2010年08月05日第486号
交通事故

私は今回、内観という機会を与えて頂いて、本当に良かったと感じています。
仕事を一週間中断してまで受ける内観とは一体どのようなものなのか。それだけの価値に相当するものなのだろうかという点で は、やや不安はありました。上司からは、「遊び半分ではなく、真剣にやってみればわかる」と言われて今回の内観に臨んだ次第でした。
私は神も仏も信じておらず、何の信仰も持っていない大変不信心な者です。しかし、研修の期間については別です。内観に真剣に取り組んだのはもちろんのこと、般若心経の経本も内容を理解しながら読経させて頂きました。
お坊さんの説法に対しても、自分自身のことに重ね合わせながら聞かせて頂きました。この一週間だけは、他の誰よりも熱心だったと自負しています。
両親についての内観を行った時が、一番多くの事に気付かされました。父も母も陰となり日向となり、常に私を見守り助けてくれていたのだということです。
目に見える形での援助は当然気付いていましたが、その他にも人生のいろいろな場面で、精神的な支えとなってくれていました。父は私に自身とやる気を与えてくれていましたし、母は心の落ち着きと安心感を与えてくれていました。
私は今まで自分なりに父と母に感謝の念を持ち、事あるごとに少しずつ返してきたつもりではいました。しかし、まだまだ足りていませんでした。
特に私が交通事故の後遺症で苦しんでいる時に、どれだけ父と母が支えてくれた部分が大きかったことか。私一人で乗り越え、克服したかのように振舞っていたことを恥ずかしく思います。
これから先、父と母に受けてきた多くの恩をどうやって返していくか、ゆっくりと考え行動したいと思っています。
妻についての内観を行った時に気付かされましたのは、不信心な私が言うのも何ですが、運命ということについてです。
私は妻と出会い、今一緒に過ごしていけていることに大変な幸せを感じています。子供も2人授かり、多忙ながらも楽しい毎日を過ごさせていただいています。
しかし、よくよく考えてみますと、九州から東京に私が来ていなければ、妻とは出会わなかった訳です。もっと言えば、東京に出てくる元々のきっかけは、交通事故にあったことなのです。
あの時事故にあっていなければ、今の幸せな生活はないのだと思いますと、非常に不思議な感じを受けます。人生とは偶然の必然的なつながりによって成り立っているのではないのか、と気付かされました。
これから先、何があるかわかりません。良い事も悪い事もあるに違いありません。そのひとつひとつの偶然を縁として受け止め、 人生を妻とふたりで力強く歩んでいこうと、今回の内観で感じま した。
父と母、そして妻について内観させていただき、加えてお坊さんから助言やお話を聞かせていただいて、その総論として私なりに思ったことがあります。
私は、人間というのは広い宇宙の中で見れば、ちっぽけな存在であり、人は結局は独りで、他人との出来事というのは、人が自分の心の中に作り上げた幻想に過ぎない、と今までは考えていました。
しかし、考え方が大きく変わりました。人は独りではなく、常に誰かと支えあい、助け合いながら生きていくものだと。
また、その一つ一つの出来事に感謝し、感謝されることで、この世界は成り立っているのだと思いました。
うまく言い表すことは出来ませんが、すべての出来事はつながっているのだと、自分でも気付きましたし、教えられました。
有意義な7日間が過ごせて良かったです。帰ってからも、今この気持ちを忘れずに、毎日を過ごしていきます。
坂村真民詩集
すべて他のために
花を咲かせる草と
実をつける木とが
鳥に話しているのを
じっと聞いていました
わたしは酉年生まれなので
彼等の言葉はわかるのです
わたしは聞き終わった時
自分が恥ずかしくなりました
もっともっと他の人のために
この身を捧げねばならぬと
思ったのです
すべて他のために
それが彼等たちの
願いだったのです
仏語集
「龍」とは、煩悩のつきた心のことである。わが身の足下を掘り進んでゆけば、ついにはこの龍を見ることになる。(本生経)
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