2011年09月23日第527号
青年の内観

このたび、集中内観を受けさせて頂くにあたり、当初は何故この様な事をしなければならないのかと思っておりました。周りの方々には感謝もしておりますし、特にご迷惑をかけた事もないというのが、当初の私の感想であります。
畳半畳に座り、過去にお世話になった方々に、して頂いた事、して返した事、ご迷惑をかけた事を調べておりますと、如何に今まで周りの方々から、深い愛情を受けていた事が解りました。物事と同時に、その方々に対して全く何も出来ていない、しようとしていない醜い自分に気づかされました。
内観が始まり、調べるにつれて、自己嫌悪に苦しみましたが、その様な過去の自分を受け入れなければ、今後も同じ道を歩むと思い、努めさせて頂きました。
その様な自己との葛藤を繰り返している内に、今気づいた事からこそ、今後自分が変わる事が出来ると思った頃から、内観が辛いものから、自分を昇華する為の大切なものに変わり始めました。
内観を行い、特に気づかされました事としましては、私は愛情もそうですし、思いやり、楽しみ、生きがい、思い出、全て与えられてきて、生かされている事に気づきました。内観を行う前はそれが当たり前と思っておりました。
与えられて生きている事を受け入れた時に、次に気付いたのが、私は何一つ与えていないという事でした。そのことを受け入れる事は大変苦しい事ではありましたが、真実を受け入れる事をしないと、更に深く調べる事が出来ないと思い、努めました。
内観を続けていますと、次の事に大変心配を持ち始めました。それは、今内観して周りの方々に感謝する気持ちが芽生え始めましたが、この気持ちを継続することが自分に出来るかという事です。思うこと、理解する事は容易ではありますが、実際にその事を行う事とでは、天と地の差があります。
私も昨今の東日本大震災に対して、復興を願っておりますが、何をしたかと尋ねられますと、何もしていないというのが現実です。今の気持ちを継続させる為には、日々の内観、常に感謝の心を持ち続ける事が必須であると感じました。
内観を行う事により、今迄回りに対しては良いことをしていたと思っていた事の中にも、本当は悪いことがあった事も気付かさせて頂きました。
そもそも何故自分が良い事と思っていたのかは、自分本位で物事を全て考えていた為であります。そこに相手の考え、思いは全くなく、とても自己中心的な考えでした。客観的に物事を見て考える事こそが、相手の気持ちを理解する為には欠かすことのできない事であると改めて理解する事が出来ました。
内観は限られた人でしか出来ないものではありませんし、限られた場所でしか出来ないものでもありません。日常のわずかな時間でも内観をする事は出来ます。心が疲弊した時、困難に立ち向かう時に内観し、乗り越えていきたいと思いました。
最後になりますが、何度も申し上げているように、私は周りの人から様々なものを与えられておりましたが、今後は与える側の人間になり、少しでも今まで頂いた恩を返そうと思います。今の気持ちを忘れる事無く、日々精進することを強く誓います。
坂村真民詩集
本当の愛
本当の愛は
タンポポの根のように強く
タンポポの花のように美しい
そして
タンポポの種のように四方に
幸せの輪を広げてゆく
仏語集
ほかの人々を救いたいという願いを立てることによって、執着を離れ、無常を悟る。おのれのためになると同時に、他人をも利する行為を実践し、人々とともに慈悲に生き、この世俗の生活の足かせや執着にとらわれない。(無量寿経)
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