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2019年12月11日大日乃光第2259号
神佛習合の柴燈大護摩祈祷で輝かしい日本を再生しよう

十一月三日に執行された奥之院大祭の開創記念大法要と柴燈大護摩祈祷で、お参りの後の貫主大僧正様の御法話を元に加筆訂正の上、前回と二回に分けて連載しています。
 
山岳信仰の深い佛縁に導かれた奥之院大祭の柴燈大護摩祈祷
 
皆さん、奥之院開創四十一周年の大祭によくお参りなさいました。約一時間に亘る篤い熱い祈りのひと時は誠に有難いものでした。
今回、柴燈大護摩祈祷に初めて参列された方がおられるかもしれませんので、柴燈大護摩祈祷とはどういうご祈祷なのか、その歴史的背景を含めて少しご説明致します。
あちらに小岱山の観音岳があります。有明海を挟む南西側には雲仙普賢岳があります。観音岳も普賢岳も日本に伝来した佛様の名前が山の名前として冠されているわけです。
そして熊本市と玉名市の境には金峰山(きんぽうざん)があります。桜で有名な奈良の吉野には金峯山(きんぷせん)があります。修験道(山岳佛教)の広まりと共に、日本各地に金峯山(きんぷせんまたはきんぽうざん)の名が広まりました。この金峰山は元々は観音菩薩の浄土の事です。
この様に日本各地の何百という山や峰に、佛教的な名前が付けられています。
古来から日本人は、山には先祖がおられる聖なる場所、そして来世に繋がる場所とも考えてきました。
また昔から「山に入って修行する」という言い習しがあるように、日本人は佛教伝来以前から山に親しみを持ち、恐れを抱き、その中で自分の魂を清め、修行するという精神文化が育まれていたのです。
そこに真言密教とともに護摩祈祷の作法が入りました。既に燃え尽きましたが、壇の上に木(丸太)が井桁に組んでありました。この木は人間の持つ様々な煩悩を表します。その煩悩を佛様の智慧の炎によって焼き尽くすという具体的な形をとった修行なのです。
それが日本古来の山岳信仰と交わって発展し、このように野外で大掛かりに護摩を焚くという作法が確立したわけです。
これが柴燈護摩なのです。
 
俊律師が名付けられ学問の一大拠点となった小岱山
 
小岱山は、月輪大師俊律師(一一六六~一二二七年)が二十九歳の頃に筒ヶ岳の八合目辺りに正法寺を建立され、その岳に観音岳と名付けられた事が契機となって、霊山としての信仰を集めてきました。
また山中の随所に明星岳、仁王ヶ滝などの名が残っています。また密教と山岳信仰が融合した修験道の名残りも多く残されています。
奥之院大祭で、修験の作法である柴燈大護摩祈祷が修されるのも、小岱山のこのような歴史に因んでの事なのです。
このように当山の奥之院がこの地に建立されたのも単なる偶然ではなく、大いなるみ佛様のお計らいの中にあっての事であると確信しております。
そもそも「小岱山」と名付けられたのは、他ならぬ俊律師その人なのです。
俊律師は肥後国飽田郡(現在の熊本市)のお生まれで当蓮華院の御本尊、皇円大菩薩様とは遠縁に当たられます。
三十四才の時に有明海から南宋に留学されて、十年後の帰国の際に一時舟山群島(浙江省舟山市)の岱山島に寄港され、そこにあった補陀落寺に二年程滞在されました。補陀落とはポータラカの音訳で、その意味は観音菩薩の浄土ということです。この補陀落伝説のあった岱山になぞらえ、当時墨摺山と呼ばれていた山に小岱山と名付けられたのです。
俊律師は朱子学の経典である四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の他、二千余巻もの典籍を日本に請来されて、正法寺で様々な佛法と共に朱子学をも講じられたので、小岱山は「日本朱子学発祥の地」とも言われています。
 
祈願寺・菩提寺として皇室を支えてきた〝御寺〟
 
俊律師が五十三才の時、宇都宮信房公に請われて京都東山にあった弘法大師建立の仙遊寺を拝領し、泉涌寺(せんにゅうじ=現在の真言宗泉涌寺派の総本山)として中興開山されました。俊律師は泉涌寺を天台・真言・禅・浄土・律の五宗兼学の道場とされて、鎌倉初期の権力者、後鳥羽上皇を始め当時の歴代天皇・上皇様や鎌倉幕府の北条政子、執権北条泰時等の帰依を受けられました。
泉涌寺はその後、貞応三年(一二二四年)に後堀河天皇より皇室の祈願寺と定められ、幕末に至るまで歴代天皇・皇后の葬儀を一手に担い、皇室の陵墓に香を焚き花を供える香華院、「御寺(みてら)」の尊称を受ける皇室の菩提寺となりました。以来現在も多くの皇族の御位牌が祀られています。
また百二十六代の皇統の中で、四十人近い天皇陛下が僧侶になっておられます。聖徳太子を初めとして、皇室は代々熱心な佛教信者でもあられたのです。
先の御即位後、天皇陛下が大嘗祭を始め、神道の最も重要で大切な行事をたくさん為されている事は、連日のニュースで皆さんもご存知だと思います。
この長い長い〝かんながらの道〟は、実は千四百年以上、佛教と共に夫婦の様に紡ぎ合い影響しあって歩んできたのであります。
 
