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2022年11月01日大日乃光第2353号
奥之院大祭 柴燈大護摩祈祷で国家安泰 世界平和を祈りましょう

皆さん、ようこそお参りでした。いよいよ後二十日余りで奥之院大祭、開創四十四周年の大祭を迎えます。幸いコロナウイルスも終息に向かっているようで、屋外ではマスクを外してお参りの出来る状況になって来ているようです。
 
医師が認めた御宝号の功徳力
 
令和元年の八月一日に大量の下血で緊急入院してから、私は毎日三万から五万遍の御宝号を唱え続けました。退院後の今も毎日二万遍の御宝号念誦を続けています。朝、食事が終ってから「南無皇円大菩薩、南無皇円大菩薩…」と、約二時間かけてお唱えします。
 
そして夕食前にまた一万遍と。これを三年以上続けてきました。計算すると、二千九百三十四万遍になります。夕方の散歩の時の御宝号は加えませんが、凡そ三千歩程、一歩ずつ御宝号を唱えながら、二十分から二十五分かけて約一キロ歩くという日々を送っています。
 
今では通院は二ヶ月に一遍で良くなりました。ある時、担当医に私と同じ症状の方を何人診られたか尋ねてみました。すると大体百人と答えられました。「その内、生きている人は何人いますか?」と思い切って尋ねてみると、「あなたともう一人だけです」と答えられ、「これは奇跡です」と仰いました。
 
ですから皇円大菩薩様のお陰で、医師も認める奇跡が起こり、今こうして皆さんの前でお話が出来ている、何と有難い事だと思っています。
 
ある医師の闘病人生を見つめて
 
一昨日の夕方、NHKのBSで「輝け命の日々よ」という昭和五十八年の番組が再放送されました。非常に印象深い内容でした。
 
内容は西川喜作という精神科の医師が、四十七歳で癌を発症されて以来の闘病生活のドキュメンタリーでした。この方は私よりも二十歳若くして癌を発症されて、様々な葛藤を抱えながらも、入院時以外には極力診察を続けられました。
 
毎日色んな出来事があり、自分がそれに対してどう思ったか、どう命と向き合ったのか、どう医療と向き合ったのか、そういった思いを膨大な日記や録音テープに遺されたのです。
 
その中で、西川医師はこう言われました。「私は科学者ですから奇跡は信じません」と。奇跡ではなく科学の力、合理的な医療の力によって克服しなければならないという風にも書いておられました。
 
それがある時、坂村真民先生の「二度とない人生だから」の詩にふっと出会われたそうです。その時、私自身の経験と重なりました。私は西川医師とは違って奇跡を信じてます。これは医師と僧侶の人生観の違いでしょう。
 
日本の終末医療の抱える矛盾
 
西川医師は末期癌との闘病生活の末、五十歳で亡くなりましたが、この方が遺された様々な記録のお陰で、日本医師会が終末医療に真剣に向き合う様になったという事です。そういった意味では西川医師は日本の医学界に大変な影響を与えた方だったという事をこの番組で初めて知りました。
 
人は必ず亡くなります。今ここに居られる方の内、百年後も生き続ける人は一人もいません。
私の友人に教誨師を務めている方がおられます。非常に重い刑を受けた人は、本人が希望すれば僧侶や神父さんなどの教誨師に、懴悔を聞いてもらえる制度があるのです。
 
私達も病人も、末期癌の患者もいつか必ず死ぬ事では変わりありません。死刑囚とは、いつ死ぬかがはっきり分かっているかどうかの違いだけです。
 
ところが日本のほとんどの公立病院では、死を目前にしている人達の話を聞いてあげたり、懴悔をしたり、死の苦しみを訴えるような制度がありません。何も罪を犯していない末期癌の患者に対しては、そういう制度がないのです。日本という国は、政教分離の行き過ぎで、まともに生きてきた善良な人の苦しみを聞いてあげる仕組みがないのです。
 
