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大日乃光






大日乃光

2022年07月12日大日乃光第2342号
七百六十年の菩薩行を享けて成就された蓮華院再建の使命

お告げに導かれた寺院再興
 
現在のこの蓮華院の建つ場所には、かつて地元の人達が怖れていた森がありました。この森で木を伐ると頭が痛くなり、子供が遊ぶと腹が痛くなり、また女性が通ると目を患うという事で、「あら神さんが棲んでいる」と噂されていました。
 
村人達は霊験あらたかな有名な神社にお祓いを頼んだり、お寺や修験者に祈祷をお願いしましたが、全く効験がありませんでした。
 
その頃、荒尾で祈祷所を開いておられた川原是信師(後の開山上人様)の評判がこの地域の村人に伝わり、是非あの方に「あら神様」を鎮めて頂きたいとお願いする事になりました。
 
その少し前、開山上人様(是信大僧正様)は佐賀県三田川町(現在の吉野ヶ里町)の真言律宗の東妙寺で出家、得度されて修行を積んでおられました。その頃は弘法大師(お大師様)に深く帰依しておられました。
 
そして昭和四年の六月二十一日と八月三日に「来春三月、これより南三里の地に寺院を建立せよ」という弘法大師のお告げを二度も頂かれて、南三里と思われる地域を必死で探しておられました。
 
こうした中で村人から築地の村に招かれた開山上人様は、まさに弘法大師のお告げ通り、荒尾の祈祷所から南三里の地という事に驚かれ、早速その森の小さなお堂に籠り、三日三晩に亘る御祈祷を勤められました。
 
時に昭和四年十二月十日の明け方、まさに忽然と皇円大菩薩様が姿を顕されました。
「我は今より七百六十年前、遠州桜ヶ池に菩薩行のため龍神入定せし皇円なり。今、心願成就せるを以てその功徳を汝に授く。よって今より蓮華院を再興し衆生済度に当たれ」との御霊告を受けられたのです。
 
開山上人様にとって、その時まだ皇円というお方の名も、桜ヶ池が何処にあるのかも分からないままでした。
 
後に地元の歴史家に聞いて、昔、ここがお寺だったらしいという所までは分かりました。
しかし開山上人様は御霊告を信じられて、そのお言葉通りにお寺を建立されました。
それは昭和五年三月二十一日の事で、まさに「来春三月」のお告げ通りとなりました。
 
全国への飛躍の助走となった戦没者慰霊のための募金行脚
 
こうして再建成った蓮華院の歩みについては「古写真に見る蓮華院百年史」の連載で、準教師の伊藤祐真さんが本誌に著しながらまとめておられます。
 
ここでは開山上人様が戦後、まず最初に着手なされた、戦没者の菩提を弔うために計画されたお寺の建立の顛末をお話しします。
 
これは「百年史」で三十二~三十五回(『大日乃光』令和三年七月十一日~八月十一日号)にかけて、「萬霊殿護国寺の建立運動」として四回に亘って掲載されました。それは今のJR熊本駅の西、八百メートルにある万日山という高台に、高さ百八尺(約三十三メートル)もの巨大な毘盧遮那如来(大日如来)座像を中心に、一万坪もの大伽藍を建立するという壮大な計画でした。
 
是信大僧正様はお寺を挙げて、そのための募金活動を始められました。それは進駐軍から払い下げた二台のバスを寝泊り出来るように改造し、五人、十人ずつ組んで九州各地を募金行脚するという活動でした。しかし当時は戦後間もなくの事で、まだまだ日本全土の人々の暮らしは貧しく、残念ながら募金運動は上手く行きませんでした。
 
そんな中、私のもう一人の祖父で信徒会長を務められていた高原玉記さんが、「川原さん、あなたはそれだけの法力があるのだから九州を飛び出して、上方でも東京でも行きなさいよ」と提案をされました。
 
これがきっかけになり、金子真導師や吉永正法師達の力を結集して全国布教が始められ、今の蓮華院の発展の礎となったのです。今、こうしてお参りされた信者さんの中にも、当時の全国布教で御縁が結ばれた方々のお子さんやお孫さん方が何人も居られる事と思います。
 
