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大日乃光






大日乃光

2019年10月24日大日乃光第2255号
宗派の歴史に脈々と刻まれた蓮華院誕生寺の歴史と伝統

二十年ぶりの十月三日のお参り
 
十月三日に私がこの席にいるのは実に二十年ぶりの事です。そうだった?と思われる方も多いかと思います。これまで御縁日と準御縁日には欠かさずにお参りして来ましたが、年に一度、十月三日はもう二十年以上お寺を留守にしてきたのです。
 
何故かと言えば、真言律宗の総本山西大寺で三日、四日、五日と光明真言土砂加持大法会(光明真言会)が営まれ、その前に真言律宗の宗議会が開催されるからです。私は三年間の籠山が明けて、その翌年には選挙を経て宗議会議員になったのです。
 
それ以来、十月三日には蓮華院を留守にしてきました。今、西大寺では宗議会が開かれていますが、その前に欠席届けを出しておりましたので、こうしてお寺に居られるというわけです。
 
光明真言土砂加持大法会とは
 
そもそも光明真言土砂加持大法会とはどういう法要かと言えば、鎌倉時代に西大寺を中興された興正菩薩叡尊上人が始められた法要です。
 
その当時、鎌倉新佛教と呼ばれる浄土真宗も浄土宗も、日蓮宗も曹洞宗もまだ歴史が浅く、あまり力のなかった時代です。当時最も勢力のあったのは真言宗と天台宗です。中でも最大勢力だったのが真言律宗でした。その時代、七百五十年程前の日本全国のお寺の総数は大体三千ヶ寺程と言われていますが、何とその半分が真言律宗でした。
 
奈良時代に日本全体を信仰的に統括する全国の総本山として造られたのが東大寺です。そして全国に国分寺が建立されました。ところが鎌倉時代になると、皇室の御威光や経済力が衰え、国分寺の多くが廃絶しました。そういう中、真言律宗の僧侶が国分寺を復興しました。
 
今現在全国で〝国分寺〟と付くお寺の三分の二以上は、鎌倉時代に真言律宗の叡尊上人のお弟子さん達が中興されたお寺です。そういう全国津々浦々に力が及んで行く一つのきっかけになったのが、実はこの光明真言会なのです。
 
戦前までは「昼夜不断行」と言って、一週間通して行なわれました。僧侶全員が一緒にお唱えする法要が一日に三回あります。それ以外の時間に、例えば管長猊下がお参りされた後に席を立たれると一同が一緒に退座される。すると別の人が控えていて、すぐ席に座る。そういう風に途絶えることなく一週間ぶっ通しでずーっと拝むのです。
 
土砂に込められる光明真言の功徳力
 
内陣の壇の中央に多宝塔があります。法要の時にはこの塔の代りに金属製の瓶が置いてあります。その中に西大寺の奥の院から採れる非常に綺麗な砂が入っているのです。僧侶達はその土砂を念じ、光明真言の功徳をこの土砂に込めるのです。この土砂は「速証菩提」と言って、亡くなった方にこの土砂をかけてあげるとすぐに成佛するのです。
 
鎌倉時代にはまだ「南無阿弥陀佛」の信仰はあまりありませんでした。当時の人々は「来世往生、二世安楽」という事をよく言っていました。二世というのは現世と来世です。真言宗の教えでは、現世と来世を繋ぎ、どちらも安楽で幸せであります様にと、そのために様々な祈りや御祈祷や祈願がある訳です。
 
「光明真言」というのは大日如来の光が広がり、私達の様々な災難や不幸を取り除いて、災いを転じて福として頂く。マイナスをプラスに変える偉大な力を持つ御真言として、長い間ずっと信仰され続けてきたのです。
 
真言宗で最も大事にされている御真言がこの「光明真言」です。それと並び一般の真言宗の場合は「南無大師遍照金剛」と唱えますが、蓮華院では「南無皇円大菩薩」と唱えます。そこだけが違いますが「光明真言」の功徳は非常に高いと、多くの人達が実感してきたわけです。
 
西大寺過去帳に伝わる蓮華院の歴史
 
昨年この大法要に参列した時の事です。私は大僧正ではありますが、最近は次第に年齢が上って来ました。すると年齢の高い僧侶が務める役があるのです。西大寺に何百巻という過去帳があります。その年に亡くなった方、お弟子さん、殆どはお坊さんの名前がずっと書き連ねてあります。
 
昨年の十月三日、私はその過去帳を読む担当を務めました。おそらくあれは文化財だと思うのですが、すっと取り出されて私の前に恭しく置かれた。それを一人一人目を凝らして唱えるのが私の仕事でした。
 
一番最初に「西大寺中興開山興正菩薩叡尊」と書いてあります。ずっと見て行くと「肥後国浄光寺何何坊」と書いてあります。昔の蓮華院の住職の名前です。ですからその当時、蓮華院が西大寺の末寺であり、ここに現存していたのは紛れもない事実なのです。そこに書かれるという事は、蓮華院(浄光寺)がその当時真言律宗の寺であった証しなのです。
 
西大寺の末寺は今では百ヶ寺位に減っていますが、かつては全国千五百ヶ寺から住職さん達がこの法要に集まりました。その時に東妙寺の僧侶一行と示し合わせ、日程を決めて一緒に行く。
 