心を映す鏡を失くした現代人
 
さて、日本の大きな矛盾の一つに政教分離原理主義というのがあると思います。今の宗教と政治の問題についても、政治家に対して元何々教団に関係していたら届けなさいといった程度で、国会では殆どまともな議論がなされていません。
 
私はアメリカの大統領の就任式を同時中継で見たことがありますが、例外無く聖書に手を置いて宣誓されています。また裁判でも聖書に手を置いて、嘘偽りを言わないと誓っています。
 
日本人は普段は特別な信仰が無いように見えますが、いざという時には神佛や御先祖様、お天道様に誓って悪い事はしないと言うのが、昔からの心の在り方でしょう。ところが今や、そんな事をほとんど言いませんし、聞く事もありません。
 
要するに今の日本人は、自分を映す鏡になるような心の軸を失っているのです。鏡に向かって自分を映す時のように、自分の心が真っ直ぐかどうか、真剣に向き合って心を映し出す存在を持たないのです。
 
信仰心があれば、例えば皆さんなら皇円大菩薩様に申し訳ないと思われるでしょう。ところが一般の方は、それを持っていません。
 
病を越えて祈りの質が変わった
 
私は病に倒れる前に求聞持行を九回修しました。また有難い事に八千枚護摩行も毎年修しました。これは二十日間に亘って毎日五千遍ずつ御宝号を唱え、十万遍唱えてから八千枚護摩に入り、一気に焚き上げる行法です。
 
今、この三年間の私の御宝号念誦は、病気になる前とは完全に質が変わりました。それまでは己の心を無にし、皇円大菩薩様に煩悩を取り去って頂く。自分の悪しき過去の行いを懺悔する。それが中心でした。
 
けれども今は佛様に光を頂き、呼吸を一緒にしています。皇円大菩薩様が出された呼気を自分が吸い込み、自分の出した呼気を皇円大菩薩様に吸って頂く。そういう感覚で側に居られます。高い所ではなく、正に今ここに居られるのです。そういう感覚で御宝号を唱えています。
 
それによって、私は死ぬことが全く怖く無くなりました。変な話です。闘病生活の中で今日死んでもいいと思う様になったのです。そして途中からはもう一歩進んで、より良く生きて行くには何をすればいいかというのを真剣に考えるようになりました。
 
新たな人生の目標を求めて
 
それ迄は佛様の御指示に従って五重塔を建立し、南大門や多宝塔を建て、国際協力団体を創り、親を大切にする子供を育てる会を創りと、様々な事は全て佛様の御霊示のままに「はい分かりました」と、御本尊様の御心の赴くままに務めて来たのがこれまでの三十年だったのです。
 
今、皇円大菩薩様から「後はお前が自分で考えろ」と言われてる最中です。自分でどう歩み出すかを自分で考えろと言われています。今は、八十二歳までは現役で頑張ろうと考えています。西川医師が死ぬまで診察を続けたいと願われたように。
 
最低八十二歳までは毎日元気に日々の御祈祷、日々のお勤めを続けようと決めたのです。
何故八十二歳かと言えば、開山上人様が八十二歳で御入定されたからです。自分がその八十二歳を迎えた時に、どう生きて何をしてるか楽しみにしています。開山上人様は、何と七十歳を越えてから、あの壮大な奥之院の開創を発願されたのですから。
 
命懸けで人生の目標を立てよう
 
今までは佛様に命じられた事を必死にやる事によって歩いてきた。それはこれからも続けて行きます。けれどもこれからは、自分で本当に決めた事を確実にやり通す。普通に自分で決める目標ではなくて、命をかけた目標、自分の残りの人生をかけた目標です。
 
来たる十一月三日の柴燈護摩で、皇円大菩薩様に自分はこれをやり通すという思いを持って向き合うのと同時に、皆さんも同じように自分にしっかり向き合ってほしいのです。柴燈護摩で皆さんは真剣な祈りを込めて、必死に拝んでおられます。私が錫杖加持をする時、本当にその霊波をビリビリと感じて来ました。
 
