2010年08月16日第487号
アルコール依存症

私はアルコール依存症です。酒を止め続けるためには、どうしたらよいのか。人格を変えることにより、それが出来るのではないかと思い、この内観を受けました。
私は、子供時代は貧しかったという記憶が鮮明に残っています。 私は三人兄弟の末っ子でした。
父は酒もよく飲んでいましたが、朝から晩まで働いていましたし、母も働いておりました。団地住まいで車もない。父母は友達の父母よりも老けているし、うらぶれている。いつも他の家に生まれたいと思っていました。
小学校より鍵っ子で、兄弟の中で一番最初に家に帰るのが私で、玄関の側に隠してあった鍵で家に入るのが常でした。
内観で思い出した事ですが、4才の時に家に借金取りが来て、 母は押入れに隠れているから、「お母さんはいないと言え」と、母に言われた事がありました。とにかく貧乏がいやだった。家全体が、息を殺して貧しさに耐えていた家庭だったと思います。
当然、家族同士の会話もなく、私の目からするとばらばらに生活していたと思っておりました。父に対しては、母を働かせて、男らしくない男と思っておりました。
しかし、父は50才で、貯金ない、家ない、仕事がない、無一文の状態で、人生の再スタートを切って、家族を守ってくれたことを、この内観をして気付きました。その父を背中からずーっと男らしくない男と見ていたのです。
母も子供を四人産めば、容姿が衰えるのは当たり前、老けていくのは当たり前、そういう人に対して、私は召使のように接していました。
その二人から、並々ならぬ愛情を毎日のように受けていた事を思い知りました。その愛情は、本物の愛情だし、我が子を大切に思う心だと思いました。
父母はおとなしい人達でしたので、しかられるとか、何かを強制するようなことはありませんでした。子供は自由に育てるが父の口癖でした。
その状況で私がしてきたことは、この家を守るんだ、貧乏を隠すのだと言う思いだったと思います。そして、わがままな振る舞いが沢山あったと思います。
そのような子供が大きくなっていくわけです。高校は希望の学校に入学できず、不良が多い高校に行きました。大学も希望する大学ではありませんでした。そして、社会人となり、何回か転職を繰り返しました。
家庭は貧しかったかもしれないが、大学まで行かして頂いている。貧乏が一番いやだったのは、私ではなく父母だったことをこの内観で知りました。
結局、何不自由ない家庭生活だったのに、それを嫌がっていた自分、高校と大学も自分の実力相応で入学したのに、それをブツクサと文句を言っている自分。会社に入って、自分の思う通りにならないことを、不満に思い、ブツクサ文句を言っている私。
そして、内観していても、内観が深まらないと文句を言っている自分。文句ばかりを言っている人生です。実状を受け入れないことが、幸せになっていかない理由であるような気がします。
宇宙レベルで考えると物事は皆中立で、プラスもマイナスもない。でも、人間は色々なものにとらわれて、自分で問題を作り出して、自分で悩み苦しむ所がある。特に正義感や使命感には気を付けなければならない。というお話がありました。
内観では文句を言うテーマはなかった。決して深い内観ではなかったと思いますが、心の中で座っていただけでも良しとしたいと思っています。
父母からしてもらっていた事を思い出すと涙が出ます。不思議と心がスーッと楽になります。闘う必要もない、素直にしてもらったことに感謝できる人間になりたい。
最後になりましたが、お食事がとても美味しかったです。お世話を頂きまして、ありがとうございました。
坂村真民詩集
変わってくる
石に刻まれて
石が仏さまになる
木に刻まれて
木が菩薩さまになる
すべてに合掌していると
この愚かな自分までが
すっかり変わってくる
仏語集
人は、はからいから、全てのものに執着する。富に執着し、物に執着し、名に執着し、命に執着する。有無、善悪、正邪、全てのものにとらわれて迷いを重ね、苦しみと悩みとを招く。(蛇喩経)
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