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2021年08月10日大日乃光第2313号
「なぜ『供養』が必要なのか?」

「なぜ『供養』が必要なのか?」
(準教師 藤井英仁〈文学博士〉)

 
 
仏教における死後「中有(ちゅうう)」について
 
今回はなぜ「供養」が必要なのか、ということについてお話し致します。
 
このお話をするには、まず「死後、人間はどうなるのか?」という疑問について仏教がどの様に教えているかを知らねばなりません。
 
仏教経典や、過去の仏教僧侶たちが書かれた経典の解説書(論疏)では、死後に人は「中有」をさまようとされています。「中有」はantara-bhavaという言葉を翻訳したもので、antaraは「中間の/間の」という意味、bhavaは「状態/存在」という意味です。ですので、人は死後「中間の状態」になるというのです。では「中間の状態」とはどの様な状態なのでしょうか?
 
仏教の基礎を学ぶ為に必要と言われている『倶舎論』という書物があります。仏教を学ぶ者の間で良く言われる「唯識三年、倶舎八年」という言葉があります。仏教思想の一つである「唯識」を理解するのに三年かかり、先の『倶舎論』の思想を理解するのに八年かかる、と伝統的に言われています。
 
この『倶舎論』の中に「中間の状態」すなわち「中有」のことが説かれてあり、「死有と生有の中間に展開される自己の存在、それが中有と言われる」と述べられています。つまり、「中間の状態」とは死と次の生の中間にある状態のことであり、これが仏教では「中有」と呼ばれているものです。
 
仏教では、生まれては死に、死んでは次の生を受けるという「輪廻転生」の思想を基礎としています。この限りなく続く生死の繰り返しに関して、弘法大師は自身の著書である『秘蔵宝鑰』という書物の中で次のように述べておられます。
 
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
 
私たちは今回人間として生を受けましたが、生前の自己の行いによっては牛や馬などの獣、あるいは虫、あるいは人間などとなって次の生を受けます。しかしながら、この「輪廻」の法則を知らない者は「死んだら全て終わり!何もないんだ!」と勘違いして、好き勝手に生きて罪を重ね続けてしまう人も残念ながら現れてしまいます。
 
弘法大師はこの法則を知らない者を、自分が狂っていることを知らない「狂人」、あるいは自分が目が見えていないことを知らない「盲人」に例えられたのです。
 
「輪廻」や「因果」といった法則を知らない人は罪を重ねて何度も生まれ続け苦しみますが、その先に光は無いので「生の始めに暗く」と言われ、また死んだとしてもその罪故に先に光が無いので「死の終わりに冥し」と言って弘法大師は嘆いておられるのです。
 
「中間の状態」すなわち「中有」にいる期間は論疏によって異なった説が説かれています。日本においては通常四十九日間と言われており、現在「しじゅうくにち」と呼ばれている期間になります。
 
この期間は『大毘婆沙論』という論疏に説かれています。この中には「中有」の期間の説がいくつか挙げられ、①少しの間、②最長で四十九日間、③最長で七日間、④定まっていない、という四つの説があります。
 
当蓮華院誕生寺の中興開山である是信大僧正様は、中有にいる期間は通常四十九日間であるけれども、生前の悪業を積んで罪汚れの多い人は十年も百年も百五十年も中有にさまようことがあると仰られました。
 
「中有」の後に行く先はどこか
 
「中有」の期間が終わると、生前の善悪の行いに従って「十界(じゅっかい)」という霊界に振り分けられます。「十界」とは、十の霊的世界(霊的境地)のことを指しておりそこに優劣があります。
 
皆さまのお財布にも入っているポイントカードを想像して頂ければ理解し易いでしょう。功徳ポイントというものがあり、善い行いによって功徳ポイントが溜まり、悪い行いによって功徳ポイントが減ると考えて下さい。生前の功徳ポイントの量の多寡で良い所に行けるか悪い所に行ってしまうかが分かれます。
 
