1999年6月20日第69号
幸福ニュース

今回は、横浜の大学で、{幸福}に関して授業・討論をされた先生が、Eメールを送って下さいました。ありがたい事です。それを掲載させていただくとともに、ひろさちや先生の{ひろさちやの応用仏教}(すずき出版)から、仏教を基にした{幸福論}を紹介させていただきたいと思います。皆様も{本当の幸せ}について考えてみて下さい。

本当の幸せとは?

《Subject: 授業の中で、{幸福}について考えました》

前略、

いつも内容のあるすばらしいメッセージを読ませていただいて感謝しております。横浜市のある大学で、先日、{幸福}について授業の中でみんなで考え、討論し、その結果を発表しあいました。

その時、{幸福ニュース}が大変よい考える材料になりましたことをお伝えして、同時に感謝を申しあげます。

朝日新聞の記事、雑誌、一般の本、インターネットで、{幸福}に関連するものを予め読み、各自が自分なりの{幸福とは何か}を準備してきます。クラス内では、2〜3人のグループで話し合い、最後にそれぞれの結論をだして発表しあいました。なかなか盛り上がり、議論にも話しに花が咲きました。

幾つかの結論の例:

幸福とはものごとを心から行えば、良い結果を生む。単なる願望を目標にすると、それはたんなる行いで終わる。

誰でも愛されるべき存在、それが人間である。生きて価値がある。この価値に気づき、それを発揮できる人は幸福。

今、不自由なく生きられること、常識で不幸であったとしても、視点を変えれば幸福となる。

幸福とは生まれてきたこと。自分の生涯というものをもっていること。それは人に出会えること。

ささいなことにも目を向けられる心。素直な心で受け止められる余裕(山路来てなにやらゆかしすみれ草)。

人の違いを認めること。

自分で幸せと思えばどんな状況でも幸せである。

当たり前を当たり前と思わず、今、生きていることに感謝する。今生きていることが幸福。

今までであった人も、これから出会う人も、何かの縁があって出会い、人と出会う。人と出会うことが幸福。

親が子に対するように、自分を捨てて他人のために生きること。

人を憎まず、当たり前のことを自分のできる範囲でしていくこと。

自分だけの幸福を求めず、相手も幸せになるために尽くす方が、二重の幸せに導かれる。

物の豊かさが幸福であるという思いには限界がある。

幸福とは日々重なった小さな喜びのことである。

幸福とは人々の心を満たすものだが、豊かさも確かにその中に含まれる。

戦後日本では企業、経済の面の豊かさが強調された。幸福はそれよりも家族の価値を見直すところからスタートする。

私たちのいろいろの欲望は、今幸福だから出てくるものかも知れない。幸福とはほんの些細な毎日のたくさんの小さなものの中にあるのかも知れない。

精神的なゆとりが要る。他人に決定されるのでなく、自分が幸福と思えばそれは幸福なのである。

幸福とは小さな喜びを味わえることである。日常を普通に過ごす事が実は幸せなのではなかろうか。

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ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

《{ひろさちやの応用仏教}ひろさちや著》

*宗教音痴の日本人

宗教は悩みを解決し、トラブルを解消する治療薬ではない。
信仰している人は、安心しながら絶望し、ゆったりと慌てふためく。
信仰していない人は、慌てふためいてはならないと思いながら慌てふためく。

日本人は、宗教というものを精神鍛錬・精神修養だと錯覚しています。
宗教は本来弱い人間のためにあるのです。
安心(あんじん)こそが、宗教が私達に与えてくれる最大のものです。

*仏教とは、{幸福学}である。

分析的科学的方法ではなく、総合的に考える{幸福の全体学}でなければ、本当の幸福にはならない。
貧しい者は感謝の気持ちを持っています。だから幸福なんです。

金の亡者(エコノミック・アニマル)になっているのが、現在の日本人です。
病気の親のそばにもおれず、働くとほめそやされるのが、日本。
経済発展をすれば幸福か? 豊かになると幸福か?
病気の親のそばにおれないそのことを不幸だと思わず、経済が発展することの方が幸福だと思っている。仏様の目から見れば、違うのではないでしょうか。

*幸福には二種類ある。{餓鬼の幸福}と{ほとけの幸福}

餓鬼には三種類ある。{倶舎論}
無財餓鬼、小財餓鬼、多財餓鬼
餓鬼の本質は、{自分の持っているものに満足できない存在}をいう。
エコノミック・アニマルは多財餓鬼ではないか。
{もっと、もっと}では幸福になれない。

