2010年12月18日第500号
生かされている自分
皆様のお陰で、ついに500号を配信することが出来ました。心から感謝申し上げますとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。合掌

まず、母についての内観において、小学校の頃を振り返ると、朝出かける時に、「お母さん、今日は天気?雨?」等と聞いて、 傘を持っていくかどうかを助けてもらっていました。
また、明日の教科書を準備する時に、元々教科書が無い、体育の教科書が見つからないと言って、母に泣きついた事等、すっかり忘れてしまっていた事も思い出し、全てが母のお陰で動いていたことに気付きました。遠足や月見会等あらゆる行事で母の笑顔が思い出されます。
母は、私が一個の人間として自立してゆくことを願い、また、 将来の事を考えて、私に教育を十分に受ける機会を与えてくれた と思います。
けれども私の方はその母に甘えてしまい、良い成績をとって母に喜んでまらう為に勉強していたと思います。そこには自立心がありません。私はこのことに40才位まで気付きませんでした。
中学の時も、母が受けさせてくれた英語の塾等、恵まれた環境の中で教育を受け、勉強もしておりましたが、やはり何の為に学ぶのか、ということには想いが至っておりませんでした。
高校に進み、目的意識のない私は、どうしても勉強に身がはいらず、放送部に入って何となく過ごしていた為、高校時代に特に何かをしたという記憶がありません。
大学入試には受からず、浪人をすることになりました。予備校に通いましたが、これも母が見つけてくれたものです。予備校の一年間も無気力という感じではなかったのですが、周囲の人達が当然の事ながら熱心に勉強するので、私もつられていたように思います。
この間、母がアルバイトをしてくれていた事を思うと、申し訳ない気持ちになります。してもらっている事と、お返ししている事とが、あまりにもアンバランスです。
大学は第一志望には通りませんでしたが、国立大学に入学することになりました。しかし、ここでも私はあまり勉強をしておりません。
教えてくださった教授陣はかなり有名な方が多くいらしたのですが、学ぶ機会を全く生かしていませんでした。この間も母は仕事をしてくれていたのに、申し訳ない限りです。
何とか卒業し、入社しました。やっと母から直接的な金銭面での世話になることは終わりました。けれども、今度は結婚や育児等で、その後もしてもらった事は一杯です。しかし、お返しした事は、時折、食事を共にしたり程度で、ほとんどありません。
何故もっと早く自分が何の為に生きているのかに少しでも気付かなかったのかと、今となっては思います。その頃は、何とか早く一旗あげよう位しか考えておらず、それも段々希薄になってき ていました。
業績はかなりあげたのですが、事情があって最初の会社を退職した私は、転職を何回かしました。
この間、母には、子供の世話、住居のこと、転職のこと等で、また世話になっています。全く母離れしない子供で、情けない限りです。しかし、お返ししている事は殆んどなく、心配をかけてばかりだったと思います。「今度は大丈夫だろうね。」と言われた事もありました。
こんな状況でありましたが、何回目かに首になった時、自分は何の為に生きているのだろう、何の為に働くのだろうと考えるようになりました。ここでやっと、家族の為に働く、自分が一旗あげるためではない、という考えが浮かんできました。しかし、何の為に生きるというのは、まだ思い至っていませんでした。
現在の会社に入社し、何の為に生きるのかを考えるようになりました。毎日社長の話を聞き、自然に内観をしているような状態になっておりましたが、今回内観の機会を頂き、自分が「周りの全てのものから生かされている」ということに気付きました。
同時に、これまで多くの方のお世話になってきていることにも気付きました。今後はお世話になった方々に感謝の気持ちを持つと共に、可能な限りお返ししていきます。
また、仕事においては、お客様のお役に立つことを通じて社会に貢献してゆく、そういう社会人となっていくように致します。
坂村真民詩集
幸せの帽子
全ての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすとやってくるものではない
時には不幸という帽子をかぶってやってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えばそれがみんな
ありがたい幸せの帽子であった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならぬ
仏語集
仏の国に至る人々は、ほかの人々を救いたいという願いを起こし、その願いの仕事にいそしむことになる。願いを立てることに よって、執着を離れ、無常をさとる。
おのれのためになると同時に、他人をも利する行為を実践し、人々と共に慈悲に生き、この世俗の生活の足かせや執着にとらわ れない。
人々はこの世の苦難を知りつつ、同時にまた、仏の慈悲の限りない可能性をも知っている。その人々の心には、執着がなく、おのれとか、他人とかの区別もなく、行くも帰るも、進むも止まるも、こだわるところがなく、まさに心のあるがままに自由である。(無量寿経)
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