皆さん真剣に祈っておられます。心の底から念じておられます。大祭では皆さんからのそういう有難い波動をしっかり受け止めながら、「よし、これからも頑張るぞ」と、私も皆さんから気力を頂いて行きたいと思います。
 
覆された世界平和への祈り
 
ところで柴燈護摩では毎年ご一緒に、「国家安泰、世界平和」を祈って来ました。しかし悲しいかな、世界は今平和ではありません。非常に残念な事に、たった一人のリーダーが、人々に大きな苦しみや悲しみを与えているのです。
 
昭和五十五年に、蓮華院の国際協力が始まりました。その時は真如大僧正様が、三月三日にこの法座からカンボジア難民の募金を呼び掛けられました。そしてその年の十一月三日にも、奥之院の大祭で「一食布施」を提唱されました。こうして蓮華院の国際協力の歩みが本格的に始まったのです。
 
それ以来、誠に有難い事に、信者の皆さん達はご自身の内なる菩提心の発露として、カンボジア難民の為、或いはスリランカやチベット、ミャンマーの貧窮孤独の人々の為に、さらには東北震災や熊本震災など激甚災害に瀕した被災者の方々の為にと、こつこつと募金を続けて来られました。その最初の出発点が、正に難民問題だったのです。現在もウクライナからの避難民を受け入れるお手伝いをしています。
 
国葬儀問題は国家安泰への警鐘
 
難民問題と深く関わって来て、非常に残念に思うのは、難民にとっては母国が自分や家族の人権を守ってくれないという事なのです。国が自分の命を守ってくれない。だからその国から逃れようとする。これが非常に悲しい難民問題の本質です。
 
では私達の生命や財産、人権を最後に保証するのは一体何でしょう?日本人は国のお陰とはあまり言いたくないようですが、人権を最後の最後に保障してくれるのは、何と言っても国家なのです。
 
その日本国家がだらしなくなれば日本人の命も危うくなります。そして今、日本も「国家安泰」とは言えない状況が現実のものとなりつつあるのです。それを象徴するのが、先の安倍元総理の国葬儀に対する反対意見の多さです。
 
世界中が称賛し、尊敬し、死を悼んでいる安倍晋三さんに対して、国葬儀は反対だとアンケートに答える人が半数以上に及びました。私の偏見かもしれませんが、これはマスコミが連日のように偏った内容ばかりを報道して、国内外の称賛や評価はほとんど伝えて来なかった結果だと思います。
 
残念ながら、テレビや新聞以外に知る手段を持たない年配の方になるほど、マスコミの伝える通りのご意見になっているようです。若い人達はネット等からの多彩な情報を元に、「安倍さんの国葬儀をやるべきだ」と自分で判断し、回答しています。皆さん達もテレビばかりに頼らずに、若い人達に尋ねてみたり、色んな意見に耳を傾けるよう心がけて下さい。
 
柴燈護摩で真剣な祈りを捧げよう
 
そして国家安泰を真剣に祈りましょう。
国家安泰を祈る時、私達一人一人が国民として何をなすべきか?どうあるべきか?自分はお天道様に恥ずかしくないか?ご先祖様に恥ずかしくないか?そういう思いを心の中にしっかり持って祈って下さい。更にはご先祖様が築き上げられた日本の輝かしい歴史を誇りに思って下さい。
 
一つだけ言えば、もし日本という国がなければアジア・アフリカ諸国が戦後独立出来たでしょうか?この一点だけでも充分に分かります。日本は何回も危機を乗り越えて、世界の有色人種の独立の為に戦いました。
 
誤った戦後教育の呪縛を越えて、ご先祖様を敬い、祖父母や父母を大切にしましょう。
今回は自分自身にきちんと向き合うという事を中心にお伝えしました。
 
来たる十一月三日の奥之院大祭には、皆さん一人でも多くの友達や仲間に声をかけて、今の危機的な情況や、世界の平和のために一緒に祈りましょう。一人でも多くの方に、ご一緒にお参り頂く事を心から切に願っております。合掌




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