十界については、古くは中国天台宗の祖である天台大師智顗という方がまとめられた『法華玄義』という書物に説かれています。この書物は、天台三大部と言われる天台宗でも重要な三つの典籍の一つであり、皇円大菩薩様はこの天台三大部を源空(後の法然上人)に教えておられます。
 
これについて、師皇円大菩薩様と法然上人との話が『法然上人伝絵詞』には以下のように伝えられています。現代語訳を挙げてみましょう。
 
法然はついに久安三年(一一四七年)の冬、生年十五歳にして登壇受戒。十六歳の春に初めて[天台三大部の]本書を開いて昼夜の別なく、眠くても腿に錐を刺して眠りを忘れて、十八歳の秋に至るまで三年の間閉じこもって[天台三大部の]六十巻を読み終わった。[法然の]智慧は天から授かったもののようで、[皇円大菩薩様という]師の伝授を経たのであった。
 
この天台三大部の内の『法華玄義』には、十界を①地獄(じごく)、②餓鬼(がき)、③畜生(ちくしょう)、④修羅(しゅら)、⑤人(にん)、⑥天(てん)、そして⑦声聞(しょうもん)、⑧縁覚(えんがく)、⑨菩薩(ぼさつ)、⑩仏(ぶつ)としております。①から⑥までの六界は迷い(凡)の世界であり、⑦から⑩までは聖なる世界であります(前頁図参照)。
 
なぜ供養が必要となるのか
 
さて、ここまで死後の「中有」とその後の「十界」についての説明をしてきました。これで本題の「なぜ供養が必要なのか?」を説明する準備が出来ました。
 
先ほど、功徳ポイントの話をした様に、人のお金を借りて返さなかったり、故意に人を殺めたり、危害を加えたり、仏法を謗ったりといった行動によって生前の功徳ポイントが溜まっていなかったりマイナスになっていた場合、悪くすれば①から④の地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪道(しあくどう)に堕ちます。ここに堕ちてしまった場合、堕ちてしまった相手に供養の功徳をめぐらし向けることによって功徳ポイントを加算してあげなければ上に上がることが出来ずに、さまよい、苦しみ続けてしまいます。
 
また、⑧の縁覚界に入りたいと思っても功徳が足りず、⑦の声聞界や中有で修養を続けることもあるようです。しかしながら、それでも功徳が足りずに縁覚界に入れなかったご先祖様が家族に功徳を請求しに来られるので、それを因縁として病気や不幸が起こることがあると開山上人様は仰られました。
 
だからこそ、当寺では特に「先祖供養」をするようにおすすめしているのです。
 
輪廻し続ける原因は他でもない自分自身
 
このように申しますと、「何だ!脅しているのか!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら裏を返せば、人はみな精進次第で仏の地位まで上がれるということです。これを仏教では「仏性」と言います。すなわち人は誰でも仏の性質を持っているということです。
 
残念ながら私たちは自己の中にある仏様の種に気付かず、その種に水をやって育てるどころか、悪業を犯し続けて種の周りに要らぬゴミを撒き散らし続けているのです。それでは育つものも育つはずがなく、いつの間にか「どこに種を埋めたのか?」と仏の種の場所さえ忘れてしまいます。
 
輪廻し続けてしまうのは、他の誰のせいでもなく全て自分の行いを原因としています。ご先祖様の功徳が足りずにさまよってしまうのも、究極的にはご先祖様の善行が足りなかった為であります。
 
それでも私たちは皇円大菩薩様を慕い、敬う皇円大菩薩様の末弟であるのです。皇円大菩薩様が龍神修行をされたのは、他でもなく私たち末世の衆生のことを憐れんだ「慈悲」の心によってであります。その御心に適うように、私たちもご先祖様への感謝と「慈悲」の心を持って供養していかねばなりません。
 
これまで説明してきたのは、供養が足りていないご先祖様から供養を請求された場合のお話です。この他に、悪因縁を原因として起こる不幸も御座いますが、この話に関してはまた別の機会に譲りたいと思います。 合掌




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