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2020年09月09日大日乃光第2284号
先祖供養の功徳が私達に御利益を及ぼす

令和二年の特別な夏に思う
 
信者の皆さん、厳しい残暑の続く中、お元気でお過ごしでしょうか。
今年はコロナ禍の続く中、なつかしい両親や祖父母の待つ故郷への帰省や、ご先祖様への墓参りも思うに任せない、まさに「特別なお盆休み」をそれぞれに過ごされた事と思います。
 
テレビをつけると心を暗くするようなニュースばかりが続きますが、そんな中で感染症を拡大させないために慎重な行動を求められている都会の若者たちが、インタビューのマイクに向かって口々に「故郷に帰りたい」「祖父母に顔を見せたい」「お墓参りをしたい」などと答えている映像が流れ、皆さんもご覧になったと思います。
 
私もふとその様子を垣間見て、善良な日本の若者達に親を思う気持ちや、ご先祖様を大切にする思いが案外しっかりと根付いている事が確認出来て、少しホッとしました。そのような若者たちが受け継ぐこの国の未来に、明るい希望を抱いております。
 
後で詳しく説明しますが、度々話してきたように、ご先祖様から祖父母、父母、自分へと、縦の流れがしっかり繋がっているこのようなご家族は、普段は目に見えない「潜在意識」の部分で土台がしっかり安定していますので、必ずや家運隆昌、子孫繁栄のご利益を頂かれる事でしょう。
 
私は日々、信者一同の心願成就とコロナ禍の一刻も早い終息を祈りつつ、御宝号を既に一千万遍を超えて念じ続けています。皆さんも祈りの力を信じて、一日に百遍でも御宝号を唱えて、皇円大菩薩様に一歩でも近づけるように努める日々を送って下さい。
 
先祖供養を勧める意味
 
さて、「暑さ寒さも彼岸まで」と言い習わしている秋の彼岸まで、あと十日あまりとなりましたので、例年のことではありますが、彼岸供養について少しお話し致します。蓮華院では、正月供養・お盆供養・春秋の彼岸供養を「四度供養」と呼び、長年の伝統行事となっております。
 
「祈祷寺の蓮華院で、なぜ供養を勧めるのですか?」という質問を受けることがあります。実はこの先祖供養こそ「現世利益」(来世での安楽だけではなく、現世での様々な功徳を頂くこと)の祈祷の大切な要素なのです。
 
当山に御縁があってまだ日の浅い方のために、先祖供養について少し説明してみましょう。
ある年の猛暑で庭木が枯れたことがありました。それらの木は表面上、目に見える範囲では立派な枝ぶりの庭木でした。しかし植えてから間もなかったこともあり、まだ充分に根が張っていなかったのでしょう。 
 
植物は、幹や枝や葉など地上の目に見える部分と同じくらいに、目に見えない地下で根が伸びて広がっています。大きな根の先に小さな根が枝分かれし、その先にはまた小さな小さな根毛が縦横無尽に大地に広がり、たくさんの水分や養分を吸収して、地上の部分を支えているのです。この根が充分に育っていない木は、暑い夏に旱魃が続くと耐え切れずに枯れてしまうのです。
 
ご先祖様に善業を振り向ける
 
佛教では、人間も植物と同じように、目に見える生きている現実世界を陰で支えているのは、過去世(前世)での長い長い輪廻転生の善い行い(善業)や悪い行い(悪業)の蓄積と教えています。この善悪の業が、今の私達の現実の生活を陰で支えているのです。この輪廻転生は、多くの直系のご先祖様達とも深い繋がりがあります。
 
山の木々の自然の営みをよく見てみると、秋から冬にかけて葉を散らした木は、その落葉が積もり積もって堆肥となり、肥料となります。こうして地下の根を養っていきます。根に養分を与えられた木は、その根に力をもらって幹を太らせ成長して、更に葉を繁らせていきます。この様にして大木となった木もいつの日にか成長を終え、その使命を終えた後、枯れ果ててついには大地の土となり、その近くの別の若い木々の養分となるのです。
 
