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大日乃光






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2019年02月08日大日乃光第2231号
真剣な祈りの信心浄化で寒気に打ち勝つ健康を

心の面が失われた「健康」
 
先月の一月二十日はやや寒さが和らぎましたが、暦の上では「大寒」の始まりでした。
暦の上での言い方よりも、実際にはもう少し遅れてもっと寒い日が続きます。皆さん、くれぐれも風邪をひかないように、そして健康でお過ごし頂きたいと思います。
 
さて、今日も添え護摩祈祷の願文には健康祈願が多く、開運と健康を合わせると全体の三分の二近くになります。この健康祈願の「健康」は健やかで康(安)らかと書きます。実はこれは省略した言葉であり、本当は「健体康心」なのです。
 
これは佛教的な解釈かも知れませんが、この「健体康心」は健やかな体と康(安)らかな心という意味で、体と心の両方が康(安)らかであり健やかでなければ健康とは言えないという事なのです。
 
西洋の概念を翻訳した明治時代
 
明治の頃に外国、特にヨーロッパから沢山の学問が書物と共に日本に入ってきます。政治に関する事、自然科学に関する事、経済に関する事など、様々な学問が多くの言葉と共に入ってきます。
 
その中の「経済」と言うのは、本当は「経世済民」と言います。世を経め民を済(救)うという意味です。それを略して今では経済と言います。略してしまうと本当の意味が何だったのか分からなくなってしまい、「経済」と言えばお金儲けの事の様に思ってしまいますが、本当は違うのです。この様に略した為に本来の意味が分からなくなっている言葉が沢山あるのかもしれません。
 
 
「宗教」も「佛教」も日本人の発案
 
明治期に翻訳された言葉が沢山あります。たとえば現在、中国の事を中華人民共和国と言いますが、この「人民」も「共和国」も、実は日本人が翻訳した言葉なのです。江戸時代以前には人民という言葉はなく、共和国という言葉もなかったのです。日本は外国の文献をどんどん取り入れて、その言葉でそのまま理解できるように、大変な努力で多くの言葉を翻訳して来たのです。
 
その中に「宗教」という言葉もあります。また「佛教」という言葉もありますが、かつては佛教という言葉はなかったと言えば驚かれるかもしれません。では何と言っていたかと言えば「佛法」と言っていました。佛様の教えの事を「佛法」、それを実践するための道程の事を「佛道」と言うのです。
 
ですから「佛教」と言ってしまうと「佛様の教え」というだけで、私達がその教えをどのように実行し、日常生活の中に取り入れるかという視点が無くなってしまいます。
 
西洋のキリスト教社会は唯一絶対の神、それが全ての起こりです。ヨーロッパ、アメリカの宗教は全部キリスト教、また中東はイスラム教という一神教なのですが、日本にはそういう一神教がありませんでした。ですから非常に苦労して「宗教」と、これはよく頑張って翻訳したと思います。
 
宗教の「宗」は「おおもと」という意味です。この「宗」の漢字の成り立ちは、ウカンムリは祖先の霊を祭る廟の屋根の形です。その下の示の という部分は神を祭るときに使う机=祭卓の上にお供えを載せている形なのです。
 
身心一如が日本人の健康観
 
さて、「健体康心」に戻ります。日本人が一所懸命苦労して翻訳した「健康」という言葉は、体と心は一体なのだという意味を表しています。これは佛教独特の世界観であり、また日本人独特の発想なのです。
 
西洋では何でも分けて行く方向で考えていきますが、日本の考え方は全ての物を統合して行きます。その中で健やかな体と康(安)らかな心、その二つが揃わなければ健康ではないという、非常に深い智慧がこの中に込められているのです。
 
熱が下がって「あーよかったな」と思っても、中々前向きになれない。そうすると、まだ「康心」の方が出来ていないわけですから、本当の健康とは言えないわけです。
 
この健康の康(安)らかな心を持つために、佛法であったり佛道、いわゆる佛教がとても大きな役割を果たすわけです。自分のものでないものを欲しがるような貪りの心であるとか、怒りの心のような様々な煩悩が私達の苦しみを生み出す元になっています。
 
今テレビなどを見ていると、高校生が先生を怒らせ殴らせて、それを動画に撮って先生を追い込むなどというニュースを聞くにつれ、本当に悲しくなります。
 
かつては先生をわざと怒らせて追い込むなどという事は、これっぽっちも考えなかった。
先生を尊敬するという立場から教育システムが出来ていましたから、先生から少々叱られたり殴られたりしても、親も必ず「お前が悪いんだ」と言ったはずです。
 
