカーや野球はそもそも「武」ではありません。ここに現在「武」の意味が分からなくなっている一端が表われています。

「武」というのは字の如く戈(矛…槍のような武器)を止めると書きます。「武」という字の矛を止めるという成り立ちは、実は自分自身を省みる「戒律」の「戒」と非常によく似ています。戒律の戒も矛を振り向けるという意味です。一本横線に縦二本で、これは振り向けるという意味なのです。

ですから武という文字で表される意味は、実は相手から攻められないように止めるための手段なのです。日本の陸海空自衛隊も他国から攻められないように止める防衛力なわけです。

もっと深く歴史的に言えば、武は元々は戦いであり、戦いのための具体的な手段だったわけですが、それが今では「武道」として自身の人間性を高めるものという風になっています。例えば武道の達人は、相手を殺傷するのではなく、相手に刀を抜かせない事が究極の武道の心構えと言われるわけです。

ところが日本では本当の意味での武という考え方が分からなくなってきつつあり、それが日本の周辺事情を難しい状態に陥らせている面があります。

そういった中で、十一月三日の文化の日を検索しても、先程の武とは全く関係なく、まさに憲法公布の日という形になっています。

七十年以上も憲法を変えていない国は、世界中に日本だけです。今、安倍総理が一所懸命頑張っておられますが、憲法を七十年も変えずに済んだという事は良い事の反面、自分を見失っている面があるとも言えます。世界を厳しく見つめる時、逆に私達の身近な生活をもう一度見直してみる事が必要です。
 
海外からの目線だからこそ見えてきた変化の兆し
 
私には身近な友人以外にも、所謂SNS社会で沢山の知己を得て、特にこの人の発言を読んでみようと思う方が幾人かおられます。

その中に日本には数年に一回しか帰って来られない、アメリカ在住の日本人がおられます。「数年に一度日本に帰ると日本の変化が良く分る」とその人は言われます。そして日本人の精神性や勤勉性など、そういうのが壊れかかっているのを見て非常に怖くなると書いておられます。

「かつての良き日本ではなくなりつつあるのではないか、このままいけば日本という国はガラガラっと壊れてしまうのではないかと非常に心配する」という文章を度々上げておられます。

日本人の良さがなくなりつつある、その背景には一体何があるんでしょうか?家族が一緒に食事をする。その時、食事そのものに感謝する事。佛壇・神棚にお参りするなどを今の家庭ではあまり躾ていないのではないかと思います。ですから小学校では、家庭で躾なければいけないような基礎的な事、例えば箸の持ち方から学校で教えなければならなくなっているなど。

私達日本人の生活習慣を支え、日本人を形作っていくのは何と言っても家庭教育です。家庭における良き生活習慣、一緒に食事をし「頂きます」と言う作法であったり家族が互いに助け合ったり、両親や祖父母、そして年長者を尊重するとか、そういう家庭教育があまりにも出来ていないからじゃないかという事を、先の人は書いておられました。私もほとんど賛同しています。
 
過去から未来への繋がりの中で生きる自覚
 
そういった中でもっと大切な事は、実はその背後にある、日本人独特の先祖を大事にするという考え方です。先祖を大事にするという気持ちが無くなると、過去の歴史に対する尊敬の念が格段に下がっていきます。

実は一ヶ月程前に親戚の方が亡くなり、お葬式を致しました。これは本当に滅多にしないのです。そして毎週七日七日ごとに、初七日、二七日と…明日が五七日になります。これまで毎週お寺にお参りして頂いて、一緒にお参りをします。

その時に必ずお話しするのは先祖供養の意味や先祖と向き合う事です。私達は亡き父母の悪口はお葬式でも四十九日でも一周忌でも普通、言いません。という事は、日本人は自分の父母、または親族の良い所を一所懸命見いだして、それを何とか引き継ごうとするのと同時に、自分の中にそれを活かそうという気持ちをしっかりと持っているわけです。

私達は今一緒に生きている家族や仲間や先輩・後輩・先生・友人達との同じ時代を生きる仲間意識や繋がりの中で生きています。それと同時に御先祖様に対する感謝の気持ち、もっと言えば過去の歴史に対する温かい眼差しが大切だと思います。

過去に対する温かい眼差しを持っている人だからこそ、子孫に対して何を残すべきなのか、過去から未来に繋がる流れの中で、今自分はここを担当しているんだ。ここを受け持っているんだという気持ちのある人は、過去の良い所をぜひ次の世代にも残そうと努力するわけです。それを支えているのが日本人の先祖を大切にする気持ちです。

そしてその事が今、急激に減ってきているのではないかという気が致します。一言で言えば過去に対する感謝、先人に対する共感が減ってきています。
 
地域の偉人を顕彰する意義
 
今、玉名では来年の大河ドラマの主人公の一人、金栗四三さんで盛り上がっています。今日(十一月十三日)はその金栗さんの御命日です。玉名出身の金栗四三さんは日本人初のオリンピック選手であり、「マラソンの父」です。熊本県初代の教育長でもありました。なお正月恒例の箱根駅伝を始めた人でもあります。

玉名地域では、方々で「金栗四三有縁の地」という幟がたくさん立っています。金栗さんはもう三十五年前に亡くなられた人ではありますが、娘の母校にはこの方の銅像が立っています。現在新幹線の新玉名駅にも銅像が立ち、除幕式がありました。

一人の人物を顕彰する事を通して玉名の地域を活性化するのが目的だと思いますが、本当はもっと広く、他にも多くの偉人を地域の子供達に教え伝えていく事が大事です。自分の両親や祖父母の中に偉人がいたら、おそらくそういう人は心の中にプライドを持って生きていると思います。

戦前は修身の教科書でそういう人物を取り上げていました。そして名もない身近な人も取り上げていたのです。現在は過去の偉人を取り上げたり、地域の偉人を子供達に教える事をほとんどやっていません。私達自身がもっともっとそういう事に意識を持ちながら、せめて自分のご先祖様に感謝するという事を伝えなければなりません。

またそういう姿を子や孫にしっかりと伝え、意識を刷り込んで行くという事が、日本をもう一回しっかりした国にしていく上で、とても大事な役割だと思います。
そんな中で、信仰の役割というのはとても大きいのです。
 
御誕生の地の蓮華院で結ぶ皇円大菩薩様との心の繋がり
 
皇円大菩薩様もこの地に生まれ、実在された歴史上の偉人のお一人です。私達は皇円大菩薩様とこの地を通じて、開山上人様を通じて繋がっているのです。血の繋がりはなくても心で繋がっているという、その事を信仰の中にも活かしていって頂きたい。

欧米でもキリスト教信者が減っているそうです。そういった中で世界が寛容さをなくし、そして余裕を持って人々に温かく接する気持ち、そういったものが段々段々衰退しているようです。

こういう時代だからこそ、私達は反省・感謝・奉仕の三信条を胸に抱きながら、これから年の瀬、そして新年に向かって家族の気持ちを一つにする方向に導いて行って頂きたいと切に念じます。合掌




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