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2019年09月21日大日乃光第2252号
信者一人びとりの更なる幸せがこれからの蓮華院の使命と役割

今日は、私にとって一ヶ月ぶりの法要になります。住職になってから、八月三日と八月十三日の御縁日と準御縁日を続いて欠席したのは初めての事です。それはなぜなのか、少し説明を致します。
 
「障り」のない体調不良に突然の下血で緊急入院
 
実は、七月三十日から二泊三日で、かなり設備の整った病院で検査を受けていました。体調不良の原因が不明だったので、本格的に検査を受けて、その検査の結果、体内のある細胞を取り出して、それを調べて病気の原因を突き止めましょうという事になりました。
 
私も体調不良がずっと続いていたので、色々「お尋ね」するけれども、「障り」はなかったのです。七月三十日に病院に泊まり準備をして、三十一日に手術室のような部屋で検査が行なわれました。そこで意識の無いままに、知らない内に検査が終わり、お寺に帰って来ました。それが七月三十一日でした。
 
明くる一日は、毎月、月初めなので祈願が多いのです(五百~七百件あります)。
その日も月初めの、いつもより長い祈祷が終わりました。そしてしばらく部屋で休んでいたら、突然おしりから下血しました。それも量が尋常ではありませんでした。
 
これはいかんと思って、保健婦の大山人美さんに来て頂いて血圧を測ると相当下がっていました。その後、もう一回下血したので、救急車でそのまま運ばれました。その間、ずっと意識はありました。そうか、もうこの辺りに車が来たなと分かりました。病院に着き、いよいよストレッチャーで運ばれて、それから意識を失いました。
 
予断を許さなかった八月下旬までの経過
 
という事で、それから十四日間断食してきたわけです。ちょっと痩せたでしょ?四キロぐらい減ったと思います。水は飲めましたが、三日前までは断食に近い状態でした。そういう状態なものですから、八月は三日と十三日のお参りを二回休みました。
 
かと言って二十三日のお参りも休むわけにはいかないと思い、先生に相談すると「安静にして下さい」と厳命されました。五日前までは「上体を四十五度以上起こしてはいけない」と言われていました。
 
一週間ほど前に下血が止まりましたが、その間、誰か分からない方々の善意の輸血を何リットルも頂きました。私はこれまで八十回以上献血をしてきましたが、輸血された事は一度も無かったのです。こうして初めての輸血で何とか命を繋いで頂きました。
 
すると、お医者さんは「下手をすると、命の保証が出来ない状態でした」と言われました。
突然そう言われて、ガーンとショックを受けるのかと思いましたが、意外に平気でした。「あぁそうなのか…」と。そういう状態でしたから、八月三日は当然法要に出られません。まだ下血中ですから。次の十三日はやっと血が止まったかな…という所でした。
 
そしていよいよ今日、二十三日を迎えました。熱心な信者さんが参ってみえるのに、何とか私もお参りがしたい!という事で、今に至った訳です。するとお医者さんからは、私から見れば必要以上に厳重な注意をするように言われました。私に言わせればそこまで大袈裟かな?と思うぐらいに、もう超ピリピリするぐらいにきつく言われました。
 
夫、父親、祖父としての 家庭における使命と役割
 
考えてみたら…、人間としての使命というのは何なのか?そういうことも、この半月、色々と考えてきました。
 
私はいつもこの時期「一休さん修行会」で、子供達にまさに「人は何のために生きるのか?」という話をしています。子供達に話すためだけでなく、自分自身に言い聞かせるようなつもりで、「人は何のために生きるのか?」という事をずっと色々考えておりました。
 
自分に与えられた使命を果たすため?人間の生活には、個人的な家庭生活があり、それぞれに個人的な思いもあります。家族の中での思いや家族の歴史があり、お父さんとしての役割や、お爺ちゃんとしての役割というのもあります。
 
それから自分の仕事を通じての役割、社会的責任というのもあります。もっと言えば、そういうのを超えた、人間としての使命というのもあるわけです。そういった意味で、人間の役割とは何か?人は何のために生きるのか?と問うた時に、重層的な、二重、三重、四重の役割、そして目標。そう言ったものがあると思うのです。
 
皆さん達にとって分かり易い話で言えば、個人の生活の中で自分の役割は何なのか?と言えば、私は十年前から家内に時たま言って来ました。「あなたよりも長生きするからね。あなたを送ってからいくからね」と。これは夫婦の間の約束と言うか、思いと言うものです。そうならないと、私が先にいなくなったらあなたは生きていけないだろうと…、ちょっと自惚れて言っとるわけです。まあ意外と本人は平気かも知れませんが。そういう思いを持って妻とはこの十年向き合って来ました。
 
そして娘達は三人ともそれぞれ結婚して、子供を持って、それぞれの家庭を持っているから、何ももう心配する事はない。だから「今月、命があるかどうか分かりませんよ」と言われた時に、三人の婿さん達は全員来てくれました。
 
やっぱりそういう事を知って、「今会っておかなければ、ひょっとしたら会えなくなるかもしれない」と思ってみんな会いに来てくれました。そして最後に一人一人に「長女の〇〇を頼むよね」「次女の〇〇を頼むよね」「三女の〇〇を頼むよね」「潤ちゃん!」「椛さん!」「大ちゃん!」とこう言っておったわけです。こういう事に関しては、それぞれみんながその通りになるとは限らないし、そうしたくても出来ない事もありましょう。
 
そういった意味で言えば、人の役割というものは、色んな個人の世界、家庭生活の世界、社会的な役割、最後には人間としての自分の使命という具合に、二重、三重、四重の色んな役割が交錯する中で、人は自分の使命を果たしていくのだなー…という事を、今回しみじみと感じたわけです。
 