神道と共に進化して来た日本独自の佛教哲学
 
今日まで伝わる日本佛教には、保ち続けた素晴らしい哲学性と精神性があります。例えば「山川草木悉有佛性」という言葉があります。
山も川も草も木も、またもっと言えば石ころ一つでさえも佛の化身であると、こういう考えにまで至ったわけです。
さらに「草木国土悉皆成佛」と、全てが悟りを開いている、と言う言葉もあります。
このような考え方は、最も高度な佛教と言われるチベット佛教にすらありません。
ここに明らかに、日本の自然風土が育んだ日本人本来の感性に加えて、日本神道の影響があります。さらにこの考え方を進めたのは天台本覚思想と真言密教の融合によるものと思われます。
この様に神道の影響を受けて佛教も進化したのであり、また神道の方も佛教の影響を受けて進化し、お互いに切磋琢磨して良き影響を与え合って来たのです。
こうして本来異なる二つの宗教が、キリスト教とイスラム教の対立のように争う事なく協力共存してきた歴史は世界の人類史にも稀有な事です。その大元は飛鳥時代以降の歴代天皇陛下が佛教を大切に信仰されたことが大きいと思われます。また日本人の懐の深さや柔軟性を表すだけでなく、争いを避ける智慧とも言える大切なものがその中にあるのかもしれません。
ところが明治時代に国策による神佛分離が行われ、廃佛毀釈運動が各地で起りました。
佛教と神道はそれまでは夫婦のように分かち難く仲良く助け合って来たのですが、国家の政策によって、いわば強制的に離婚させられたのです。
しかし、おそらく天皇陛下は佛教に対しても深く敬虔なお気持ちをお持ちのはずで、その一つの表れとして、皇嗣の秋篠宮殿下は「御寺泉涌寺を護る会」の総裁として泉涌寺の護持に務めておられます。
 
家庭の中での神佛への祈りが人々に平和と繁栄をもたらす
 
この度の柴燈大護摩祈祷では西浦荒神社(総社宮)の神官様に道場のお祓いを務めて頂きました。この神佛習合の柴燈大護摩祈祷を通じて神道と佛教が昔から協力しあって来たこの日本の国の成り立ちに、ぜひ思いを馳せて頂きたいと思います。
佛教と神道が全く違う宗教だと思わず、お互いに力を合わせ助け合いながら日本を支えて来たという事をもう一度、皆さん自身も一人一人が思い起こして頂いて、神様佛様を大事にするご家庭をぜひ築いて頂きたいと思います。そしてそういう中での祈り、家庭の平和をそれぞれ達成して頂きたいと思います。
柴燈大護摩祈祷には天下泰平、世界平和、人類の調和という大きな願いも込められています。神道と佛教の調和にそのヒントが隠されているに違いありません。
それに加えて、願いごとの一つは必ず叶えて頂ける非常に御霊力のある皇円大菩薩様を御本尊として、真剣にお参り頂いたのであります。
私達が心を一つにして一心に祈れば自分自身の煩悩が消滅し、それと同時に皆さん達の願い事が叶うと確信しています。
皆様は皇円大菩薩様への真剣な祈りを今体験されました。この真剣な祈りは人々の心を清め、心を平穏にします。その事が、ひいては必然的に願いを叶え、調和と発展が厳然として実現していくのです。
 
一人びとりが家庭や地域から 歴史を築く気概を持とう
 
その上で皆様一人びとりが自分の願い事だけを考えるのではなく、周りの人の事、そして地域の事、ひいては日本国に対して自分には何が出来るのか?と考える事を始めて頂きたいと思います。
個人の小さな思いでは小さな事しか出来ないかもしれませんが、国家にぶら下がって生きて行こうとする気持ちと、この祖国に何か貢献しなければという気持ちとでは方向が全く違い、雲泥の差があります。
どうか皆さん一人びとりが家庭の中から自分の役割は何なのか?そして子や孫達に何を残していけるのか?そういう事を自分自身の祈りと共に、自分の背筋の中にしっかりと据えて、自分の腹の中にしっかり収めて下さい。それがひいては何らかの形で家訓(家の約束事)にして子々孫々に語り継いで行く。そういう風にして日本の輝かしい歴史を取り戻しながら、輝かしく新しい歴史を自分達が作って行くという事が、未来のためにとても大事だと思います。
本日は大変熱心にお参り頂きまして、誠に有難うございました。 合掌




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