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大日乃光






大日乃光

2020年03月02日大日乃光第2266号
高野山での修行の日々が信者の悩み苦しみに寄り添う原点

今日は三月か四月位の温かい気候で、本当に有難い事です。毎年この二月という月は、私には特別な思いがあるのです。
 
ところで明日(十四日)は何の日ですか?バレンタイン?そうですね。これを知らない人は殆どいない。
 
では十五日は何の日ですか?知っている人は本当に少ない。佛教では「涅槃会」と言います。お釈迦様の御命日です。
 
僧侶への「佛眼」が開かれた高野山専修学院での修行生活
 
私が十九歳の二月十四、十五日は非常に思い出深い日でありました。どういう日であったかというと、初めて僧侶にならせて頂こうという心が定まった日でありました。
 
元々私は僧侶になろうとは全然思っていませんでした。と言うのは、父(真如大僧正様)、祖父(開山上人様)の生活をお側で見てきて「こんな辛い生活はいやだ」と思っていたからです。
 
幸いなことにその頃宗務長、弟の光祐が「僕、坊さんになる!!」と言っていたのです。学芸会で坊さんの役をやったりしてその気になっていましたから、「あー良かった。父も次男だし、長男の伯父は僧侶にならなかったし、僕は坊さんにならなくてもいいのか」と、こう思っていたのですね。
 
ところがついに是信大僧正様(開山上人様)から直々にお声を掛けられました。開山上人様は絶対に逆らえないお方でしたから、「お前は高野山に行け」と言われて、是非もなく入山となりました。
 
それまで全然思いもよらなかったんですが、そこでまた色んな経緯があって、そのまま専修学院という修行道場に入る事になったのです。そこは一年間で一応、一人前ではないですけれども僧侶としての基礎は授けて頂けるわけです。
 
「まあいいか」と思って、最初は受験勉強もしながら修行が始まりました。ところが修行が忙しくて忙しくてそれどころじゃない!とてもそんな掛け持ちなんてしていられないという事になって、以来、考え方を変えて
「一年間ここでの生活に全力集中してみて、僧侶になる気になったらならせてもらおう。どうしてもなる気にならなかったら自分の道を目指そう」という風に腹を決めました。
 
それから佛教の勉強を始めると、佛教って面白いんですね。佛教ってこんなに広い世界で、こんなに深い思想があって、こんなにも様々な要素があるのかと、結構好きになりました。
 
実を言いますと、昔、高校時代に弁論大会に出た時に、父のアドバイスで岩波新書から出ている渡辺照宏先生の『仏教』(初版一九五六年。現在、第二版が入手可能)という本を読んだ時から、実は佛教に少しずつ興味を抱き始めていたというのが正直あったのです。
 
そして真剣に勉強すればするほど面白くて楽しくて、こんな世界があったのかと。そして専門的な修行に入ったら増々楽しくなったのです。まあしんどい事はしんどいんですけれども、それ以外にいくつも有難いと言うか何と言うか、様々な兆しがありました。
 
ここの眉間を佛様の眼と書いて「佛眼」と言います。言わば第三の目です。修行の最後に密教の大切な儀式で、いわゆる「伝法灌頂」というのに入りました。その時、目隠しをして花を曼荼羅に投げるのですが、その目隠しをする少し前から眉間がズキンズキンとする。ビリビリするというか、何と言いますか「あー、今佛眼が開けているんだろうか…」と思う様な事がありました。こうして儀式が終りました。
 
それでもまだ、なかなか僧侶になる決意というか、完全には腹が決まりませんでした。
 
大いなる御意志に祝福された専修学院時代の「涅槃会」
 
三学期は一月から始まります。その間は専門的な修行ではなく、また勉強の方に戻ります。その中で自分なりに精一杯の事をしようと思いました。
 
毎日夜八時から十五分間、ちょっとしたお参りがあります。それから同行の皆は部屋に戻って九時までは自由時間なのです。その間、私は一人こっそり隠れて本堂に行き、お参りしていました。毎日お参りをして、自分なりに行のおさらいをしたりしていたのです。時には夜の十一時、十二時という日もありました。
 
そんな中で何か思う所があって、十三日の夜はそのまま徹夜でお参りしておりました。翌十四日の夜から十五日にかけてが「涅槃会」ですから、二晩続けての徹夜になりました。
 
そうしてお参りしていたら、上の方から温かい祝福の声のような、そういうのを感じて、お経を唱えていたら涙がポロポロと流れてくるんです。寒いのでそれが蒸気になって上って来るんですね。白い煙に包まれるような感じです。その中で何とも言えない有難い気持ちになりました。
 
