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2022年12月01日大日乃光第2355号
佛様の御霊示のままに歩んだ奥之院開創四十四周年

佛様の御霊示のままに歩んだ奥之院開創四十四周年 
 
再会の歓喜に満ちた開創法要
 
本日は遠くは東北北海道、東京、名古屋、大阪など全国からはるばるお参り頂きまして、本当に有難うございます。
 
私がお礼を申し上げるのも変な感じがしますが、これは佛様が「皆さん、よう来なはったな(よく来られましたね)」と仰られる所を、私が代わりに御礼を申し上げているという次第であります。
 
全国の皆さん、奥之院大祭にようこそお参りでした。今、こうして皇円大菩薩様の御霊廟、大佛様を背に皆さんにお話出来る事は本当に幸せです。有難い事です。
 
先程開創法要で願文を奏上しながら、奥之院の開創以来、もう四十四年も経ったのか…、としみじみ思いました。振り返れば落慶法要の時、私は二十六歳で、妻も若々しくしておりましたが、今は二人とも歳相応に貫録が出て来ております。
 
私はまだ去年とほぼ同じ体調で、もう少し元気にならんといかんなと思いながら、毎日毎日御宝号を唱え続けております。
 
病になって最初の頃は毎日五万遍唱えておりました。今は食前、それから夕食後に合わせて三時間以上かけて、毎日二万遍ずつ唱えています。後十日もすると合計三千万遍を超えるという所であります。最初は何となく三千万遍位まで唱えよう、すると大体三年位かかるだろうという思いでした。
 
まだ完全には体力が回復しないのは、佛様から、「お前はもう一回、自分自身をしっかり見つめ直せ!!」と言われているように感じております。
 
突然だった先代の御遷化
 
平成四年の七月八日、私がちょうど四十歳の時に先代が突然遷化されました。当時、私は高野山大学の行道部というクラブの幹事を務めていて、その二回目のOB会を前日の七月七日から行っておりました。
 
その直前に入院治療していた父の容態が急変し、医師から「今日、明日が峠!!」と聞いておりました。
 
一次会が終ったらまた病院に行き、父の容態を確認して、また帰って来てと、それを二、三回繰り返したと思います。私も弟も心が引き裂かれそうになるのを必死にこらえながら、皆さんへの接待をしていました。
 
そんな中で皆さんは奥之院に泊まって頂きましたので、その頃には先代が建立された護摩堂が出来ておりましたから、翌朝には「皆さん、父がたいへん危険な状態です。是非皆さんにお力を頂きたいと思います。どうか一緒に拝んで下さい」とお願いして、朝のお参りで真剣に拝んで頂きました。それが正に御遷化の七月八日の朝でした。
 
その日は佐賀の東妙寺と吉野ケ里遺跡を半日案内するというスケジュールで、弟の光祐がマイクロバスに同乗して、東妙寺に着いた頃に危篤の連絡が入りました。その時は皆さんから「光祐、お前はすぐ帰れ、早よ帰れ!!」と言って頂いたそうです。
 
佛様の御指示に従った三年籠山
 
先代の御遷化の直後に、私は佛様に約束をさせられました。「三年間、お前は寺から一歩も出るな!!」という事でありました。「困ったな…これは」と思いながらも、これが佛様から命令された最初の大きな御指示だったのです。
 
そうして三年間の山籠修行をする中で、自分なりに出来る限りの修行をしようと思い、「八千枚護摩行」「求聞持行」など色々やって参った訳です。
 
先程長女の一紗に、当山の貫主を拝命して最初の頃、四十歳の頃の話をしましたら、「そうしたら、私は住職になって三年目になった歳頃なのね。お父さん、よくやり遂げられましたね」と言ってくれました。
 
あの頃の三年間があったればこそ、その後も佛様の様々な御指示を頂きながら、最初の御霊示(命令)を素直に聞いて真面目にやったお陰で、何とか貫主を継ぐ事が出来たというのが実感です。その頃の思いを「もう一回、噛み締めよ!!」と、今言われている様に直感しております。
 
落慶大法会の景色を振り返る
 
この奥之院が落慶した昭和五十三年頃は、ここの景色は全然違っていました。大佛様の前は、まだこんなに木が生い茂っていませんでした。池もこんなにきちんと整備されていませんでした。
 
思えば落慶法要の十一月十一、十二、十三日は三日間に亘って雨が降り続きました。柴燈大護摩の準備は調っていたのですが、一日目と二日目は雨で、全く護摩を焚けない状態でした。十三日は朝は小雨でしたが後に雨が上り、ようやく念願叶って柴燈大護摩を無事に焚く事が出来たのを、ついこの間の様に思い出します。
 
先程お話しした長女は、その頃まだ妻のお腹に入っておりました。それから四十四年という年月になります。
 
佛縁に勧請された両界曼荼羅
 
今日はこうして屋外でお話ししておりますけれども、本来でしたら五重塔一層の本堂で開創法要を修す所です。今日も本堂内陣の左右には、立派な両界曼荼羅が掛かっています。
この両界曼荼羅は、先代が佐賀でお付き合いのあったあるお寺さんとの信頼関係の中で拝領されたものであります。佐賀のそのお寺は鍋島公、鍋島藩の祈祷寺だったのです。
 
つい昨日のテレビ番組で、江戸時代に一番裕福だったのは佐賀藩だったという放送を観て驚いたばかりでした。かつてそのお寺に立派な佛画が何幅もあったのですが、近年はそれを掛ける場所がなく、おいそれと御堂を建て替える訳にも行かなかったのです。
 