今では生徒の方が明らかに悪いと分かっていても、教育委員会はすぐに謝ってしまう。先生を守ろうとしない。暴力をふるった、それだけで全て駄目。これはちょっとどうかなという気がしますが、今の時代はそうなってしまいました。
 
ではなぜそうなってしまったのかというと、その生徒はまさに健やかな身体は持っているかもしれませんが、やすらかな心、清らかな心を持っていません。ですからいくら身体頑健であっても、心が曲がっていれば人生をまっとうに歩む事は出来ない、という事を表しています。
 
道元禅師の説かれた悟りとは
 
昨夜、私は珍しく『禅』という道元禅師の生涯を描いたビデオを観ました。道元禅師は曹洞宗、永平寺を開いた方です。西暦一二〇〇年にお生まれになり、一二五三年に示寂され(亡くなり)ました。道元禅師が生まれた翌年に真言律宗の開祖叡尊上人がお生まれになりました。道元禅師は五十三歳で亡くなられましたが、一方叡尊上人は九十歳まで生きられましたので大きな違いがあります。
 
先のビデオの最後の所に『正法眼蔵』の言葉のナレーションがあり、非常に懐かしく思いました。皆さん良かったらぜひメモして下さい。
 
「佛道をならふ(習う)といふ(言う)は、自己をならふなり、
自己をならふといふは、自己をわするる(忘れる)なり、
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり、
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」
 
この言葉を最初に聞いた時、私は二十代前半の学生でした。大変な感動と共に大きな光を見い出したように感じました。
 
「佛道をならふといふは、自己をならふなり」とは、何も全然別の世界を学ぶのではなく自分の心を学ぶという事。
 
「自己をならふといふは、自己をわするるなり」とは、自分の心を学ぶという事は、自分の全てを投げ打って自分と他人との区別もなくなる程に自分を捧げ尽くすことである。
 
「自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」とは、自分と他人との区別もなくなった先に、全ての生きとし生ける衆生に加えて全てのモノによって生かされている自分を自覚する事。
 
「万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」とは、自分と他人、さらには全てのモノを超えて、自分自身の心が宇宙と一体になる事です。今自分がここに生きている。そして体を離れて心が宇宙に広がっていくのだというそういう事です。
 
そういう中で、悟りが向こうからやって来るのだというのです。悟りを求めて坐禅するのではない、坐禅の中に悟りがあるのだ、坐禅そのものが悟りなのだと言っておられます。
 
 
御利益信心も悟りへの道程
 
これを皆さん達に置き換えてみるならば、御利益を求めてお参りするのではない。お参りしている事そのものが御利益なのだ。お参りしているその事が実は救いなのだ。お参りしているその姿が実は、私達は全てのものから生かされている。あー有り難いなと感じる事に繋がっている。
 
この場合の万法の法というのは、存在するもの、物質的存在・精神的存在の両方を表しています。これは若い頃、私が最も感動した道元禅師の言葉です。生かされていて有り難いなーと思う事は、自分だけではないのです。自分と他人の境目が無くなっていく。
 
おそらく全ての悟りというのは、自分の世界を打ち破って人々と一体になっている。宇宙と一体になると言っては言い過ぎですが、周りの人達と心が自由に通える状態…。ある程度の所まで行った人は、非常に共通性があると思います。
 
身心脱落が開く健康への扉
 
真言宗的にこれを解釈すると、佛道修行をするという事は、自分自身の事も忘れ果ててその行の中に没頭して行く事から始まります。
 
皆さん達も若干それは経験あると思うのです。一所懸命お参りして、「あー気持ちよかった」という事があるでしょう。その状態が正に身心脱落している状態に、少し近いのではないかと思います。
 
この時の脳波を調べると、おそらくα波とかθ波とか、日常生活の中で普通に色々判断している時とは違う脳波になっていると思います。これは人間の心が「康心」になる為に非常に役に立つ意味のある脳波なのです。
 
ですからお参りしたり坐禅をしたり、作法は色々ありますが、真剣にお参りしている、また無心になってお参りしているその時の心の状態というのは、正に自分と他人の区別もなくなってしまう、そして宇宙と溶け合うと言っては大袈裟ですけれども、それに近い様なそういう感覚ではないかと思います。この感覚が私達の健康にとって、とても大切な役割を果たします。
 
皆さん、この様に寒い時期にお寺までお参りされ、真剣にお参り頂きまして、ありがとうございました。合掌




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