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大日乃光






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2019年10月17日大日乃光第2254号
信者一人びとりの幸せのために変わらぬ精進を捧げ続ける

皆さん、台風十七号の被害はありませんでしたか?こうしてお寺にお参り頂いている方々は、まあまあご無事という事だと思います。
 
先日の『大日乃光』(九月二十一日号)を読まれた方は驚かれたと思いますが、今、この九月二十三日の準御縁日法要に、このようにしてここに居ります。私の病気について直接聴くのは初めての方もおられますので、前回と重複しますが、この事から私が得た教訓や、有難いと思った話を少しだけしたいと思います。
 
八月二十三日までの経過報告
 

七月三十日から検査入院しましたが、三十一日に帰って来て、八月一日に朝のお参りが終わってから大量の下血をしました。たて続けに二度、下血したので、これはいかんという事で救急車で病院に行きました。そしてそのまま手術室に入り、ベッドに戻るまで意識がなかったのです。それから一週間近く下血が止まらなかった。
 
後で聞いた話ですが、熊本大学付属病院ですから県内では最高の病院であり、先端技術が集まっている総合的な病院です。そこで色んな先生方が各専門の科を横断し、情報を集めながら対策を検討されたそうです。そしてこの薬を使って、これで出血が止まらなければ、もう打つ手はないという所まで行ったそうです。そして有難い事に、出血が止まりました。私自身、献血はもう百回近くして来ましたので、こういう所で逆に返してもらうのかと思いながら血を沢山頂きました。
 
そういう中でずっとご飯も食べられず、二週間近く過ごしたわけです。体を起こすのも四十五度ぐらいまでしか起こせないという状態が続いておりました。私もその間、何もせずに居るよりも、少しでも病気に立ち向かおうと、ずっと御宝号や光明真言を唱えておりました。今日何万回唱えたとずっと日記に書いてきて、今日まで御宝号を八十八万回唱えています。途中から、もうこれは百万回まで唱えよう、ひょっとすると二百万回唱えるかもしれませんが。
 
そういう訳で八月は十三日の御縁日もお参り出来ず、ようやく二十三日のお参りに病院から一時帰宅の許可が下りて、お参りが出来ました。しかし法座にも特別な背もたれが設えられ、今日よりもはるかに厳重に皆が気を遣ってくれました。と言うのは、上半身を直角に起す姿勢が少し辛く、また癌細胞のせいで骨が脆くなっているので色々厳しく言われていたからです。その日は一泊もせずにそのまま病院に戻りました。
 
周囲の気遣いとの意外なギャップ
 
少し話は遡り、出血から三日目の夜に留守を預かっている光祐と啓照が、いつになく真剣な表情で見舞いに来てくれました。医師からこのままでは命が危く、急変したら深夜でも連絡しますと伝えられていたからでしょう。このまま亡くなられては困る。これはしっかり後の事を聞いておかなければいけないと考えてくれたようです。
 
私、その時ふっと思い出しました。真如大僧正様が亡くなられる一週間程前に、私と光祐の二人を呼ばれて色んな話をされたのです。そこで祈願はこうしてこうしてと、具体的な方法を伝授して頂いたのです。
 
今回、二人はその時と同じ事を考えていたのでしょう。けれど私の意識としては、そんなにすぐ命が無くなるという感じが全くしなかったんです。不安が無かったのです。私は、当分、お尋ねや祈願は自分がそのまま続けるからと伝えて安心させました。
 
同じ頃、私の病気を知った三人の娘達とその家族が駆けつけてくれました。特に長女の一紗は七月下旬から北海道で演奏旅行中でしたが、これはひょっとしたら父親に今後一生会えなくなるかもしれないと思ったようで、日帰りで駆けつけてくれました。
 
その時は、自分の病状がそこまで深刻だったとは知らなかったのです。後でお医者さんから詳しく説明を受けて、そういう状態であるという事を知った時も、意外と平静に受け止めました。「あー、そうなのか」と。
 
自分としては、蓮華院の住職としてのこの二十七年間、こういう事もさせて頂いた、こういう事もさせて頂いた。あれも出来た。これも佛様の指示通りに出来た。自分としてはこれでもう役割は終わったかな…と、素直に受け入れるつもりでいたのです。
 
目の前に死が迫ってきても、そういう中でも人間、意外に平気なんだなと(私の場合は特別かも知れませんが)そんな感じでした。生きて行く、また死んで行く事の意味など、色々考えさせられる事が沢山ありました。
 
