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2022年09月28日大日乃光第2350号
親を大切にする心を育んだ第三十三回こどもの詩コンクール

親を大切にする心を育んだ第三十三回こどもの詩コンクール
 
こどもの詩の最終選考を終えて
 
皆さん、暑い中ようこそお参りでした。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、今日(九月十三日)はまだお彼岸前で、台風の接近もあって、こちら熊本では厳しい残暑が続いております。皆さん体調には充分気を付けて下さい。
 
さて、先月末に今年で第三十三回目となる「こどもの詩コンクール」の最終選考を、共催の熊本朝日放送で行って参りました。今年もコロナ禍の続く中でしたが、四千五百八十一篇の応募作品が集まりました。
 
その中から十一人の審査員の先生方と共に、特別賞三篇(坂村真民賞・親を大切にする子供を育てる会賞・熊本朝日放送賞)、小学一年生から中学三年生まで各学年から一篇ずつの優秀賞九篇、そして各学年から十篇ずつの優良賞九十篇の作品を選び出しました。今年はそれに加えて審査員の先生方の熱心な推薦により、特別奨励賞を設けました(全百三篇)。
 
来る十一月三日の奥之院大祭では、従来の特別三賞に加えて四篇の詩碑を、入魂除幕する事に致しました。以前、奥之院の五月大祭(大梵鐘まつり)で、「熊日子供スケッチ大会」を平成十年まで十五回開催しましたが、その様な絵画作品に比べて、詩というものは一篇一篇読み込んで評価しなければいけませんので、時間的にも大変な負担になります。
 
真民碑の建立がコンクールの原点
 
「こどもの詩コンクール」は先代、真如大僧正様の時、平成二年に第一回目が始まりました。
その発端となったのは、奥之院の開山堂付近の坂村真民先生の第百三十九番碑「念ずれば花ひらく」の建立でした。
 
元々、現貫主様が学生時代から真民先生の詩集の愛読者で、先生が地元の玉名郡府本村(現在の荒尾市府本)のお生まれで、菊池川に臨む元玉名育ちであった事を御存知でした。
 
ある時、隣町の荒尾市出身で、東京でかまくら出版(現在の株式会社鎌倉新書)を経営されていた清水憲二さんから貫主様にお手紙が届きました。清水さんは、昭和五十九年に『宗教と現代』という月刊誌で、蓮華院の特集を組んで頂いたご縁のあるお方でした。
 
その手紙には真民先生が「念ずれば花ひらく」の揮毫を石碑にしてご縁のある場所に建立したいとの念願を持っておられると書いてありました。
 
たまたまある場所で、清水さんが詩碑除幕式に立ち会われて、真民先生の出身地のご同郷と分かり、ご縁繋ぎを請われて、それならば、ぜひご縁のあった蓮華院に建立出来ればとのお手紙でした。
 
その手紙の事を、貫主様が真如大僧正にご相談されました。すると、「良い事ではあるが、そのためだけに詩碑を建てるのではなく、さらに意味のある内容を考えなさい」と答えられたそうです。
 
感動を呼んだ詩碑入魂除幕式
 
それから色んな案を検討する中で、貫主様は「日本ふるさと塾」を主宰されていた萩原茂裕先生の講演テープを聞いて、既に子供の詩のコンクールが開催されていた島根県安来市の活動を知り、実際に現地を訪ねて実施状況を詳しく調べて来られました。
 
詩碑の建立を機に、そのような子供の詩のコンクールを開催して、真民先生に審査委員長を務めて頂くというアイデアで早速企画書が作られました。その企画書を持って、貫主様が真民先生を訪ねて愛媛県に行かれたのが、平成二年の二月八日の事でした。
 
貫主様が「詩のコンクールのテーマは『お母さん』です」とお伝えすると、先生はとても喜ばれたそうです。「それは素晴らしい。分かりました。ぜひ私も応援します」とご快諾頂きました。真民先生は御年八十一才でした。
 
そしてこの子供の詩のコンクールを通して熊本県内の子供達、さらには全国の子供達がお父さんやお母さんをしっかり見つめて大事にして行く、そういう輪が広がっていきますようにという願いを込めた「念ずれば花ひらく」の詩碑建立を、真民先生にお願いされました。
すると先生はご快諾されて、その年(平成二年)の六月十二日に奥之院で「念ずれば花ひらく」の詩碑除幕式を執り行いました。
 
