2005年8月25日第320号
幸福ニュース

【 浮 気(40才男性の内観) 】

 内観の初日は8月18日でした。この日は私の娘の13回目の誕生日にあたります。少なからぬ因縁を感じながらの内観となりました。ここへ伺った大きな動機として、自分の性格の傲慢さをどうにかしないことには家庭崩壊につながると思い、門をたたいた次第です。

 内観を知ったきっかけは、今年の4月中頃会社の出張で福岡に行った際、東横インに宿泊し、その部屋の中に一、二冊の本がおきまりの聖書等に混じっておりました。

 たしか、『新聞記者が内観してみました』(書名はよく覚えておりません)とか何とかいう本を読むとはなしに読んでおりました。何かひきつけられるものがあり、一気に読み終え、何と言うか不思議な気持ちにさせられました。

 東横インの箱根の研修所のパンフレットもありましたが、遠すぎてそこまで行くことはできないと、それはそれで終わってしまいました。ところが何ヶ月か前にひょんな事から浮気をしてしまい、この件に関しては、1週間後に妻に正直に打ち明けて、今後一切の連絡をしない旨の手紙を目の前で書いて一緒に投函し、一段落つきました。

 ところがその翌日妻と口論となり、昨日の今日ですし、ついに結婚12年間のつもりに積もったものが爆発し、相当に泣きじゃくられました。以前から発していた言葉の数々や様々な態度について訴えられ、自分としても思い当たる点もありましたので、反論もせず納得しておりました。

 その直後、内観のことを思い出し、ネットで調べて書物を取り寄せたり、図書館へ行って借りてきたりし、自分でも実行しようという気になり、一番近い蓮華院誕生寺様にお世話になることにしました。

 かなり前置きが長くなったことですし、内観一日目から早速振り返ってみたいと思います。まず一日目は母に対する内観から始まりました。生まれてから小学校に入るまでの自分を調べたわけですが、なかなか思い浮かばずにどうしようかと思っておりました。

 一番迷惑をかけた事は何だったかとそればかり強く思っていましたら、ふと夜尿症の件が思い浮かんできました。それからぽつぽつと「お世話になったこと」が出てきました。

 でも、それらは自分が子供なんだし、小さい子供それも自分が生んだ子供の世話をするのは当然だろうし、それを受ける子供の側からすれば当たり前の事で、何もこちらが要求している訳ではないのにという気持ちも込み上げてきました。

 ですから、して返した事に関しても、「あれもやった、これもしてやった」と思い出し、その頃初めての面接となりました。今でも覚えておりますが、「あれも言おう。これも言おう。」と考えがまとまらず、胸がドキドキしておりました。

 面接が終わり、何か拍子抜けした感じで、この調子だと後が楽かもしれないと思ったものでした。面接が2回3回と続き、それも無事終了しました。

 2日目に入り母に対する自分を調べていくにつれ、いつも同じような思いが込み上げ、ひょっとしたら何か違うんじゃないかと思い出し、自分自身の思いあがった点や身勝手さが段々にわかって来ました。そうなってくると難しいのは、して返したことはどんな事があるのか思い出すことでした。

 そのような思いを持ったまま、3日目の父に対する自分調べが始まりました。本当に困りました。父にして返した事が何も浮かばない、即ち、無いということです。これは恥ずかしい事なので、一生懸命考えるが出てこない。どうしたらいいのだろう。その様な思いが頭の中を巡っている時に、面接の時間がきました。

 「もう仕方がない。ないものははっきり、ありません」と言おうと腹を決めて報告しました。先生はただうなずいておられるだけで、こちらの苦しみもご存じないのかなあと思っておりました。

 でも、その後、気付きました。内観に入る前の説明で、「困った、即ちトンネルに入った時には、『太陽』に対して内観をしてみて下さい。何か気付くと思います。」と言われた。そうだ、太陽に対して自分が何かお返ししているかといえば、それは全く「ノー」なわけで、充分に調べた上で、なければ「ございません」と報告する事は、何も恥ずかしい事ではないとわからせて頂きました。