三度の震災復興支援の中で成就された宗教者の役割
 
そういった意味で、今日ここに帰って来る時に、ひょっとしたら、次に闘病生活に入るといつ帰って来れるか分からないという不安も少しありましたので、南大門の方からこちらの境内全体を見て、その姿を心に焼き付けて入ってきました。
 
境内を進みながら考えてみると南大門は東日本大震災の直後に落慶をして、五重塔は阪神淡路大震災の中で建ち上がり、多宝塔は熊本震災の復興支援の中で建ち上がっていった。
これは本当に不思議な、不思議な巡り合わせだと思います。こんなことがあるのだろうかという風に。
 
そういった意味で、私が施主と言うか発願主で(本当の発願主は皇円大菩薩様ですが)、そういう中で建立しましたから格別な思い入れがあるかも知れませんが、この一つ一つの建物の出来栄えをまた改めて客観的に眺めてみると、どの建物も近代稀に見る程立派なものです。本当に良く出来ている。
 
色んな専門家に来て頂いて批評して頂いても、これだけの伽藍がこの現代に建立された。しかも三つも揃って建立されたと言うのは、これは奇跡に近いと言われるに違いないと思います。そういった意味で、私がこの世に生まれた意味は、この三つの事業をさせて頂いたのが自分の役割だったんだと、今しみじみと思っている所です。
 
施主の心、思いの凝結する五重塔と多宝塔と南大門
 
形は心に応じて現れる。精神、情念、信念…。そういったものが形をとって現れてくるのです。形に現れない心というのは、まだ本当の心ではない。心、精神。こういったものが本当にしっかり備わっているならば、必ず形に現われるのだ。
 
例えば多くの人達が出入りするこの本堂で、佛様の視点で見た時に、この人の信仰は強いというのは一目で分かります。おそらくその人の起居動作、その人の目つき、その人のやろうとしている今のその姿そのものが、実は心を映しているからなのです。ですから、佛教では形から入るという事を厳しく言います。形をきちっとする事によって、形に沿って心は出来ていきますよということなのです。
 
そういった意味で、この三つの建物が形として厳然として存在する。あと何百年、何千年建ち続けるか分りませんが、その間、常に三百六十五日、二十四時間、四六時中、受け取る人の力量に応じた大きなメッセージを発散し続けながら、ここに建ち続けて頂いているという事が、いかに有難いかという事なのです。
 
艱難辛苦のチベット支援事業は衆生済度の御誓願のお手伝い
 
後は、これから先の仕事としては、この佛様の偉大な思いを時代に合わせて拡げて行く。
振り返ってみると、伽藍復興以外に、真如大僧正様に色々お願いして国際協力の組織を立ち上げました。信者の方々がそれを支えて頂いて、もう来年で四十年になります。皇円大菩薩様の慈悲のお手伝いをしようという、これも一つの思いなのです。佛様の衆生済度の御心を具体的に、国境を越えて推進して行こうというそのための組織として、今現在でも続いています。
 
今年、チベット支援、チベット人居留区の支援を直接行う事にしています。行く手には大変難しい問題が山積していますが、久家事務局長と準教師の伊藤祐真さんが二回現地に行って色々進めている中に、確実に着実に、色んな問題があってもそれと格闘しながらでも進めてくれる、やってくれるに違いないと確信しています。
 
そういった意味では、やはり思いが先にあって、それが組織になったり、または建造物として姿を現わしたりするというわけです。
 
信者一人びとりが幸せになり周囲を照らす灯火になろう
 
これからは何がもっと大事かと言えば、形に沿う心をもっと深めていく事です。具体的には、参って見えた信者の方々一人びとりが、「あーお参りして来て良かったなー!」とか「一つ悩みが解決出来たなー!」と幸福になって頂き、そしてその喜びを皆で分かち合いたいと思って頂きたい。
 
そういう人々がさらに集い集まり、そしてここで喜びや生き甲斐を見い出して、進むべき方向を見つけて、大きな励みを頂きながらこれからの人生を歩んでもらう。ここがそういう場所になるように、もっともっと厚みを増していくようにしなければいけないと思っている所です。
 
まとまりのない話になりましたが、ひょっとしたら、こうしてお話するのは、次は中々難しいかもしれないという思いがありました。実際の所、ずっと病院で治療を受けてきましたから、歩いて来る時もふらふらでした。ひょっとしたら今日で護摩を焚くのは最後かもしれない、極端に言えば、護摩の途中で突っ伏して死んでもいいと思いました。
 
でも有難い事に、そういう気持ちではまって護摩を焚いていると、有難い事にやっぱり佛様にちゃんと守って頂いているという事を、また改めてそのお力を実感する事が出来ました。
どうか皆様も信心力を持って、様々な困難を乗り越え、そしてそれぞれが幸せになり、少しでも周りの人達の光になって頂くようお願いして、今日の話を終わりたいと思います。 合掌
(補足:
今号の本文をお読みになって、信者の皆様方は貫主大僧正様のご病状にさぞお心を痛めておられると存じます。九月二十日現在、貫主大僧正様の治療は進み、順調に快方に向っておられ、お変わりなく信者の皆様方のご霊示やご祈祷をなさっておられます。
貫主大僧正様のご病状を案じられて、ご祈願のお申し込みや、お電話によるご相談などを差し控える必要はございません。いつも通りのお気持ちで、お尋ねやご祈祷のお申し込み、ご相談等なさって下さい。
合掌 蓮華院誕生寺寺務所)
(追伸:
貫主大僧正様は、日頃、信者の皆様の願いを叶えるために御身を捧げておられます。
此度は、ぜひ一人でも多くの方が、貫主大僧正様のために祈りを捧げて頂きたいと存じます。          合掌 宗務長 川原光祐)




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