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2022年07月16日大日乃光第2343号
龍神入定の六月十三日を機に皇円大菩薩様に御恩返ししよう

 龍神入定の六月十三日を機に皇円大菩薩様に御恩返ししよう
 

「百字偈」の四行に示された大乗佛教の菩薩様の境地
 
皇円大菩薩様の境地を非常に端的に表す「百字偈」というお経の文句があります。
法要の時、僧侶がお唱えしています。
 
 菩薩勝恵者(ほさしょうけいしゃ)
 乃至尽生死(だいししんせいし)
 恒作衆生利(こうさくしゅうせいり)
 而不出涅槃(じふしゅっでっぱん)
 
この短い四句です。特に優れた菩薩様は、生まれ変わり死に変わりしながらでも、常に衆生に御利益を与え続けて、しかも自身は涅槃に赴かない、という意味の言葉です。
 
普通の佛教の感覚では、自身が悟りを開いたり、極楽に往生する事が最終目標ですが、そうではなく、悟りを開いても敢えて涅槃には赴かないという考え方です。
 
本来なら自身が安楽な境地に達したなら、それで充分でしょうけれども、周囲を見渡せば、まだまだ他の沢山の人々が苦しみや悩みを抱えている。また世の中が様々な混乱を抱えている。その中に在って、自身は何度も輪廻転生を繰り返しながらも解脱せず、現世に留まり続けて人々を救い、世の中の役に立つ事を繰り返して行くという大乗佛教の菩薩様の境地を表しているのです。
 
七百六十年の苦難の龍神修行は皇円大菩薩様の大慈大悲の御心
 
皇円大菩薩様はここをさらにもう一段階踏み込まれて、「生まれ変わり死に変わりしたのでは、また一からやり直さねばならない。大変な修行を重ねて学徳を積み高い境地に達しても、また生まれ変われば赤子となり、一から功徳を積み直さなければならない…」と考えられました。(もっとも、その人の胎内には前世からの功徳が籠っている筈なので、必ずしも一からとはならないでしょうが。)
 
そこで敢えて生まれ変わり死に変わりせずに、長命の龍神となって生き通しに生きながら、その代償として大変な苦しみを抱えられながらも、敢えて極楽にも涅槃にも往生されず、常に人々を救うお働きを続けるという御誓願を立てて修行をされた龍神入定の菩薩様。それがまさに当山の御本尊、皇円大菩薩様なのです。
 
これに匹敵する願いを立てられた方は、他には弘法大師しかおられません。日本の佛教史の中でも極めて稀で、極めて有難い願いを持って菩薩行を続けておられるのが皇円大菩薩様なのであります。
 
ですから御縁のあった私達は、皇円大菩薩様の絶大なる御霊力による御利益、その深い深い有難い慈悲や智慧の御心に対し、六月十三日の今日という日を良き御縁として、これを機にほんの少しでも佛様の光を反射して、何か一つ、周りの人達の為に良い事をしようという決意をして頂きたいのであります。
 
後ろに燦然と輝いておられる佛様に比べたら、ほんの小さいビー玉のようにわずかな光であっても、ぜひ反射して頂きたい。
 
国際協力の現場で学んだ「四摂事(四摂法)」
 
では具体的に、私達は何をしたら佛様の光を反射する事になるのでしょうか?これ(黒板の板書)は真言宗ではあまり強く唱えていませんが、曹洞宗では常識的な言葉で、「四摂事」(ししょうじ)と言います。
 
人々を信仰に引き寄せ、佛法に引き寄せる四つの方法、「四摂法」(ししょうぼう)とも言います。
 
第一に「布施」、人や社会に対して施す事。次に「利行」、相手の役に立つ事をする事。そして「愛語」、優しい言葉遣いで相手に接する事。そして「同時」、相手の傍に寄り添う事。
この四つはとても大事な事ですから、是非皆さん、覚えて帰って下さい。「布施・利行・愛語・同時」です。
 
この「四摂事」を実践する事が、誰にでも出来る御本尊様へのご恩返しになるのです。
この言葉を初めて知ったのは、カンボジア難民キャンプで国際協力活動を始めた頃です。現在のSVA(シャンティ国際ボランティア会)という曹洞宗の日本を代表する国際ボランティア団体の創設者で、事務局長を務めておられた有馬実成師から教わりました。それ以来、常に「四摂事」を心に納め、日々実践に努めて行こうと思うに至ったのです。
 
