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大日乃光






大日乃光

2020年08月26日大日乃光第2283号
悩み苦しみとコロナウイルスと信仰

瞋りと憎しみの解消で幸福になる
 
我々の悩みや苦しみや病気はそもそもどこから起こるのでしょうか?
 
弘法大師様は『秘密曼荼羅十住心論』の中で、次のようなことを書いておられます。
「三毒(貪り、瞋り、おろかさ)によって心を苦しめ、悪霊などのたたりと業の報いと体の不調により病気となる。心の病も多いと言ってもその原因は唯一種、すなわち根源的な無知(無明)である。
薬の効能は祟りや悪い報いなどを退ける事はできない。
修法(祈祷)の働きは一切の病を治すことが出来る。
迷いも悟りもそれはおのれにあるのであるから、執着の心がなければ、たちまちに悟りの世界に到る」
と言う風に述べられておられます。
 
心理療法でもある内観は、現在コロナ禍の中にありますので、直接接触のない「Eメール内観」のみを行っておりますが、内観面接を三十年以上続けている経験を通しても全く同じ事を実感しております。弘法大師様の述べられた通り、瞋り(いかり)、即ち、憎しみや恨みや呪いが、心や体の病気の大きな原因の一つであるという事です。それと、物事や人への執着も、病気のみならず、仕事や家庭やもろもろの事が上手く行かない原因となっていると言えます。
 
また、不幸な人やうまくいかない人は被害者意識を持っている事も多いようです。人間は誤解したり、逆恨みしたり、事実を自分に都合のいいように変形させて覚えている事も、結構多いのです。昔の事を思いだし、自分側から主観的に見るのではなく、相手側から客観的に観る事により、本当の自分の姿に気づけます。
そうすると、感謝や赦しが自然発生的に起こり、心の浄化ができるのです。
 
先日もEメール内観者が、祖父に邪険にされたと思っていたが、内観してみると、祖父に色々としてもらっていた。実は愛されていたんだという事に気づいたり、祖父の再婚相手の義理の祖母への憎しみが相手サイドから考えてみる事によって、義理の祖母の心情も良く解り、して頂いた事も思い出し、憎しみが氷解されました。その結果、今まで低かった自分自身の自己肯定感も高くなり、明るい世界を持てるようになりました。
 
両親が幼くして離婚した東ヨーロッパの外国の方もEメール内観をされましたが、母親と祖父への憎しみとトラウマが消えました。母が苦労して自分を育ててくれた事や、嫌っていた祖父が自分のミルクや食料を買う為に、寒い中、早朝から行列に何時間も並んで買ってくれた事を思い出したのです。
 
このように、してもらった事を思い出したり、迷惑や心配かけた事に気づくと、感謝し赦せるようになり、憎しみや怒りが溶けていきます。心の汚れが取れ、満月のように清浄な心になってくると、心の病気が治り、場合によっては、肉体的な病気まで良くなることがあります。
 
感謝する事と赦す事が幸せへの入り口、憎しみと怨みは不幸への入り口なのです。
 
このコロナ禍の中、じっくりと考えられる時間が増えていると思います。その時間を有効に使って、自分の心のアカ落としに使われたらいかがでしょう。内観されてもいいし、『般若心経』や「御宝号」を唱えたり、あるいは、写経や瞑想をされてもいいと思います。無理のない範囲で、簡単にできることを、できるだけ毎日一回継続されると大きな効果が出てくることでしょう。買い物に行くとき歩きながら、御宝号を唱えられても結構です。
 
開山上人様も御法話のテープの中で、先祖供養とは自分自身を浄化することでもあると仰っています。先祖供養の回向が自分自身に戻ってくるのです。
 
あるがままに観ると、問題は半分解決
 
『般若心経』は、観自在菩薩様が、お釈迦様の十大弟子のなかで智慧第一と言われたシャーリプートラに説かれる形をとっています。観自在菩薩とは、観音菩薩様のことです。自在に観る仏様です。自在に観るとは、あるがままに深く観ると言う事です。
 
