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2022年03月08日大日乃光第2332号
春のお彼岸を迎えるに当たり家庭生活の三項目に努めよう

令和四年の天皇誕生日に思う
 
二月二十三日は天皇陛下のお誕生日でしたので、毎朝の全国の信者の皆さんの御祈祷の前に、天皇陛下の玉体安穏、健康祈願を至心にお祈り致しました。
 
天皇陛下は誕生日前日の記者会見で、新型コロナウイルス感染症が猛威を振う中で、感染者や社会的弱者の救済に尽力されている方々への深い感謝を示されると共に、国民一人一人が互いを思いやり、痛みを分かち合い、支え合う努力によって、必ずやこの厳しい困難を乗り越えられると明るい希望を示されました。
 
また昨年十二月に成人となられた愛子様について質問された際は、皇后陛下と共に仲睦まじい健全な家庭生活を営まれているご様子が伺われ、微笑ましくもまさに国民の模範としての皇室の在り方を体現されている事に深く感じ入りました。
 
昭和天皇以来、皇室ご一家と言えば水辺の生き物へのご関心が高く、高度な研究成果を発表して来られましたが、今上陛下は同じ水辺を舞台としながらも、人々の営みの方に関心を向けられている文系の歴史研究者であられます。
 
今回の記者会見でも、戦国時代の後奈良天皇の『宸翰般若心経』を拝見された際の、奥書に示された「民の父母」としての天皇の思いや、鎌倉時代に花園天皇が皇太子を訓戒された「誡太子書」等に触れられて、ご先祖様である歴代天皇陛下の思いをしっかり引き継ぎ、天皇としての責務を果たして行くご決意を毅然として述べられました。
 
私達も陛下の思いを真摯に汲み、この困難な時代に一人びとりが痛みを分かち合い、感謝と思いやりの気持ちを持って、共に明るい未来に向けて歩んで行かなければなりません。
 
春の彼岸供養を前に
 
今年も三月十八日から二十二日まで、当山では春彼岸供養を厳修致しますが、この時期になると、ある道歌に思い至ります。
 
春彼岸 悟りの種を 蒔く日かな
 
「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言われるように、お彼岸の時期を迎えると凌ぎやすく過ごしやすい気候になりますので、右のような「悟りの種」を蒔き、私達が佛様になる、または人が佛様に近づくのに相応しい時候と考えられてきたのです。
 
〝サトリ〟の持つ多様な意味
 
俗に「佛」と言えば亡くなった人の事、「成佛」と言えば人が亡くなる事と、間違った意味に囚われています。佛教では「佛」とは「サトリ」を開いた方の事ですので、「サトリとは何か?」から少し考えてみたいと思います。
 
立心偏( )に吾と書く悟り(サトリ)は、「吾(われ)の心を知る事」と解釈することが出来ます。『大日経』ではサトリの事を、「実の如く自心を知る」事、つまり自分の本当の心をそのままに知る事であると説いています。
 
当山で三十年以上前から行なって来た「内観」も、この自分の心を知る大きなよすが(機縁)の一つでありますから、お彼岸のように暑くも寒くもないこの時期こそ「内観」の実修に相応しい時期と言えるでしょう。
 
またサトリを「覚り」と書く場合は、物事の道理をしっかりと見定めるという意味です。これも自分の心を明らかに見るのと同じように、周囲の世界をありのままに見るという考え方になります。
 
今ひとつ「諦り」と書くサトリもあります。これは、ただ単に望みや希望を捨てて諦めるという意味ではなく、「物事や自分自身の事をアキラカ(明らか)に見定める」という意味の、諦めるという説明もあります。
 
ダジャレのような話としては、サトリとは差別のサを取る、つまり全ての人や物が、本来平等である事を自覚する事がサトリであるという話もあります。
 
二つのサトリの文字を合わせて「覚悟」と書いた時には、強い信念を表します。
 
以上をまとめると、悟りとは
一、自分自身の心の奥底にある本来の自分に目覚める
二、物事の道理を見極める
三、周りの事柄や自分の心をありのままに見る
四、全ての命の平等性に気付く

などとなります。
 
美しい故郷の風景に重ねたい ご先祖様の輪廻転生
 
これは人が亡くなる時に「成佛する」と俗に言われる話とは全く次元が違います。人は亡くなると亡者(もうじゃ)になるのであって、亡くなればすぐに佛になれる訳ではありません。人は亡くなったら遺族や親類縁者の懇ろな供養を受け、そして僧侶の引導を受けて、四十九日後に次の四聖界に往生する、というのがインド佛教以来の伝統的な往生のあり方なのです。
 