当山で修している「四度供養」などの先祖供養は、この根に肥料を施すことに当たるのです。自分自身の生活の一部をご先祖様に振り向けるので追善供養(ついぜんくよう)とか廻向供養(えこうくよう=供養の功徳を先祖様に廻らし向ける)と言うのです。
 
立派なミカンを求めるならば
 

この事を開山上人様は、
「立派なミカンを収穫したいと思うなら、ミカンの木を大切にし、根には充分肥料をやらなければならない」とよく仰っておられました。立派なミカンを収穫するということは、ご利益を頂き、幸福な人生を頂くということです。肥料をやるということは、感謝の心をもってご先祖様を供養するということです。
 
このように申しますと、近代的な合理主義や唯物主義の立場の人からは、「先祖供養が今の幸、不幸に何の関係あるものか!!」と言う反論が聞こえて来そうです。
 
しかしひたすら多くの収穫を追求して来た近代的な農業は、収穫量の面では確かに成功しましたが、昔ながらの土作りを大切にする有機農法や自然農法で作られた野菜に比べて、栄養素やミネラルの面で大きな違いがあります。まして味を比べれば、差は歴然としています。
 
一昔前の農業では、全ての植物は窒素・リン酸・カリウムの肥料の三要素さえあれば育つと思われていました。ところがその後、研究がさらに進むと、それ以外の様々な養分も必要であると解ってきました。
 
この様に、科学の世界でもまだ解っていないことが、実は多いのではないでしょうか。だとすれば、将来のいずれかの時代に、人間が生まれ変わり死に変わる「輪廻」のことや、先祖供養の意味も、一般に理解される日が来るかもしれません。この世にはまだまだ人知の及ばないことが多いのです。
 
それに対して、全てを今の科学的知見で合理的に割り切ることができると考えるのは、人間の傲慢に過ぎないと思います。 もう一つ別なたとえで先祖供養の意義を説明してみましょう。
 
ご先祖様や前世に繋がる人の心の潜在意識
 
現代医学で解っている限りでは、人間は全ての脳細胞の十パーセント程しか日常生活には使っていないそうです。残りの九十パーセントがどんな働きをしているのか、充分には解っていないとのことです。十パーセントの脳が行っている働きは顕在意識(けんざいいしき)と呼ばれ、私達の考え方や行動、意志を支配しています。
 
それに対して脳の九十パーセントは潜在意識(せんざいいしき)と言って、日頃表に現れない無意識の心の領域を支配しているのではないかと言われています。私達の日々の生活は、顕在意識に従って生きている様に見えますが、実は九十パーセントもの潜在意識が陰で大きな働きをしているということです。
 
脳の働きのわずか十パーセントの顕在意識を、現在の私達の生活にたとえれば、九十パーセントもの潜在意識の方は、ご先祖様や自分自身の前世にたとえることができるでしょう。
私達は普段、自分自身の意志のみで生きている様に思っていますが、実はその九倍もの影響を、目に見えないものによって無意識のうちに左右されているのです。
 
実り豊かな人生を送るために先祖供養を大切にしよう
 
彼岸供養などの先祖供養は、今を生きる私達の根に当たる無数のご先祖様方に肥料を施すようなものです。植木にたえず肥料を施していると、豊かに繁り、多くの実を付けるように、供養の功徳が目に見えない内に作用して、現実の私達の生活が豊かになるのです。
 
また、深い感謝の心に基づく先祖供養を繰り返し繰り返し続けて行けば、それが潜在意識の中に組み込まれ、そのうちに表面の意識である顕在意識を動かし、やがて現実の生活にいつの間にか滲み出て来るようになります。
 
これとは逆にご先祖様をないがしろにし、不平不満ばかりの生活を送って行きますと、いくら恵まれた環境にあっても決して幸福にはなれません。
 
以上、樹木の栽培や人間の脳にたとえて私達の現実のこの世の幸、不幸と、先祖供養の関係について説明しました。
 
日本の素晴らしい伝統行事でもある秋のお彼岸を前に、一人でも多くの信者の皆さんが、ご先祖様を感謝の気持ちで供養して頂き、佛壇へのお参りやお墓参りを家庭の伝統行事として行って頂き、その功徳を頂かれますようにと念じております。合掌




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