1998年3月22日第25号
幸福ニュース

【三福】

《米長先生との出会い》

平成四年大阪から奈良へ行く途中、偶然、棋士の米長元名人と出会い、色々お話させていただきました。後で考えるとこの時、米長さんは将棋界の最高位である{名人位}の最有力挑戦者として心に期すものを秘めて、唐招提寺へ向かっておられたようなのです。

この御縁以来、私は数冊の著書を読ませて頂きました。その中で〔人間における運の研究〕(渡辺昇一教投との対談)の中にこんな事が書かれていました。それは、幸固露伴の『努力論』から引用された{三福}についてでありました。

三福とは{惜福}{分福}{植福}の三つです。{惜福(セキフク)}とは自分に与えられた福を使い尽くし、取り尽くしてしまわないということです。{分福(ブンプク)}とは自分にめぐって来た福を一人占めにせず、一部を人様に分け与えるということです。このような分福を心がけ実行していると、より大きな福運がまた巡ってくるというのです。

そして最後の{植福(ショクフク)}とは、将来を見通して自分自身がその恩恵を受けることがなくとも、福を生み出す元となる事を、さながら木を植えるように植えていくということです。先の貫主真如大僧正様が{十年の計は木を植うるにあり}{百年の計は子を育うるにあり}と言われた事は正にこの{植福}に努めなさいということだと思います。

{蓮華院国際協力教会}も{親を大切にする子供を育てる会}も真如大僧正様の実践された{分福}{植福}の一つであろうと思います。また平成の五重塔を発願された事も、{千年の後までもその塔の姿に接する大勢の人びととの心に菩提心が芽生えるように}との願いによるものであろうと思うのであります。

私は先師によって与えられたこれらの課題を、み仏様のみ心と社会の求めに叶うよう、一心に耳を澄ませ心を広く開き、先ずは{惜福}の心構えを忘れないように、心して進んで行かねばならないと胆に銘じている処です。

《四つの誓い》

さてこの三福を信仰生活に即して少しお話ししてみたいと思います。大乗仏教の菩薩は四つの誓いを立てています。それは

一、悩みや苦しみを持つ人びとは無限であるが、それらすべての人を救って行こう。(衆生無辺誓願度)
二、悩みや苦しみの原因(煩悩)は無限であるがこれらをことごとく断ち切って行こう。(煩悩無辺誓願断)
三、仏の教えは広大にして無限であるが常に学びつづけて行こう。(法門無辺誓願学)
四、悟りの世界は無上であるが、必ずやこの悟りに至ろう。(菩提無上誓願証)これを四弘誓願(シグセイガン)と申します。

《欠点をおおい尽くす》

しかし真言宗(密教)の菩薩は二番目の誓願の代わりに福徳智慧は無限にあるが、これを尽りなく集めて行こう(福智無辺誓願集)という願いを立てています。

解りやすく申し上げますと、悪い事をしないようにしようというのではなく、良い事をしようということです。またもっと深くその意味を説明しますと、人間はすべての悪をやめる事はとうていできません。またどんな人にでも欠点は必ずあります。この悪事や欠点にばかり心を奪われるのではなく、この欠点を上回る長所を延ばし、欠点をおおい尽くしてしまおうという積極的な考え方です。

この欠点をおおいつくすものが福徳と智慧ですから、この福智を積極的に集めようというのが密教の菩薩の警願なのです。 先の三福がどのような思想から出ているのかは知りませんが、仏教的に考えてみると、{惜福}には密教の福智無辺誓願集という時のように、積極的に福を集めるという考え方はないようです。分福、植福がこの福智無辺誓願集に当たるようにも思えます。

《先人の思いを今に》

「惜福」を私達の生活に即して申しますならば、先祖から受け継いだ様々な福や徳、たとえば財産や信用、恵まれた環境などを自分だけの都合でむやみに使ってしまうことなく、福を借しみながら大切に使って行こうということです。

この事を個人ではなく、国家や社会の単位で考えてみますと、現在の日本は長い歴史の中で過去の先人が営々と築いて来られた{植福}の成果である文化や宗教、そして経済の発展などの余福を頂いています。そして目本は世界有数の経済大国となりました。

ところが私達はその本来の価値や余福を充分に理解せず、感謝することすらなく、一方的に享受し、消費している、のではないでしょうか?これでは惜福にもとることになります。不景気が続いているこの時期にこそ、{惜福}の心を思い起こさねばならないのです。

惜福の惜という字は、立心偏に昔と書きます。昔のことに心を至すというこどでしようか。昔の人ぴとの努力に感謝し、先祖の功徳に感謝する心があれば、自ずからいかに生きるべきかも解って来るのではないでしょうか?そして次の世代のために福徳を残し、人間愛に満ちた智慧を磨いて行かねばならないのです。

【坂村真民詩集】
《 アジアの路地 序詩》

その一
アジアの
路地
路地に
無尺の明かりが
射してくる時
わが思いは終わる

その二
わたしは路地が好きだ
初めて訪れた町を
路地から
路地へと歩く
ただしく生きる人たちの
貧しい暮らしの
においをかぎながら

その三
路地は
どこも
ごみごみしている
でもそこには
虚飾がない

路地は
どこも
さわがしい
でもそこには
悪意がない

《 愛 》

愛がゆきつくところまで行った時
初めて神の座にすわることが出来よう
突き詰められた燃えるような
愛の静かな真実の光の中に
わたしの一生も無駄でなかったことを
感謝しよう
そういう時がくることを
わたしは一すじ願ってゆこう

*第6回全国 朴の大会が5月17日に坂村真民先生をお迎えして、先生の生誕地である熊本県荒尾市で開催されます。詳しくは、坂村真民詩集をご覧ください。

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