「川原さん、何とかこれらを買って頂けませんか」と、そのお寺のご住職様に頼まれて、当山で拝領する事になりました。その頃は開山上人様が御入定されて、代替わりの直後で大変な状況でありましたが、この時の支払いは何の苦労もなかったそうです。大きな掛け軸でしたから、修復にも大変な経費が掛かります。しかしそれも一切、何の心配もなくお支払い出来たとの事でした。
 
その時、先代がしみじみと、「あー佛様達(曼荼羅の佛様)は自分でちゃんと身繕い(修復)のお代も、もって来なさったな」と、こう言われたんですね。それ以降、先代が大きな工事をする度に、「これは佛様の御指示で進める事だから、お金の心配は一切する必要はない」と、そういう事をいつも仰っておられました。
 
過度な負担とならない信仰
 
少し話を戻して、先程行道部の話をしましたが、今年その同窓会が中興五十周年を迎えました。もし私が体調を理由に欠席すれば、次の機会にはこの中の何人かとはもう会えないかも知れないと思ったのです。そしてついに相当無理をしながら新幹線で高野山に行き、参加しました。そういう中で「久しぶりに会えて良かったな」と、お互い肩を抱き合って、喜び合いました。
 
その時にも、「あんたようやったね」と何人も話し掛けられました。「この四十年大変だったろう」と。この「大変」とはどういう意味でしょう。普通なら大きな普請をすると、そこの住職は体を壊すという、そういった意味合いも勿論あります。しかし、「大変」という言葉が一番意味するものは経済的な面です。「資金を用意するのが大変だったね」という意味です。
 
しかし皆さん、この四十年どうでしたか?五重塔、南大門、多宝塔と、部材奉納など皆さん方にお願い致しましたが、皆さん大変でしたか?(相槌のように、皆さんは「全然!!」と声を上げられました)
 
こう言っては何ですが、そんな大変な思いをして頂くようには、こちらからは勧めておりませんし、常々ご自分で出来る範囲の事をして下さいとお伝えして来ましたから、皆さんも大変ではなかった。そしてお寺も大変ではなかった。なぜなら佛様の御指示だったからです。
 
ですから開山上人様や先代と同じ様に、「お金の手配は佛様がして下さる違いない。何も私が心配する事ではない」本当にそんな実感でこの四十年、色々な大きな行事も執り行い、大きな伽藍を建立する事が出来たのです。
 
皆さん達が本当に、心から皇円大菩薩様にお縋りされるその真剣な思い…。それに対して佛様が一所懸命応えて下さった。その自然な帰結なのであります。
 
国家安泰、世界平和を祈る意義
 
しかし私は今思っております。果たして個人的な願い事、それだけでいいのだろうかと。
柴燈大護摩ではいつも後ろにこの二本の幟旗を立てています。「一願成就、諸願達成」と「国家安泰、世界平和」。
 
今、その国家が安泰ではなくなり、世界の平和が崩されつつあります。その事は皆さんご存知の通りで、ここでその委細を語る必要もありません。今日もおそらく北朝鮮からミサイルが飛んで来ると思います。いつ日本国土に落ちるかも分からないという現状です。そういう中で、私達はただ自分の幸せだけ祈っていても、もうどうしようもないという、そういう時代にさしかかっています。
 
どうか皆さん、この国を守る為の支えとなるよう真剣に考えて下さい。私達国民の一人一人が国をバックアップする。日本という国の歴史と文化と伝統、そして命と領土を守らなければ、大変危うい時期に差し掛かっております。
 
どうか皆さん達も、午後からの柴燈護摩では、国家安泰、世界平和への祈りを真剣に、心を込めて祈って頂きたいと思います。そうすると必然的に、それぞれの個人的な願いは必ず叶います。大きな祈りを真剣にすると、自分の身の周りの願い事は叶うのです。
 
よしんば叶わなくても心構えが変わって来て、災いも一つの試練としてしっかりと受け入れる力が付いてきます。ここが信仰の一番大事な所なのです。
 
 
次世代に遺せる生き様を目指そう
 
祈願をしたらお金が儲かる、事業が上手く行った、あー良かった良かった…そういう心持ちだけで信仰を続けていたら、何の進歩もありません。
 
「人は何のために生きるのか?」この問い掛けへの一つの結論として、私はこの世に生まれて来たからには心を磨いて、少しでも綺麗な魂になって次の世にバトンタッチして行きたい。
 
そして自分の足跡を子や孫達が見て、「あーおじいちゃん、おばあちゃんは立派だったよね」と、そう思ってもらえる生き方を子や孫達に伝え遺す事。これが、人生も後半を過ぎた人達、私もそうですけれども、そのあるべき生き様でしょう。
 
どういう風に生きたのか。何を祈って生きるのか。その祈る姿、日々の生活の在り方。
そういう事を周囲の人々や次の世代に伝えて行く。
 
どうか皆さん、一人一人が、「子や孫達にしっかりした日本を、地域を、文化を引き継ぐんだ!!」「我家の家風をしっかり引き継ぐんだ!!」
 
場合によっては、
「新しい家風をここで打ち立てるんだ!!」と、そういうお気持ちで是非、午後からの柴燈護摩では真剣に祈って頂けたら有難いと思います。
 
全国の信者の皆さん、本当に有難うございました。合掌




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