大法要は一週間ありますからどこかに泊まる。九州一円の人達はこのお寺に泊まると決まっているわけです。そこでまた九州同士、色んな情報交換して親睦を図り、僧侶なので酒盛りはしませんが、その代わりに大茶盛をしたという説もあります。
 
私が初めて西大寺に行くまでは、先代がずっと開山上人様の名代で行っておられました。先代が住職になられてからは私が行くようになりました。すると先代の事をよく知る方が沢山おられました。そしてお互いに非常に仲が良く、お互いに助け合う。
 
若手僧侶に受け継がれる伝統
 
光明真言土砂加持法要では全体のスケジュールから色んな事を取り仕切る役を若い人が務めます。面白い事に、そういう大事な役を若い人にやらせるのです。昨年、奥之院の副院代である光照がその役を務めました。翌年役を務める人は必ず前年に参加します。そして前の人が後の人に伝える。
 
準備段階から色んな事を全部差配します。使われる法具は何から何まで、国宝や重要文化財です。鈴を振る音も七百何十年、連綿と歴代住職さんもしくは色んな方々が振ってきた。今ここに五鈷金剛杵がありますが、これと対になる鈴のような五鈷鈴があります。それを西大寺で私も握らせて頂いたけれども、何とも言えない感動がありました。
 
光明真言土砂加持法要では「総番」と言って一日三回なのですが、特に中日には何と雅楽まで入ります。初めての時に、やはり奈良の都の伝統は凄いと思いました。その中でも一番マスコミが注目したり取材したりするのは、昨年光照が務めた「綱維」という役職で、最年長の人に今から行道をして下さいと伝える場面です。
 
昨年の八百五十年大祭で、多宝塔の周りを僧侶がぐるぐる廻っていたのを覚えておられるでしょう。あれを行道と言います。僧侶方がお経を唱えながら、光明真言を唱えながらずーっと御堂の中を廻るわけです。
 
その始めに導師以外の最長老の目の前に立って、「どうか今から行道を始めて下さい。宜しくお願いします」と深々と頭を下げて起き上がります。これに十五分もかける。座って頭をつけ、そして止まっているように見えるぐらいにゆっくりゆっくり起き上がる。あれは若い人でなければ出来ないと思います。そして起き上がってくるっと向き直り、すたすた歩いて行くという作法です。
 
提灯畳みと言って、提灯を畳んで延ばすようにする。法要自体が無形文化財になっている。そういう役を去年光照が務めました。大丈夫かなと心配しておりましたが、何とか務め上げたようでした。
 
そういう中でずーっと光明真言を唱える。一回唱えるのに十五分位掛けるのです。皆一斉に唱えますが、色んな音程があっても一つの声になると、何とも言えない非常に素晴らしい響きになります。
 
これが戦前は一週間。戦時中に食糧難でとても食事が賄えないという理由で三日になりました。今は食糧に困っていませんが、一週間に戻すかと言えば中々そうはなりません。
残念ですが、一回縮小したものは元には戻らないというのが大体のようです。
 
肥後国筆頭寺院だった蓮華院
 
こういう法要によって真言律宗内の結束がしっかり保たれ、様々な教えが全国津々浦々のお弟子さんや参加した僧侶に伝えられ、そしてお互いに顔見知りになって仲間意識を作り上げる。そういうとても大事な意味があった。
 
その他に色んな信者さん達を連れて行くこともあります。そして是非奉納したいと言われる事もありました。記録によれば、かつての財産は何かと言えば田畑なのです。意外に知られていませんが、その頃の農民は結構力があってそれぞれに自活、自立していました。まだ武士と農民が分かれる前の時代です。
 
例えば私は田んぼ一町分を西大寺に寄進しますと。奈良からは遠く離れているんですよ。どういう事かと言うと、ここで採れた作物のお米や野菜を納めますと、そういう意味です。
そういう事もあって、西大寺には寄進や帰依、色んな力添えもあって、様々な国分寺を復活したり、また新しくお寺を建立した。
 
蓮華院の始まりははっきりは分かっていません。蓮華院がいつの時代に西大寺に入ったのか、一番古い時代は七百二十年程前と分かっていますが、その前に誰が造ったかは分かっていません。
 
ですがその当時、真言律宗に属していた事ははっきり分かるのです。そして国ごとに名簿が書かれ、肥前の国(佐賀)の筆頭が東妙寺でした。後宇多天皇の勅願により、元寇の時に精神的な防衛のために造られたお寺が東妙寺ですから、肥前の国で筆頭の寺院と言うのは分かります。
 
肥後の国の筆頭が浄光寺で蓮華院の前身。全体を浄光寺と言って、その一部が蓮華院だったのです。八代や山鹿、熊本市内などにも五つ六つ末寺があったのですが、筆頭が浄光寺蓮華院という事ははっきりしています。
 
真言律宗最大の法要を信者と共に遠くから見守る
 
この様に全国に広がった真言律宗は江戸時代までは大変大きな影響力を持つ宗派だという事。その中で一番大きな力を発揮したのがこの光明真言の法要だった。これによって沢山の人々を信仰に導いたということなのです。
 
その光明真言会に、私は先代と同じように住職になったらあまり出られないと思っていましたが、宗議会議員に選出されたものですから、せめて開白法要には出なくてはいかんというので、年に一度だけ、十月三日は蓮華院を留守にしてきたわけです。
 
不如意ながら数奇な巡り遇わせで、こうして二十年ぶりに、この日に信者の皆さんとご一緒にお参り出来た事を有難く思っております。合掌




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