{人ほとかなしきものなし。神仏にむかい、富貴をねかふ。ねかふ心をやむれは富貴なることをしらす。(至道無難禅師法語)}{人間ほど愚かなものはない。神仏に富貴を願うが、その願う心をやめれば富貴なのだということを知らない。}

*いまの自分をそのまま全面肯定しよう。

{餓鬼の幸福}とは、もうこれで十分という、足るを知るを失った人間が求める幸福で、渇愛を基盤にした幸福であるから、海水を飲んで喉の渇きを癒そうとしても駄目なように、現在を常に否定的に見るのであるから、永久に幸福になれない。

{ほとけの幸福}とは、{あなたが今ある、そのままの状態が幸福だ。}というものです。健康であれば、健康なままに、病気であれば、病気のまま、金持ちであれば、金持ちのまま、貧乏であれば、貧乏なままで幸福である。

比較したら、絶対に幸福は得られません。
私達は誰も自分と他人を比較しないのです。自分が今ある、このままの自分でいいのだと、絶対的に自分を肯定するのです。そうすれば、たちまち私達は幸福になれると、仏教は教えてくれています。

*わたしたちは{まんだら大宇宙}に生きている。

人間だけでなく、生きとし生けるもの、すべてがほとけである。
そのようなほとけさまの集まりであるこの宇宙を、仏教は{まんだら}と呼ぶのです。ほとけの{いのち}の集合体であるこの宇宙が{まんだら}なのです。仏教の世界観、宇宙観は、暗い厭世観ではなく、気宇壮大で明るい{ほとけさまのまんだら大宇宙}なのです。

{厭離穢土・欣求浄土}となるか、{娑婆即寂光土}となるかは、わたしたちの見方しだいなのです。

普通の見方は、自分というものがあって、その自分の利益ばかりを考えるエゴイズムの見方・考え方です。これで見ると、この世は{厭離穢土}となります。

動物の弱肉強食の世界も大きくみれば、布施の世界なのです。死は、ほとけさまに、預かっていた命をお返しすることなのです。

わたしたちは、動物や植物のいのちを布施してもらって、初めて生きることができます。我々人間は、生きとし生けるものたちの布施によって生かされているのです。この世は、{布施の世界}です。助け合いの世界、それが、{まんだら大宇宙}なのです。

わたしたちは、布施によって生かされているのですから、わたしたちもまた、布施をすべきです。それが、仏教の教えです。

ちょうど親が子にするように、自分のために生きるのではなく、他のためにしてあげることによって、幸福は生まれるのです。

*{般若心経}には{苦集滅道}と述べられています。つまり、固定した、実体としての{苦は無い。}と言っています。苦は、わたしたちの心がつくりだしているのです。

大乗仏教において{苦}とは、基本的に{思うがままにならないこと}という意味です。大乗仏教の{苦}の解決法は、{思うがままにならないことは、思うがままにしようとするな。}です。

(ただし、思うがままになること、つまりわたしたちの努力によって改変できることであれば、しっかりと努力すべきです。)

{災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。}(良寛)

*人間の物差し ほとけさまの物差し

仏教に帰依するというのは、自分の物差しを捨て、ほとけさまの物差しをいただくこと。真の仏教者であることは、凡夫の物差しだけで物事を見ようとせず、もう一つ別のほとけさまの物差しをもつことである。

このほとけさまの物差しには、目盛りがない。これは、測ってはいけないということなのです。いいか悪いかそういう判断をするなということです。(般若心経の{諸法空相}a)

測った結果、全部が百点満点である。(法華経の{諸法実相}b)

aとbは同じことを言っているのです。

*あえて非まじめのすすめ

経済の高度成長は、グローバルな意味では、資源の枯渇、エネルギー危機、食糧危機、環境破壊につながる。

世間の物差しの本質はエゴイズムです。

非まじめとは、まじめとふまじめとを超越していることです。世間の物差しによらず、ほとけさまの物差しによっているのが、非まじめです。

世間の物差しはすぐに変わります。永続性はありません。今は経済発展がいいことのように思われていますが、いずれそれは変わるのです。

在家の人間は、{彼岸の原理}と{此岸(現実)の原理}とのダブル・スタンダード(二重基準)のバランスをとることになります。

*彼岸原理をどう現実社会に適用するか。

仏教の精進は、あくまで精進波羅蜜なのです。数人で山に登ったとき、一人が体調を崩したとします。その時、みんなで山を下りるのが、精進波羅蜜です。本当のやさしさを持つ人間らしい行為をすることが大切なのです。