ところが、これがなかなか難しい。人間は大人になるまでのまわりからの色々な影響で、どうしても偏見無しには物事を見れません。皆、何らかの色眼鏡や利害関係を通して人や世の中を見ているのです。
 
仏法ではどう説いているか見てみると、真言密教の根本仏である大日如来のもっておられる智慧、「五智」の中に 大円鏡智と、妙観察智があります。大円鏡智とは、池の面がまわりの景色をそのまま、あますところなく映しているように、すべてを明らかに観る智慧です。妙観察智とは、もろもろの事象の違いを正しく観察認識する智慧です。
 
起こった出来事はプラスマイナスゼロの位置で、最初は何の色もついていません。それに我々の心、即ち脳が、様々な色や意味をつけていくのです。人が千人いれば千通りの意味づけがされます。
 
ですから、問題解決のために重要な事は色眼鏡をはずして、物事をあるがままに観る事から始まるのです。物事を白紙であるがままに観て、本質的な所をつかむ事が全ての始まりになります。それが出来れば、問題は半分以上解決したも同然なのです。あとは解決方法を考えて行動するだけです。
 
コロナ後は本質と適応力が問われる
 
現在コロナによるパンデミックに世界は翻弄され混乱を続けています。世界の新型コロナウイルス感染者数が二千万人を超え、死者数も七十三万人を超えました。(令和二年八月十日現在、ジョンズ・ホプキンス大学)日本の感染者数は約五万人で死亡者数は約千人です。(八月十日現在、NHK)
 
この状況はあと二年位続くとみられますが、パンデミックに伴う今回の緊急事態宣言下の自粛状態で、今、我々は何が本当に大事なのか、自分の人生や生活や信仰や職業について、じっくりと本質的な所を考えることを問われているのではないでしょうか?
 
また、キャンパスのないインターネット上だけの大学や、厨房だけで客席のないレストランのように、今後は、本質的なものがより問われる時代になると思われます。「家族とは何なのか?」「学校の本質とは何なのか?」「教職員の本質的な役割とは?」「レストランや料理人の本質とは?」「自社や自分の仕事の本質とは?」「自分は本当は何をやりたいのか?」等々が問われ、それに応えることのできた団体や会社や人々が生き残っていくのではないでしょうか?
 
ダーウインは述べています。「強い生物が生き延びるのではなく、変化に適応出来た生物が生き延びるのだ」と。まさに、そういう時代になりつつあると思います。観察し、適応方法を探り、決定し、行動するのです。
 
そこにおいて、我々一人一人が考え、少しでも変化することが重要で、その小さな変化が集まって、組織や地域や日本や時代を動かしていく事につながるのではないでしょうか?そして、それによって我々自身の人生がより良くなることにつながり、幸福になると思います。
 
信仰が試されている
 
現在新型コロナウイルスによるパンデミックで世界中の人々が苦しんでいます。仏様は何故ひどい苦しみ(試練)を私達に与えるのでしょうか?我々はゆるぎない信仰を試されているのではないか?今までを反省し、変化に適応しなさいと教えて下さっているのではないか?我々は、強い信仰心と忍耐によって、時間をかけて、その答えを見つけねばならないのでしょう。そして、そのことにより、更に信仰心が深くなり、救われるのだと思います。
 
今一度、皇円大菩薩様への信仰を強く持ち直し、毎日少なくとも一回は、御経や御宝号をお唱えするようにしましょう。家族の人々ともできるだけ一緒にお参りするようにされ、子供さんやお孫さんたちにも信仰を伝え直していただきたいと思います。そして、コロナ終息後には、また再び蓮華院の地でお会いしたいものです。この機会を生かして信仰を更に深くする事により、皆様方が更に幸せになられることを心よりお祈り申し上げます。合掌




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