2010年11月25日第497号
家族への内観

内観を行うにあたり、自分が今までいかに甘えていたか、わがままであったかを知りました。
この甘えは、日常全ての事柄に波及していると感じ、周囲の方々に過分なる迷惑をかけていた事を申し訳なく思い、内観終了時からも既に新しい自分のスタートと位置づけていきます。
日々、仕事中における会社内部との会話や、携帯電話での外部との会話など、会話の内容だけにとらわれず、周辺環境や社内予定、在庫等、諸事情間で加味し、軽々に答えるべきでないと解りました。
また、個人でできる事は余りにも些少であり、人々に助けてもらって自分の仕事を行える事に対し、常に感謝しなければなりませんでした。
助けてもらった事を少しでも返すべく、内部の仕事の円滑さの為、期限を明確に区切り、予定を立てやすくする事も、営業の勤めの一つであることに気付きました。また、外部からの依頼を忘れずに伝え、内部外部ともに不足のない仕事を行える様にしてい かねばならない事を再認識しました。
それと共に、して頂いた事へのお返しの為、より円滑な仕事運びをして、良いお店、良い会社へは、自分から変えていかなくては、何事も始まらなく、全ては自分に対しての甘えが原因であるため一切捨て去り、正面から仕事に対し向かっていきます。
後輩の指導においても、まず自分が行動してみせ、率先してゆかなければなりません。
同僚の視線を感じ、後輩の視線を感じ、上司の視線を感じ、それらに気付き、感謝と共にお返ししていく事で、全部の底上げになる事に気付きました。
これからは、この一週間を無駄にせず、日々の鑑として、日々自己研鑽していきたいと思います。
母に対しては、幼少の頃から、病気をするとずっと看病してもらい、額のタオルを何回も換えて頂きました。日々の保育所への送り迎えは、当時母は免許を持っていませんでしたので、自転車で私と弟の二人を乗せての送り迎えは大変だったと思います。
日々の炊事洗濯掃除も当然のものと思い、感謝を言ったのは母の日位のことでした。本当に申し訳なく思い、悲しくなります。
初めて彼女を家に連れて来た時、母は喜んでくれました。当人達よりもキラキラしているようでした。子供が二人とも男のため、喜びも大きいようでした。その事で受けた恩を返せるとは思いませんけれども、何万分の一かは返せたのでしたら嬉しいです。
父に対しては、小中高大学と卒業させて頂きました。金銭の面では大変な苦労をかけてしまったのだと思います。
その父も定年を過ぎ、これ以上の迷惑心配をかけぬよう、また、受けたものを少しでも返せるようにしていきたいと思います。
義父母に対しましては、同市内に住んではいますが、年数回しか顔を見せていなく、多大な心配をかけていたと思います。義父は病気で亡くなってしまい、何も返せずに申し訳ありません。義母には二人分返す位の事をしてゆきたいと思いました。
妻に対しては、出会ってから約20年も経ち、大きな喧嘩もせず、こんな自分と一緒に居てくれて、大変嬉しく思います。
日々の家事も当然と思い過ごしている為、これからは感謝の気持ちを持ち、ごちそうさま、美味しかった、ありがとう等を心から言っていきます。公の書類等も全てまかせてしまっているので、少しでも負担を軽減できるよう頑張りたいと思います。
日々の仕事の時間に追われ、顔を合わせる時間も減っていますので、一緒に居る時は、少しでも顔を見、会話を楽しみたいと思いました。
先々、あの時こうしておけばと悔やまぬ様一瞬一瞬大切に行い、こちらから話しかけ、和を大切にしていこうと思います。
坂村真民詩集
足裏の目
手すきのネパールの
便箋をいただいた
それには足の裏に
キラリと光る目を持った
両足が刷り込んである
仏さまは見えないところで
何もかもちゃんと
お見通しだというのであろうか
いかにも世尊の生まれ給うた国らしい
ほほえましい便箋である
こういう国をはだしで
しみじみ歩いてみたい衝動を
わたしはわたしの足裏に
強く感じた
仏語集
おのれに恥じず、他にも恥じないのは、世の中を破り、おのれに恥じ、他にも恥じるのは世の中を守る。
漸塊の心があればこそ、父母・師・目上の人を敬う心も起こり、 兄弟姉妹の秩序も保たれる。
まことに、自ら省みて、わが身を恥じ、人の有様を見ておのれに恥じるのは、尊いことと言わなければならない。
懺悔の心が起これば、もはや罪は罪でなくなるが、懺悔の心が ないならば、罪は永久に罪として、その人をとがめる。(本事経)
幸福ニュースを定期購読されたい方は、下記の登録フォームからお申し込み下さい。
費用は無料です。毎月3回、Eメールにて幸福ニュースが自動配信されます。
メールマガジン登録
Eメールアドレス(半角英数字)
メールマガジン解除
Eメールアドレス(半角英数字)