1997年12月10日第15号
幸福ニュース
人は生きねばならぬ 闇の先の光明を見出す為に
{足るを知る鳥 知らぬ人}

いつものように朝の修法を終えて境内を巡拝していますと、季節が晩秋から初冬に移ろいゆく様子が見て取れます。境内に数本ある柿の木もその葉をほとんど散らしています。

この時期に毎年訪れるヒョドリやメジロ達のために数個の柿の実を残していますので、 見上げる柿の木には赤い実がひときわ鮮やに朝日を受けて輝いています。

日中は皆さん方のお尋ねや祈願の度に貫主堂でおまいりいたしますが、その合間に裏庭の一本の柿の木に集まる鳥達の様子を見るのが近頃の楽しみの一つです。

よく見ていると、ヒヨドリは半月ほどの間に一組ずつの番(つがい)が出来、それ以後はいつもこの一番で行動しています。ある番が柿の実を食べている間、もう一羽は決して一緒に食べず、周囲を見渡して警戒しています。そして先の一羽が食べ終わると今度は交代して食べていました。

そしてその食べ方は数個残してある柿の実を決して別々には食べず、必ず一個ずつ食べて行きます。まさに少欲知足の食べ方のように感じられ、言い知れぬ感動を覚えました。 私達人間にもこのような食べ方をする人は少ないのではないでしょうか。

若い頃何度かホテルのバイキングや立食パーティーで食事をした事がありますが、 多くの人が皿にたくさん盛って食べています。そして中には、何皿も自分の所に集めたかと思うと、最後には食べ残してしまうだらしない人もいます。

{苦しみの先にあるもの}

鳥は空を飛ぶために不必要なものは一切身に付けていません。軽やかなその姿は、 軽やかな生き方にも通じているように思えます。
坂村真民先生の詩にこのような詩があります。

鳥は飛ばねばならない
人は生きねばならない

怒涛の海を
飛びゆく鳥のように生きねばならぬ
混沌の世を生きねばならぬ

鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている

そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

この原稿を書く中で真民先生ご本人に直接電話で確かめさせて頂いたところによると、苦しい事が続いたある年が終り、新たな年を迎える時に出来た詩とのことでした。

{先に光明がある事を知らねばならぬ}

私自身が今は十二月二十八日に結願を迎える八千枚護摩行のための前行中で、その中の何日かを断食しながらの日々を送っています。ですから、先程のヒョドリ達の様子を見た時、ことさらにそれらの鳥達の食べ方に感動したのかもしれません。

私の行なっている行は十二月八日から始まって十二月二十八日に終わるという期限のあるものですから、一寸先の見えない闇の中に居るという訳ではありませんので何という事はありません。

しかしこのホームページを読んでおられる方の中には大変な病気と闘っておられる方もおられるでしょうし、またある人はこの不景気のために経営の不振で年の瀬をどう乗り切ろうかと途方に暮れておられる方もおられると思います。

そのよう方々は「一寸先は闇ではなく、光であることを知らねばならない」「人は生きねばならない」の言葉をかみしめて、み仏様の慈悲の光に守られているのだという信念を持って生きて行って頂きたいと念じております。

{苦しみの中で見い出すものは?}

「朝の来ない夜はない」と言います。そして12月21日には、太陽の光が最も弱い冬至になります。この冬至が過ぎると一段と寒さが厳しくはなりますが、太陽の恵みは確実にその力を増して行くことも事実です。その意味でも来る正月が寒いさなかであっても新春と言い習わされた先人の達観に敬服します。

このように厳しく苦しい年末をお過ごしの方々とは逆に順調に幸運な日々を過ごして来られた方々はその事への感謝を忘れないためにも、日常生活のどこかでこれまでしなかったほんの少し苦しい事をあえて自分に課してみることも良いのではかと思います。

人間は弱いもので、たえず順境にあるとその環境に慣れてしまい、その事に感謝することさえ忘れ、ともすると温室育ちの植物のように一見美しく咲いていても室外の厳しさに耐えられない弱々しいものになってしまいます。

{一食布施で感謝の心を}

私が断食しているからという訳ではありませんが一食布施(一ヶ月九十食のうちの一食を断食して世界の人びとのために献じる運動)をして頂くのも一つかもしれません。これまでまだこの一食布施を実行していなかった方は、是非この機会に習慣化して日常生活を見直す小さなきっかけにして頂きたいものです。

そもそもこの一食布施は、先の貫主真如大僧正様が開山大僧正様の御入定された日の十二月二十日に因んで、毎月二十日を「世界の平和を考える日」「一食布施の日」と定められたことから始まり、今年はちょうどその十九周年に当ります。

少しの欠乏は人間に多くのものを与え、感じさせてくれるきっかけとなります。それは感謝の心を育むということです。何ら変化のないすべてに満たされた生活の中では、人は感謝の心を起こすことは難しいようです。そのために一食布施をして頂くのも結構なことではないでしょうか。

{人としての使命を考える}

真如大僧正様が当山の行なう国際協力活動を総じて「慈悲行」と名付けられたのは、日常生活そのものが行であるという時の行と共に、自ら決意してそれを実行しようと自身に課す行としてとらえることが出来ます。この慈悲行という時の行は、願いを起こしそれをたゆまず行じてゆこうと決意する「行」ではないかと思います。

どうか皆さん「他の人のために何かしよう」という願いを起こして頂き、それを「行じる」ことを決意することによって自らの生活を見つめ直して頂きたいものであります。このことを行じ続けることが先に掲げた真民先生の詩にあります『光明の島(仏国土)』に至る大切な道であります。

どうか皆さん、年末のこの時期を光と慈悲に包まれた新年を迎えるための(行)の期間と位置付けてしっかりとした日々をお過ごし下さい。合掌

<坂村真民詩集>
「一日一信」

一日
一信

やっと楽しい
ひとときがきた

あの人
この人を
身近において

一字
一字

書くひとときの
うれしさ

「光と風のなかを」

光が愛だということを
教えてくれたのは木々だった

風が愛だということを
告げてくれたのは鳥達だった

それ以後わたしは
光と風の中を歩いてきた

生きてきたといってもよかろう

暗かった心が
明るくなり

重かった体が
軽くなり

狭かった世界が
広くなり

人生が一変した

ああ
この永遠(とわ)なるものよ
われを導きたまえ

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