お釈迦様は、それぞれの人が自分の性格・力量に応じて努力すればよい、と考えられたのだと思います。AさんはAさんにふさわしい道を、BさんはBさんにあった道を歩めばよいのです。それが、{自灯明}だと思います。

(現実の社会の問題を論じるときには、人間の物差しを基準にしましょう。ほとけさまの物差しと人間の物差しはまったく違った物差しなのです。)

*儒教の影響を排除する

儒教は此岸原理だが、仏教は彼岸原理なので、仏教と儒教は根本的なところで性格を異にしています。

{念仏申さんものは、ただ生まれつきのままにて申すべし。善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、本のままにて申すべし}(法然上人)

勤勉家は勤勉家のままで、怠け者は怠け者のままで、お念仏すればよい。仏教は、怠け者に勤勉家なれと教えているのではありません。反対に、勤勉家に怠け者になれと言っているのでもありません。儒教とは、そこが違います。

仏教では、あるがままの人間が肯定されているのです。仏教は人間肯定の宗教です。

いかがでしたでしょうか。仏教の幸福はだいぶ違いますね。

どんな境遇にあっても感謝できる人や、{自分は幸せだ}と思える人は幸福なのですが、{幸せだと思うところから幸せが始まる。}という言葉もあります。真民先生の詩にも{光だ、光だと言っている人には、光が射してくる}という詩があります。無理にでも、{幸せになりつつある}と毎日唱えてみましょう。

毎日、どれだけ多くの物や人のお世話になっているか、数え上げてみてください。ものすごい量になりますよ。それだけでも幸福になってくるのではないでしょうか。感謝も幸福への一つの入り口だと思います。

最後は一人一人の心の問題、見方の問題になってきます。あたりまえのことをあたりまえと思わず、実は{ありがたいことなんだ}と気付けると、毎日が幸福感に満たされるのではないでしょうか。

(実体験されたいかたは、{内観 http://www.uproad.ne.jp/rengein/ }をされるとすぐおわかりいただけると思います。)

これは、日々の小さな喜び・感動を大切にするということにもつながります。目の見えなかった人が手術を受けて見えるようになったそうです。台所の流しでお皿を洗っているとき、シャボン玉の虹色の美しさに感動して、{こんな素晴らしい世界があったのね}といったそうです。

最後に、どんなことがあろうと{仏様は見ている。}{天を相手に物事を行う。}気持ちで行動し、{希望}を決して捨てないで、信じて祈りつづけることです。幸福は外ではなく、あなたの心の中にあるのです。合掌

【坂村真民詩集】

《 幸せの帽子 》

すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすとやってくるものではない
時には不幸という帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えばそれがみんな
ありがたい幸せの帽子であった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならぬ

【仏語集】

ものが平等であって差別のないことを空という。ものそれ自体の本質は、実体がなく、生ずることも、滅することもなく、それはことばでいい表わすことができないから、空というのである。

すべてのものは互いに関係して成り立ち、互いによりあって存在するものであり、ひとりで成り立つものではない。ちょうど、光と影、長さと短かさ、白と黒のようなもので、ものそれ自体の本質が、ただひとりであり得るものではないから無自性(むじしょう)という。

人は清らかさと汚れとがあると思って、この二つにこだわる。しかし、ものにはもともと、清らかさもなければ汚れもなく、清らかさも汚れも、ともに人が心のはからいの上に作ったものにすぎない。

人は善と悪とを、もともと別なものと思い、善悪にこだわっている。しかし、単なる善もなく、単なる悪もない。さとりの道に入った人は、この善悪はもともと別ではないと知って、その真理をさとるのである。

人は不幸を恐れて幸福を望む。しかし、真実の智慧をもってこの二つをながめると、不幸の状態がそのままに、幸福となることがわかる。それだから、不幸がそのままに幸福であるとさとって、心身にまとわりついて自由を束縛する迷いも真実の自由も、特別にはないと知って、こうして、人はその真理をさとるのである。

だから、有と無といい、迷いとさとりといい、実と不実といい、正と邪といっても、実は相反した二つのものがあるのではなく、まことの姿においては、言うことも示すことも、識ることもできない。この ことばや はからいを離れることが必要である。人がこのようなことばや はからいを離れたとき、真実の空をさとることができる。
(楞伽経)(The Teaching of Buddha)

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第67号 心の成長の軌跡

第65号 功徳行

第63号 豊かなるカンボジア

第61号 生きがいの本質

第59号 初めての介護体験

第68号 一流になる人二流でおわる人

第66号 上司と部下

第64号 母の日

第62号 次郎長の命びろい

第60号 百年の計と子供

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