ベッドから覚った深い境地
 

病室では、朝、まず皆さんの為の祈願を致します。そして引き続き御宝号を唱えている間に検温などで看護師さんが来られて、点滴を換えたり色々してくれるというそういう日々でした。
 
そんな中で私は今現在でも、癌と闘っている人、三十人位を毎朝祈願しています。一人一人に色んな事情があって、色んな人生があって、様々な思いがあるという事を、私自身がまざまざとその立場になってみて深く気付かされました。病に苦しむ人の悲しみ、辛さ、そういった切実な思いがある。今、どんな思いで祈願を頼んでおられるのかという事を、しみじみ感じた日々でありました。
 
そういう中で、一人一人の顔を思い浮かべながら祈願をする。家族の願いにも思いを廻らせながら。今まではそこまで感じる事の無かった深いレベルにまで思いを致しながら。これは、今までより一層祈願に魂が籠もる、性根の入る一つの大きなきっかけを頂いたのだと、しみじみと有難く感じる事が出来ました。
 
人々の悩みや苦しみに寄り添うと言葉では言えますけれども、実際には中々他人の事は分かりません。いざ自分の命が危ういという段になって、初めてそういう事と本当に向き合えると言うか、祈願と向き合う、佛様と向き合う。日頃からしっかり向き合ってきたつもりでしたが、やはり尻に火が点いて自分の事になると、また一段とギアが入ると言うか、そういう部分がありました。
 
ドラマのような回診でのやりとり
 
八月二十六日から第一クールの抗癌剤治療に入り、点滴を三日間、大量に打たれました。抗癌剤治療とはこういう事かと。そして食欲が落ちるかもしれない、ムカムカするかもしれない、熱が出るかもしれない、白血球の数値が下がるかもしれない、髪の毛が抜けるかもしれない等と副作用について色々告げられました。私の場合、髪については却って手間が省けて結構と思いました。そして実際に半分以下になりました。髪の長い人にとってはぞっとするだろうな…とも考えさせられました。
 
山崎豊子の長編小説『白い巨塔』は何度もテレビドラマになりましたが、入院中にあのドラマの一シーンのような回診があり、大学病院ですからその科のトップの先生が回ってみえるんです。日によって違いますが、若い先生が七、八人ついてみえるんですね。
 
そして事前にデータを全部見られた上で、「どうですか?」と話しかけられます。「ほとんど副作用がないそうですね」と。「はい。有難い事に御飯も美味しく頂いております」と答えると、「はーさすが!やっぱりお坊さんだから、修行される方は違うんですね!」と、こう言われました。
 
そのお医者さんは、精神力とか精神世界の事について、結構理解があると知って少し嬉しくなりました。そして私の場合、非常に変わったタイプの癌だそうです。それを聞いて「非常に変わった例ならば、大いにサンプルとして活用して下さい」と答えると、また先生はびっくりされました。そういう事で、髪が抜ける以外には殆ど副作用もなく過ごしています。
 
信者との繋がりこそ我が喜び
 
当初は一ヶ月抗癌剤を打って一ヶ月安静にして、また一ヶ月後に第二クールに入るという予定でした。光祐からの希望で、出来れば十一月三日の「奥之院大祭」には出られる様に治療の日程を組んで欲しいと伝え、大祭の後、また第三、第四クールと治療に入る予定なのです。
 
普通なら病院に居なければいけないようですが、一ヶ月間丸々病院に居なければならないという程の病状でもないのです。という事で、今回と十月三日の御縁日にはお参り出来るという非常に有難い事になっています。
 
癌の状態に関する数値が三つほどあって、その全てが確実に下がり、治療の効果がてき面である事と、副作用もほとんどない事、そして入院生活も真面目である?という事で退院してよろしいと。
 
一時退院以降、四日目に入りますけれども色んな方からご連絡を頂きました。「びっくりした。あなたはまだ大事な人だから元気にしとってよ」「しっかり快復するように努力してくださいね」などと色んな方々に言われ、今日も励ましを頂きながらこうしてお寺に帰って来て、引き続き朝の御祈祷とお尋ねを、そして御宝号の念誦を続けてやっております。
 
しかし先日の関西支部、そして関東支部の布教会に行く事はどうしても難しく、皆さんにお会い出来なかった事は心残りでした。二十三日の準御縁日はいつもはこんなに多くないのですが、幸いにもこうして多くの皆さん達にお会い出来て、沢山のお顔を見られて嬉しく思います。日々、御祈祷する中で皆さん達の顔を思い浮かべながら、これからも励んでいきたいと願っております。合掌




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