奥之院の開山堂に魂を留め、見守り続けられる開山上人様
 
開山上人様は晩年に、さらに多くの人達に御縁を広めようと、皇円大菩薩様の御入定八百年の記念事業として、奥之院の建立を発願されました。
 
そんな中、昭和五十二年の六月十三日の御遠忌法要でこの法座から、
「私は奥之院の開山堂に魂を留めて、皆さん達の孫子の代まで見守ります。これははっきり約束します」と仰られたのです。これは今でも昨日の事のようにありありと憶えています。
 
そして六月大祭では前夜の法要にも出座されて御法話をされて、そして当日も御法話をなされたのです。そのお姿は映画『龍神の説法』に留められています。
それから半年後の十二月二十日に、開山上人様は安祥として御入定されました。
そして二十二日にこの場所(本堂)で密葬をお勤め致しました。
 
開山上人様がまだお元気な頃、よくトラックの助手席によいしょと腰を抱え上げて一緒に乗ったものでした。密葬の時にお体を棺に移すために手を添えた時、生前の様に腰の所を持ち上げたのですが、丸三日経過していたのに、何とまだ体温で温かいままだったのです。しかも皮膚の色や顔色が、何と言うか綺麗な透き通った色になっておられたので、驚くと共に「あのお言葉の通りに、まさに魂を留めて頂いているんだ」と、改めて痛切に実感したのでした。
 
こうして開山上人様は自ら開創を発願された奥之院の落慶大法要(昭和五十三年十一月十一日~十三日)の約一年前から開山堂にその身と魂を留められ、そこから全国の信者の皆さんを見守られ、今も救っておられるのです。
 
後を継がれた真如大僧正様は、「南無開山大僧正」という御宝号を作られ、今二尊御宝号として唱えています。その時にしみじみと、「開山上人様には確かに力を貸して頂いている。応援してもらっている。そういう事を実感する」と、仰いました。
 
真如大僧正様は「それまでの皇円大菩薩様の御霊力に加えて、開山上人様もお力を貸しておられるから、この蓮華院の持つ霊能、人を救う力は以前にも増している」と仰ったのです。
そういう事は私も日々実感しております。
 
御恩に報いる最勝の道とは
 
そういう中で、最も大事な所はここからです。ここに居られる皆さんは、全員、皇円大菩薩様からお恵みやお救いを頂いている方ばかりです。お救いや様々な御利益を頂いた私達が、その御恩に報いるにはどうしたら良いのでしょうか?どうしたらその御守護に対して御恩返しが出来るのか?という事です。
 
先の願文では、次のように述べました。
「ここに集いし弟子職員並びに全国信徒一同と共に、皇円大菩薩の御心を体して、混迷の時勢に菩提心を以て広く深く、各自の持ち場にて皇円大菩薩の慈悲と智慧の光を少しでも反射し、より良き光を放つべく精進努力せん事を誓う事こそ、御本尊皇円大菩薩のお恵みに報いる最勝の道に他ならず」
 
私達は皆、佛様の種を心に持っています。その種(佛心)は佛様からの慈悲と智慧の光を受けて、反射する事が出来るのです。
 
佛様から救って頂いた有難い御利益への御恩返しは、佛様から頂く光を周囲に少しでも反射する事なのです。それがまさに御本尊、皇円大菩薩様への最大の御恩返しであります。
 
皇円大菩薩様は輪廻転生を繰り返す事なく龍神として、衆生済度のための菩薩行を七百六十年に亘って修行されました。しかしそれはたいへんな苦しみを伴うものでした。龍には鱗の中に付く虫がいて、毎晩肉を食いちぎられる、それはそれは壮絶な苦しみなのだそうです。
常にその苦しみに耐えながら、衆生を救う修行に入られ、その心願が成就して、今ここに厳然として居られるのです。
 
そして皇円大菩薩様を信じる全国の信者の皆さんの、その心の中に確かに居られるのです。(続)




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