夜が明けかかると、慌てて皆の集合する時間にすべり込み、一緒に朝のお参りをしました。そして朝のお参りが終って本堂から出てくる時に朝日が上がってきました。その時もまぶしい朝日の光そのものが祝福してもらっているなぁ、有難いなぁと、「自分は僧侶にならせて頂いていいのだ」と、そういう思いに至ったわけです。
 
明けて二月十四日の夕方から金剛峯寺に皆で集まります。そして翌朝の八時位まで徹夜での法要があるのです。この法要は高野山で今も毎年行われていますが、これを「涅槃会」と申します。
 
「声明」には色んな種類があるのですが、さながら能のお謡みたいに感じるものがあるのです。あとで色々調べてみたら、佛教音楽が能の原点にもなっているという事、日本音楽の源流が声明である事を知って、佛教の伝統は凄いものなのだなと思いました。非常に心が穏やかになる。「涅槃会」はそういうものが四部構成になっています。
 
そんな中で、その前々日、十三日のお参りで感じた有難い体験というか、祝福されているという事をもう一度、「涅槃会」の中でじっくりと味わいながら、自分の中に沁み込ませていったのでした。結局は、自分なりに真剣にぶつかって行ったからこそ、僧侶としての心構えを頂けたんだろうなと思うんですね。
 
そういう事があったので、そのまま高野山大学に進んで修行するという事になったのです。
そういう事が私の僧侶としての出発の原点の中にしっかりと刻まれていますので、二月十三日と十四日には特別な思いがあるのです。
 
己に活を入れた高野山奥之院での寒中水行
 
それと同じような体験を、それから二年後に再び経験しました。高野山大学での学生生活が始まると、少しずつ自堕落になっていったのです。
 
当時、開山上人様が一所懸命、奥之院の開創に心血を注いでおられました。その頃は『大日新聞』と言いましたが、送って頂いておりました。その中で電話をかけたり手紙を書いたりして、疑問点を問い質したりしていました。ご高齢なのに頑張っておられると思った時、自分はこんな自堕落な生活ではいかんと思いました。
 
そこで親友の一人と、「初大師」に水行でもして活を入れに行こうかと思い立ち、二人で高野山の奥之院に行き、そこを流れる玉川の水行場で久しぶりに水行をしました。
 
毎月二十一日が弘法大師様の御命日ですから、一月二十一日が初大師となります。彼はその一日だけでしたが、私はこの際だから二十一日間水行を続けると決めました。
 
その二十一日間の中には、電線に雪が積もり断線して停電になった日もありました。真っ暗な中を通いなれている道とは言え、よく行けたなと思います。不思議な事に、先を照らしてもらっているようにも感じていました。足袋を履くと雪がくっついて、却って凍傷にかかるので、足袋を履かずに雪駄の上から裸足でそのまま走るようにして通っていました。
 
最初は、開山上人様に「こういう事で、二十一日間、何時位から水行を致しますので宜しくお守りください。お願いします」と電話でお伝えしました。その後は十円玉一個を持って公衆電話で「今から行きます」「ウンわかった」と、その会話だけで水行場へ通いました。
 
停電になって真っ暗で、どうしようもない時でも不思議な事に辿り着けました。第三者がみたら真っ暗な中走って行くあれは何なんだろうか?と思われたかもしれないと、後になって思いました。下宿から水行場まで三キロ位ありますから、普通に歩いても四十分近くかかるんですけれども、二十分もかからずに到着しました。
 
フンドシ以外全ての服を脱いで、水を被って川に入ります。今でもこの時期に集団で水行されている姿をテレビなどで見ると、懐かしいな、皆頑張っているなと思います。
 
寒い時は氷点下十度を下回りますので、流れのない淵の部分は凍っています。氷を割って入ると、全身を針に刺される様な感じです。上がったらポカポカすると言う人がおられますが、そんな生易しいものではありません。本当に全身を針で刺されるように感じるのです。ちょこっと入ってぱっと出たら、その後ポカポカするのかも知れませんが。
 
『般若心経』三巻他、色々な御真言等を唱えますので十分近くは入っているんですね。すると体が芯まで冷えて、ガタガタと猛烈に震えるのです。まさに歯の根も合わないとはこういう事です。そしてフンドシを脱いで着替えますよね。その脱いだフンドシは、その間に完全にカチンカチンに凍ってしまいます。
 
まあそういう風に水行を二十一日間続けたのですけれども、一番寒い時期に少しは何か性根が入るかな、自信がつくかなと、そういう位の軽い気持ちでした。(続く)




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