 でもやはり父に対する内観はつらかったです。結局それは、自分の行いの報いを見せ付けられているから仕方ないのですが、思わず涙が出てしまった事は本当に思いがけない出来事でした。

 次に妻に対しての自分を調べてみました。そうなると考え方が自省的になっているからかも知れませんが、次から次へと迷惑をかけた事が出てくる一方、して返した事の全く出てこない事、ようやくあちこち一緒に出かけて行った事を思い出し報告しました。

 4日目に入り、2回目の母に対する自分を調べだし、1回目とは違った母の像が浮かんできました。

 1回目に思い出した「して返した事」は、全てしてやったと自分が思っているだけで、本当に母の気持ちを考えていたかと思い返すと、全くして返した事にはあたらず、本当に自分本位の申し訳のない事をしていたと思い知らされました。

 2回目の父に対しても同じで、して返した事のない、本当におろかしい自分でした。 父とのかかわりを思い出していく中で、はっきり確信できたのは、父になぐられた(暴力をふるわれた)事がないことでした。

 それに対し私は、子供達に暴力をふるってしまっており、本当に申し訳ないことをしたと思い始めました。ちょうどその前に、子供に対する父親の内観のテープを聞き、食事の手も止まるほどでした。浮気の事もでてきますので、全く私の事を言われているようで、恐ろしいぐらいでした。

 父が終わり、子供について内観しようかどうか迷っておりましたが、先生が配偶者も2回はしてみて下さいと言われ、それに従いました。やはり1回目とは違う妻に対する思いが込み上げてきて、お世話になりっぱなしの自分というものをいやというほど思い知らされました。

 6日目に入り、子供に対する内観をしてみました。テープの中で吉本先生は、内観が深まらないと子供に対する内観は難しいものだと言われており心配しておりましたが、一方、法話の中では、「深い浅いは関係ありません。ご自分の内観を進めて下さい。」と言われた事に気付き、気持ちが楽になりました。

 子供に対する内観はそんなに苦しいものではありませんでしたが、やはり自分がうすうす感じていた通りの自分を思い知らされ、今までの一連の行為の結果の報いだろうと思い、受け止めることができました。

 「家族は私が守ってやらなければ誰が守るんだ。」と、この内観を通し強く思うようになり、まず家族にやさしく精一杯の感謝の念をもって、ゆったりとした気持ちで接していこうと思います。

【坂村真民詩集】

《 六魚庵鎮魂歌 》

ころころするので
こころとは
何と悲しいことであろう

朝に善を抱き
夕に悪に墜つ
時には白い食卓を囲みながら
心は冬枯れのように
離れ離れになっていることがある
そんな時のこころほど
神を悲しませるものはないであろう
一碗の菜っ葉でも小鳥のように分け合って
にぎやかに食べる時の
神の喜びを見たことがあるか
動物でもそうであるが
食べる時ほど我々の心の
よくあらわれる時はない
仏陀の飯
基督のパン
美しい心ほど食卓を飾るものはない
たとえバラの花はなくても
心は朝の光のように
いつも明るく輝いていよう
昨日悪に墜ち
今日善に生く

ころころするので
こころとは
何とまた美しいことであろう

【仏語集】

 愛欲は煩悩の王、さまざまの煩悩がこれにつき従う。

 愛欲は煩悩の芽を吹く湿地、さまざまな煩悩を生ずる。愛欲は善を食う鬼女、あらゆる善を滅ぼす。

 愛欲は花に隠れ住む毒蛇、欲の花を貪るものに毒を刺して殺す。愛欲は木を枯らすつる草、人の心に巻きつき、人の心の中の善のしるを吸い尽くす。愛欲は悪魔の投げた餌、人はこれにつられて悪魔の道に沈む。(大般涅槃経)

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