日本では、その九十パーセントの方が自覚していなくとも、神道と佛教の混じり合った生活を送っています。そのような私達の普通の感覚では、たとえば祖母が亡くなった頃に赤ちゃんが生まれたら「この子は亡くなったお婆さんの生まれ変わりかもしれない」と、何気なく思ったりします。これは佛教以前から伝わる魂の生まれ変わり、アジア地域全般に広く伝わる輪廻転生の感覚にも通じています。
 
一方で極楽浄土は西方十万億土、つまり西方のとてつもなく遥か彼方の浄土と表現されています。しかし故郷の親族や、田舎の地域などの身近で狭い範囲では、故郷を象徴するような美しい風景の山や川や海に亡くなった方々が住んでいる、と信じられる場合もあります。
その意味では私達の故郷がまさに浄土であり、先祖の魂が宿る浄地なのであります。
 
日本の風土が生んだお彼岸の行事
 
人が今現在を生きている間に佛になろうというのが、本来の佛教です。佛教とは人が佛になるための教えなのです。しかし、現実にはなかなかそのように簡単に佛になれる訳ではありません。
 
佛教は、お釈迦様が初めて教えを説かれてから二千五百年もの間に、インドを始めアジアの多くの国々に伝わりました。その伝わった先々でその国の伝統や文化、そして様々な民族の個性に応じて変化しました。
 
日本の場合、その気候風土は砂漠のような過酷な環境ではなく、かと言って熱帯や厳しい寒冷地でもありません。最近では地球温暖化の問題が言われ続けていますが、日本はまだまだ他の地域、国々より穏やかで優しい気候風土と言えるでしょう。
 
そんな中で生まれたのが、春と秋のお彼岸の行事なのです。彼岸とは読んで字のごとく、「彼の岸」です。彼の岸に対して此(こ)の岸が「此岸」。この暑くも寒くもない極楽のような現実の気候の中で、お彼岸の行事が定着したのです。
 
良き伝統が途切れがちな最近のお墓事情
 
この日本民族のご先祖様を大切にする良き伝統が、日本の過去の先人や歴史を尊ぶ麗しき民族性となって連綿と伝えられたのです。その中で、家庭生活や社会生活の規範として、良き影響を与えて来たのです。
 
ところが戦後から、この良き伝統がなしくずしに失われて来ています。勢いご先祖様を大切にする伝統も、歴史を尊ぶ国民性も急激に劣化し、近年ではお墓を守れなくなって「墓仕まい」などという悲しい出来事が都市部では急激に増えています。
 
先代の発案で建立された当山の霊園、「蓮華院御廟」は、今年、開創三十周年を迎えます。
この御廟でも最近増えているのが、「今後、子供達の時代になるとお墓が守れないかもしれない」という不安から、これも先代の発案による「永代供養」を付け加えて欲しいという要望です。この事からも、都市部のような風潮が、こちら九州でも着実に増えてきている事が実感されます。
 
お佛壇に手を合わせる習慣を続けよう
 
天皇陛下のお話を伺うと、ご先祖様を大切にする思いと、円満な家庭生活の間には、大きな関連性がある事に改めて気が付きます。
 
家族が朝から互いに挨拶を交わしあう家庭。毎日食事を一緒に食べる、家族の団欒のある家庭。父母、祖父母を大切にする家庭など。そういった家庭では当然のように家の中の佛壇に皆がよく手を合せ、春秋のお彼岸には皆でお墓参りをする事が習慣になっているはずです。
 
お墓を守れないかも?と思われる家庭では、先のような家庭生活の良さが充分に機能していないのではないかと思います。
 
私達が自分自身の老後や死後に子や孫達から大切にしてもらうためにも、先の良き家庭での習慣を率先して実行する事が、いかに大切かと思うのであります。
 
春のお彼岸を迎える前に、年頭にお伝えした三項目、
①互いに挨拶を交わし合う
②食事の時、合掌して「いただきます」「ごちそうさま」をはっきり心を込めて言う
③「履きもの」を揃える

を、今一度、しっかりと実践して頂いて、良き家庭環境を実現されて、ご先祖様を大切に供養して頂きたいと念じております。合掌




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