「無財の七施」の実践が、御本尊様への御恩返しになる
 
先代真如大僧正様は、よく『雑宝蔵経』というお経に出てくる、知識が無く、お金も無く、体力も無くても、誰にでも出来る「無財の七施」を御法話なさったものでした。以下、この七つの布施を具体的に一つずつ辿ってみましょう。
 
まず一つ目は「眼施」です。アイコンタクトと言いますが、私達は人と出会う時に、必ずまず目で接しています。
 
「目は口程にものを言う」とも言われるように、その時にどのような眼差しで相手に接するかで対人関係の第一歩が始まります。この時、優しい眼差しを相手に与え、施す事が目による布施、「眼施」になるのです。
 
次に「和顔施」。これはにこやかな顔色、穏やかな笑顔で相手に接する事です。
私の家内は言葉が出なくなりましたけれども、いつもニコニコ笑顔を向けてくれるのです。その笑顔に会えた瞬間に、どれだけ心が救われるか。本当に、「あー…、あなたはその笑顔の輝きで、いつも私を照らしてくれるね」と、涙をこぼしそうになりながら「有難うね、有難うね」と何回も何回もお礼を言います。
 
「眼施」と「和顔施」の二つは、たとえ言葉も体力も失くしても出来る布施と言えるでしょう。
 
そして「言辞施」。相手に対し、きちんとした言葉遣いで接し、不快な気持ちにさせないように言葉を選ぶ事。「言辞施」は、昨今のインターネット社会で、特に卑近な課題とも言えるでしょう。
 
昨日夫婦喧嘩をしていた人も、朝起きたら「おはようございます」と、優しい言葉をかけ合うだけで、険悪な空気が雲散霧消します。
 
また、何か有難い事をして頂いた時には、必ず「有難うございます」「有難う」「有難さん」と言葉に出すようにしましょう。実は「有難う」と言うこの行為そのものが、既に相手に対する布施になっているのです。百人が百人、「有難うね」、「あなたのお陰で助かりました」などと言われて嫌な気持ちになる人はいません。これは言葉による布施が、その時既に、そこに出来ているという証しなのです。
 
「身施」は、自分の身体を使って相手のために出来る事をする、行動による布施で、「心施」は、相手のために心配りをする布施の事です。何かを代わりに持ってあげたり、「大丈夫ですか?」と言葉と共に肩をさすってあげる。相手が落ち込んでいる時に、ただ黙って寄り添い、背中をさすってあげるだけでも、どれほどその人を力づける事になるでしょう。
 
残りの二つはインドの古い習慣から来た布施の事で、意味が中々難しいのですが、「床座施」とは座っている席や場所を相手に譲る施しです。インドは暑い国ですから、例えば自分が日陰に座っていたら、その日陰の場所を相手に譲ってあげる事です。
 
現代風に言えば、乗り物などでお年寄りや身体にハンディキャップのある方などに席を譲ってあげる事が「床座施」の一つと言えるでしょう。
 
また昔のインドでは、容易く家屋が潰れた事情があったので、家をお年寄りに譲ってあげるという施しがありました。それを「房舎施」と言いました。これも今なら、相手を快く家に迎え入れて温かくもてなす事や、家庭の食事に招いてお接待する事は「房舎施」と言えます。
 
このように例えお金が無くて、知識が無くて、体力が無くて、何も無くても出来る布施が「無財の七施」なのです。また以上の内容から、この「無財の七施」が「四摂事」の布施ばかりでなく、利行、愛語、同時の実践でもある事が容易に理解できると思います。
 
 
佛様の光を周囲に反射し、一隅を照らす灯し火になろう
 
私達が皇円大菩薩様の有難いお救いやお恵みに対して何かお返ししたいと願う時、佛様に直接ご恩返しする事は難しく、中々出来ませんけれども、佛様の光をほんの少しでも反射して、一人でも二人でも、自分の身の周りにちょっとした布施をしてみて下さい。
 
優しい言葉をかけてあげたり、傍にいてあげたり、その人の役に立つ事をする。とても簡単な事ですし、いつでもどこでも誰にでも出来ます。これが小さな菩薩行の実践でもあるのです。
 
そういう事を心がけて生活して頂けたら家庭も温かくなり、皆が笑顔になり、そしてそれが少しずつ周りに広がって行く事でしょう。
 
私達が自分から、佛様から頂いている光を、ほんの少しでも反射して行こうという決意を、今日という日に心して頂ければ、これに勝る喜びはありません。
 
どうか皆さん、明るく楽しい家庭、そして地域にするために「四摂事」「無財の七施」を日々の生活の中で実行して行って下さい。合掌




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