そこは真民先生の故郷が一望できる場所で、除幕式での真民先生は、喩えようのないお喜びのご様子でした。
 
家族の愛情が一番の基礎
 
そして九月十五日に第一回目の子供の詩コンクール表彰式を開催致しました。
その前に、私は貫主様から、真民先生を福岡空港にお迎えするように依頼されました。
 
そして貫主様の粋なお計らいで、かつて真民先生のお父様が校長先生を務められた玉名尋常高等小学校(平成三十年に閉校した玉名市立玉名小学校)に立ち寄り、その校長室に先生をご案内しました。
 
その日は真民先生のお父様の七十四回忌のまさにその日でもあり、校長室でお父様のお写真に対面されました。
 
真民先生のお父様は大正六年に享年四十歳で急逝されました。当時八歳の真民先生を含め、五人の姉弟と母親の生活は全てが急変しました。当時の事ですから、何人か里子(養子)に出す事を勧められながらも、お母様は女手一つで子供を育てる決意をなされました。
 
今では想像するのも難しい塗炭の苦しみの中で、必死に育てて頂いたお母様の背中を、真民先生はしっかりと見つめておられました。ですから後年、真民先生は人を育てる上で、「母親の愛情が一番の基礎」とよく仰いました。
 
今回の詩の中にも母親の愛情がとても良く描かれた作品がありました。その一つが特別奨励賞を受賞された熊本市立城東小学校四年生、皿田龍君の『すごいお母さん』です。
 
すごいお母さん
 
お母さんはかた手が使えない
けれどぼくにはできないことが
山ほどできる
りょう理はるんるん楽しそう
運転ブンブンかんたんそう
せんたく物はなんのその
あらいものもなんのその
パソコンうつのもへっちゃらさ
ぼくのお母さんはとてもすごい
 
でもゆいいつできないことがある
それは、はく手
でも大じょうぶ
お母さんは、はく手しなくてもほめてくれる
ほめてくれるだけで
はく手されているのと一しょさ
 
 
真民先生が遺された精神性
 
平成十四年には真民先生の六百十三番目の詩碑として「めぐりあいのふしぎにてをあわせよう」の碑が建立され、これで蓮華院の境内に先生の代表的な四つの碑文が全て揃いました。
そしてこの年を最後に、九十二歳になられた真民先生は、子供の詩コンクールの選者(審査委員長)を退任されました。
 
その第十二回目の子供の詩集で、真民先生は最後の選評にこのような事を書かれています。
「私は明治、大正、昭和、平成と生きて来た。この間世界も日本も大きく変わった。想像もできないほど変わった。
 
しかし変わって良いものと、変わってはならないものとがあることを知らねばならぬ。つまり物の世界は日進月歩変わってゆく。でも心の世界は昔も今も同じである。
親を大切にする心というものは、どんなに世の中が変わろうと、変わってはならぬ」
 
坂村真民先生は平成十八年に亡くなりましたが、先生のこのお気持ちやお考えは、その後も詩のコンクールを通して、私達の中に脈々と息づいています。
 
親を大切にする心を育てよう
 
今、こどもの詩の審査委員長を務めて頂いている方は、先ほどの特別奨励賞受賞者の城東小学校の佐藤俊幸校長先生です。城東小学校では全校生徒が詩を書き、そして十人の受賞者が出たそうです。少し指導を受ける事によって、子供達がお父さんお母さんの背中をより深く、しっかり見つめて行くようになるのだろうと思います。
 
佐藤先生は、「小中学校の九年間で詩を九回書いた子供と、詩を書かなかった子供では、人生にとって大きな違いがあります」と仰いました。私もそう思います。
 
そして優良賞以上の詩は詩集に載ります。小さい頃に書いた作品が本に載る事は、自分自身の誇りや自信に繋がります。
 
蓮華院の信者さんのお子さんやお孫さんからも受賞者が出るように、この催しに一人でも多く参加して頂きたいと思います。合掌




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